最後のオリジナルアルバム「ミルク・アンド・ハニー」
ジョン・レノンがこの世を去って今年の12月で40年になる。
そのジョンの最後のオリジナルアルバムは逝去の3年1か月後、今から36年前の1984年(昭和59年)1月25日に発表された『ミルク・アンド・ハニー』である。前作であり遺作となった1980年の『ダブル・ファンタジー』同様ヨーコ・オノと名前を連ねたアルバムで全12曲、ジョンとヨーコの曲が交互に収められていた。
当時僕は高3で受験生、共通一次を終え二次試験を1か月後に控える身だった。しかしジョンの逝去後ファンになった自分にとって、これがジョンの新譜をリアルタイムで手に出来る最初で最後のチャンスだった。
「大学受験はもう一度出来るがジョンの新曲はもう二度とリアルタイムでは聴けない」
36年前の1月24日、僕は渋谷の東急プラザにあったコタニというレコード店でレコードとカセットテープをフラゲした。当時の横浜の実家の玄関の脇にレコードを置き、後でこっそり自分の部屋に持ち込んだのだった。
魂の鼓動が聴こえる…… ジョンは生きていた!
▶このアルバムは「ダブル・ファンタジー」後の、ニュー・アルバムとして録音された真のオリジナル・アルバムです
帯にはこんな文字が躍っていた。しかしジョンの曲はラフで作り込まれてはいなかった。リハーサルだったのである。もちろん前作『ダブル・ファンタジー』から連なる、40代になったジョンの新たな世界観の詩は魅力的で、曲も当然ながらキャッチ―であったのだが、新たに録音されたヨーコの曲との釣り合いの悪さはやはり少し気になった。
名曲「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」が未完の理由
そしてジョンの最後の曲となった「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」。この曲に至っては何とデモテープであり、ピアノとリズム・ボックスをバックにジョンが歌っていた。音質も決して良くない。でも高3の僕が一番心を動かされたのがこの曲だった。あまりにシンプルであるがためジョンのヨーコへの想いが却ってストレートに迫って来たのだった。
やはりこのアルバムをリアルタイムで購入してよかったと僕は心から思った。そして僕は浪人した。もちろんこのアルバムだけが理由ではないし、後悔も全く無い。
アルバムでこの曲の前に収められていた「レット・ミー・カウント・ザ・ウェイズ」もヨーコがピアノを弾き歌うデモテープ音源であった。実はこの2曲はイギリスの詩人ロバートとエリザベス・ブラウニング夫妻の詩にそれぞれインスパイアされて作られた曲であり、『ミルク・アンド・ハニー』の見開きジャケットの中にもこの2編の詩がジョンとヨーコの詩と共に載せられている。ジョンとヨーコのこの2曲は、アルバムの中で唯一と言ってもいい統一感をたたえていた。
このアルバムに寄せられているヨーコのライナーノーツによると、この2曲は『ダブル・ファンタジー』のバックボーンとなっていた。そしてジョンは「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」をストリングスやホーンを入れてスタンダードな作品に相応しい仕上がりにしたく、録音が先送りになったとのこと。その結果、この曲は未完となったのだった。
名プロデューサー、ジャック・ダグラスが消えた!
「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」にはしかし少々引っかかる点もあった。リズム・ボックスの音が左右に振り分けられ少々耳障りだったのだ。ステレオ感を出そうとしたのかもしれないが蛇足ではないかとジョン崇拝者だった当時高3の僕もさすがに思わざるを得なかった。
それには彼の不在も関係していたのかもしれない。前作『ダブル・ファンタジー』ではプロデューサーが “ジョン・レノン、ヨーコ・オノ アンド ジャック・ダグラス” となっていたのだが本作では “ジョン・レノン アンド ヨーコ・オノ” となっていた。エアロスミスやチープ・トリックのプロデュースで名を馳せたジャック・ダグラスが消えてしまったのである。ジョンの曲には明らかに関わっていたはずなのに。
そもそも『ミルク・アンド・ハニー』は、前作をリリースした’80年代の雄ゲフィン・レコードではなく、ポリドールからリリースされた。ライナーノーツの最後でヨーコはこう語っている。
「(ショーンと私は)自らを “親しい友人” と称する人間の形をした狼たちにとり囲まれていたのです」
ジョンが亡くなってまだ数年、混乱は続いていたのだろう。ジャック・ダグラスとヨーコの間には法的争いも起こっている。
未完の名曲「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」だが、この後 “完成” に向けて幾つもの動きが起こる。そして昨年、まさかの “完成” を見た。続きは明日。
2020.01.25