高校のとき、授業の後は掃除の時間だった。
昔は15時とか16時といった概念は無かったので、3時か4時くらい。全校一斉に掃除の時間が始まり、校内放送では必ずこの人の音楽が流れていた。
それはリチャード・クレイダーマン。フランスのピアニストです。
ジャンルで言えばイージーリスニング、今で言うラウンジ。誰の邪魔にもならない無難で心地良い音楽。嫌いでも無かったけど、全く興味がありませんでした。まさに無関心そのもの。
それでも毎日繰り返し耳にしていた音楽というのは、なんかこう、頭の中にへばりついているものですね。深海の岩にこびりついている苔のような感じで、べたーっと。
先日、YouTubeで「渚のアデリーヌ」を耳にすることがあって、いやあ、その苔がムズムズと疼きました。どう疼いたかって、80年代初頭、街のあちこちでリチャードのピアノが流れていた体感と記憶が一気に蘇ってきたのです。掃除の時間だけじゃなかった!
僕の身体にフラッシュバックしたのは、大型スーパーの店内、街の商店街、駅前にあった本屋、そして銀行のロビー(なぜって、暑い日には用もないのに涼みに行っていた…)などの空気感。そう、リチャード・クレイダーマンのピアノは小さな街の至るところで奏でられていたのです。
何よりも繊細なピアノタッチに上品で優雅な感じ。時代が求めていた雰囲気だったのかもしれません。そして、誰の邪魔をすることもなく、されど特に気にも留めてもらえず、ただひたすら黙々と流れ続けていたのです。
そう思うと愛おしいなあ、リチャード・クレイダーマン。何も新しいことや奇抜なことをやって残っていくものだけが音楽の歴史じゃない。今となっては街中で彼の音楽を聴く機会はあまり無いだろうけど、出逢いたいなあ、偶然に。情報求ム!
2016.04.17
YouTube / fukusuke1100
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