彗星のごとく現れた作家、新井素子
当時高校生だった僕が、ふと本屋さんで手にした文庫本。パラパラめくると、小説だというのに竹宮恵子(現在は惠子)の挿絵が入っている。その頃から、『別冊マーガレット』(通称:別マ)などの少女漫画雑誌を読んでいた女子成分多めだった僕は、つい調子に乗ってその文庫本シリーズ全巻を小脇に抱え、颯爽とレジに向かっていた。
僕が手にした文庫本のタイトルは『星へ行く船』(1981年・集英社コバルト文庫)。著者は新井素子。執筆当時二十歳そこそこの女性という同年代の女の子が書いた物語だったということを、僕は後に知り驚くこととなる。
ということで、今回のコラムでは、先ず70年代後半に彗星のごとく現れた作家、新井素子について語ってみたい。
星新一も絶賛!「第1回 奇想天外SF新人賞」で佳作を受賞
“ライトノベル” という小説のジャンルがある。作品の例を挙げると、谷川流の『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まった涼宮ハルヒシリーズや、『化物語』をはじめとする西尾維新の物語シリーズなどが人気である。ジャンルとして小説との分類が曖昧だけれど、一般的な認識としておおよそこんな雰囲気の物がライトノベルと言われている。
さて、現在でこそ、ライトノベルにおける特徴のひとつ “話し言葉”(口語表現)を主とした文体が確立されているけれど、実は1980年以前においてそれは異端だった。
1977年、新井素子は東京都立井草高等学校2年生のときに、『第1回 奇想天外SF新人賞』で佳作を受賞した。これは文学界の有名な話だけれど、彼女が綴った話し言葉中心の新しい文体を、審査員の星新一が歓迎し絶賛したのに対し、小松左京、筒井康隆は違和感を唱え大反対… 結果、最優秀作の可能性を秘めながら彼女が書いた『あたしのなかの……』は佳作に甘んじることとなったのだ。
確かに彼女の文体には、驚くべき新しい手法が採り入れられていた。例えば「えっと」とか「あたしだって」のような話し言葉が、会話ではなく文章として書かれていたのだ。これでは文学界の重鎮たちが眉をひそめるのも仕方ないだろう。最近の流行りで言えば「黙れ小童(こわっぱ)!」だ。
それらも含め、彼女が綴った独特な “一人称視点の口語表現” は、並み居る作家たちが次々に異を唱えるほどセンセーショナルな出来事だったのだ。
文学界のアイドル的存在、“萌え” の感覚や “オタク” の観念が随所に!
ライトノベルの原型ともいえる口語表現やジャンルの確立に大きく寄与したのは、間違いなく当時17歳だった高校生の新井素子だと言える。彼女の偉業は執筆から10年以上の時を経て、ようやく世に認められたのだ。
驚くことに、彼女が書いた1980年当時の作品を読み返すとすでに本文中に “萌え” の感覚や “オタク” の観念が随所に盛り込まれているのを発見できる。また、一般的なあとがきとは一線を画す「えっと、あとがきです…」という書き出しや、延々と綴られる著者の想いは、本文と同じくらいファンを楽しませるコーナーとなり、それもまた彼女の発明といえる。このあたりの考察は、1989年に東洋大学SF研究会の分科会として設立された『新井素子研究会』(発足から30年経ったいまでも日々更新されている熱狂的組織)が詳しいので、ぜひ検索してみて欲しい。
ちなみに1960年生まれの同世代作家には綾辻行人、井上雅彦、小野不由美、宮部みゆきなどがいるけれど、17歳デビューという早さは新井素子が断トツである。そう、作家志望の同世代にとっても彼女は大スターであり、文学界のアイドル的存在であり、目指すべき存在だったのだ。
SF作品ではない「結婚物語」沢口靖子主演でテレビドラマ化
その後、立教大学に進んだ彼女は1980年から『星へ行く船』の連載を『高一コース』(学習研究社)始める。連載は1987年まで続き全5巻の大作になり、その後も番外編などを刊行している。星新一の影響や、SF作品で文学賞に応募した経緯もあって、彼女は、しばらく上記シリーズ以外でもSF路線で執筆を続けていた。
ところが大学を卒業した後の1985年、25歳で大学の同級生と結婚したことを機に『野生時代』(角川書店)で、『結婚物語』の執筆を開始したのだ(※上中下それぞれ個別のタイトルがあるが、ここでは便宜上統一して結婚物語と表記)。
