Working My Way Back To You / Spinners
猫も杓子もディスコ、70年代後半の空前絶後のディスコ・ムーヴメントも、80年代の突入とほぼ同時に失速していったものの、大衆音楽の常として革新的音楽が普遍化していくかの如く、ディスコ・テイストのヒットがパタッとなくなったわけではもちろんない。80年代突入後3番目に生まれたナンバー2ソングはというと、そんなディスコ・テイストを色濃くしたソウル/R&B作品~スピナーズ「ワーキング・マイ・ウェイ・バック・トゥ・ユー」(80年2位)だった。
スピナーズといえば、60年代から活動する名門ソウル・グループであって、70年代に多くの名曲ヒットを残している。スティーヴィー・ワンダーが初めて他アーティストをプロデュースしたモータウン時代の「イッツ・ア・シェイム」(70年14位)、フィラデルフィア・ソウル・ブームの決定打ともいえるお馴染み「フィラデルフィアより愛をこめて(クッド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラヴ)(73年4位)、ディオンヌ・ワーウィックとのデュエットで彼ら唯一のナンバーワン「ゼン・ケイム・ユー」(74年1位)、スタイリスティックスのスター化の立役者トム・ベル&リンダ・クリードが手掛けたグル―ヴィ―・ディスコ「ラバーバンド・マン」(76年2位)あたりが代表曲だろう。
しかし80年代突入と同時に何度目かの黄金期を迎えたスピナーズの、日本人にとって最も耳なじみなヒット曲はというと、「ワーキング・マイ・ウェイ・バック・トゥ・ユー」以外の何物でもない。いわゆるダンス・クラシックスの範疇ではソウル色も強いのでサーファー・ディスコ系でも重宝し、一方で米ヒット・チャート上位に食い込んだ作品だったので一般的ディスコはもとよりメジャー・メディアに載ることも少なくなかった作品だったからだ。
そして実はこの曲(及び80年代スピナーズもう一つの大ヒット「キューピッド」=サム・クックのディスコ・カバー 80年3位)をプロデュースしていたのは、マイケル・ゼイガーだった!この人の名前を聞いてもピンとくる方は少ないかもしれないが、70年代後半ディスコ・ブームの中でもB級感漂うあだ花的な日米ヒット・ソング「チャンタでいこう(レッツ・オール・チャント)」(マイケル・ゼイガー・バンド/78年36位)にピンとくる方は多いと思われる。
チャントという語感からだけでマージャン用語のチャンタを邦題に据え、シングル・ジャケットに黒鉄ヒロシのイラストをドーンと採用したこの曲は、ノベルティ感も相まってか日本のディスコを席巻した作品だった。この「チャンタでいこう」を世に輩出したのがマイケル・ゼイガーなのだ。万人受けするディスコとソウル・テイストをバランスよく知る男が手掛けた「ワーキング・マイ・ウェイ・バック・トゥ・ユー」は、ヒットするべくしてヒットした楽曲だったのかもしれない。
さらにこのスピナーズ作品の頂上制覇を阻んだ当時のナンバーワンはというと、ピンク・フロイド「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」(80年4週1位)!米ブラック系ディスコ・ソウルを英ベテラン・プログレバンドが征伐する… 数年後に世界を吹き荒れた第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを、この時期に既に垣間見られるようで面白い。そして「ワーキング・マイ・ウェイ~」は、フランキー・ヴァリが在籍したフォー・シーズンズ(66年9位)のカバーである。
2016.06.12
YouTube / marchelone
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