これは、自身の結婚をめぐるドタバタぶりをもとにして小説化したものだが、往年のファンたちは “SFの新井素子” という認識から、この作品が「どこからSF小説になるのか?」とヤキモキした。この問題に対し文庫版のあとがきで、「SF作品ではないこと」と「フィクションであること」が、彼女自身の言葉で強調されている。
さて、この『結婚物語』、 SF作品でないことから彼女のファンたちに受け入れられるかどうか… という向きもあったが、元々コメディタッチの演出が得意な筆致であり心配は杞憂に終わった。
『結婚物語』が新しいファンを広げてゆくなかで、奇想天外な面白さがテレビプロデューサーの目に留まり、1987年に日本テレビ系『土曜グランド劇場』枠でドラマ化が決定した。主演は沢口靖子と陣内孝則だ。このドラマ、結婚するまでの儀式やデータの解説を、ドラマ本編内の随所で主演の2人が紹介するなど面白い作りになっていて記憶に残っている人も多いのではないかと思う。
ドラマ主題歌は、小比類巻かほる「Hold On Me」
そしてこのドラマの主題歌に選ばれたのが、小比類巻かほる4枚目のシングル曲「Hold On Me」(1987年)であり、今回、続けて語りたいアーティストだ。
「Hold On Me」の作曲は大内義昭、作詞は麻生圭子である。ちなみにこのコンビは小比類巻5枚目のシングルにして、アニメ『シティーハンター』のオープニング曲「City Hunter ~愛よ消えないで~」(1987年)も手掛け大ヒットさせている。
小比類巻かほるといえば、僕のコラム
『1987年デビュー♪ 永井真理子は「ZUTTO」永井真理子だった』で少しだけ触れているけれど、1985年のデビュー当初から、プリンスやモーリス・ホワイトなど大御所ミュージシャンたちに絶賛された歌唱力を持ち、“英語を操る発音の良さが認められた数少ない日本人アーティスト” と紹介されることが多い。
そして、久保田利伸と同様に、R&Bやゴスペルの要素を多分に含んだ楽曲を日本中に広めた功績があると言える。また、DREAMS COME TRUEの吉田美和、平井堅、UA、宇多田ヒカル、MISIA、倉木麻衣など、のちのJ-POPの下地を作ったのは、久保田と小比類巻だと言っていいかもしれない。
圧倒的な声量とソウルフルで歌唱力抜群の小比類巻が歌う「Hold On Me」は、身震いするほど恰好よく、『結婚物語』のドラマと共に大ヒットを記録した。その年に行われた『第38回NHK紅白歌合戦』に初選出されたのも当然の成り行きだろう。小比類巻かほるは一気にスターダムへ押し上げられたのだ。
新井素子と小比類巻かほるの共通点とは?
作家・新井素子は小説界に、アーティスト・小比類巻かほるはミュージックシーンにそれぞれ新風を吹かせた人物であり、過去から続く慣習をものともせずに新しい未来を切り拓いた共通点があると思う。
特に新井素子は、小説の表現をひっくり返すことをしたのだから、多くの作家たちから邪険にされたことだろう。新しいことを世に広めることは並大抵ではない。それでも、自分が信じた道を進めばきっと必ず認められる日がくると突き進んだはずだ。
新しい時代の流れを作る。その波に乗る。そして、そのチャンスを自分の力で引き寄せて実現させてゆく。新井素子は2019年に『結婚物語』のサイドストーリー『ダイエット物語…… ただし猫』(中央公論新社)を刊行。また、今年3月には最新の冒険小説『絶対猫から動かない』(KADOKAWA)を刊行したほか、先日もTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に “第15代SF作家クラブ会長” としてゲスト出演し、ファンを歓喜させるなど文学界を賑わせている。
一方、今年デビュー35周年を迎えた小比類巻かほるは、未だ収束しない感染症をものともせず精力的に活動。『35th Anniversary Live』が、10月18日にビルボードライブ横浜で、同31日にはビルボードライブ大阪で、それぞれ控えている。
もしかしたら、ふたりともとんでもない行動力と強運の持ち主なのかもしれない。今なお第一線で活躍するふたりは、こらからもきっとまた新しい世界を僕らに見せてくれるはずだ。
2020.10.13