2月13日

ダイアモンドの物語、ジャネット・ジャクソンとハーブ・アルパートの関係

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この夏、海の向こうのアメリカ、カリフォルニア州サンノゼではジャズフェスティバル(2018年8月10~12日)が催され、そこには御年83歳の大御所ハーブ・アルパートが奥方のシンガー、ラニ・ホールとともに出演していた。

1960年代から活躍し、耳に馴染みのある名曲をいくつもリリースし続けてきた名トランペッターであり、未だに第一線でステージに立っているというのだから、素晴らしいとしか言いようがない。昨年、放送開始50周年を迎えたニッポン放送『オールナイトニッポン』のテーマ曲「ビタースウィート・サンバ」でも御馴染みだ。また A&M レコードの創設者でもあり、バート・バカラックやカーペンターズ、セルジオ・メンデス等を輩出、プロデュースを行うなど良質のスタンダードポップスを世に送り出してきた。

妻、ラニ・ホールはセルジオ・メンデス&ブラジル’66のメンバーで代表曲「マシュ・ケ・ナダ」でヴォーカルを務めたことでも知られている。約半世紀もの間、ただ自分のレーベル持っているから、大御所だからというだけで、第一線で活躍し続けられるはずは無い。彼がいつまでも活躍し続けられるのは、時代にマッチした音楽を常に自分のスタイルに取り入れてきたからに他ならない。

70年代後半から80年代初頭にかけて、ジャズクロスオーバーやフュージョンが台頭。後の AOR ブームにもつながっていくのだが、そこで1979年リリースしたのがメロウかつスムーズな「ライズ」であった。日本でもキリン・シーグラム(当時)のウイスキー「ロバートブラウン」の CM に起用され、楽曲「ビヨンド」とともに有名になったが、この時まさか A&M レコードが、このスポンサーの親会社であるカナダの酒造メーカー「シーグラム社」の傘下に入るなどとは思いも寄らなかっただろう(1998~99年の間)。

1980年代中盤になってくると、R&B シーンはにわかに変容し、甘すぎるブラックコンテンポラリーから回帰して、よりソウルフルでファンキーな “踊れる” 音楽が勢いを増しつつあった。

A&M の制作チームは、かのプリンスの影響下にあったザ・タイムのジャム&ルイスを起用し、ジャネット・ジャクソンのアルバム『コントロール』で成功を収めると、ハーブは彼らを自らのアルバムの制作チームに招き入れた。アルバム『キープ・ユア・アイ・オン・ミー』から、まずタイトル曲を聴くと「これが?!」と耳を疑うばかりに変貌―― サウンドはあくまで時代性を優先して、高らかに吹き上げるブラスサウンドは封印されていた。

彼は演奏家としての矜持を示し、まるで「これもハーブ・アルパートですから…」と言わんばかりのパフォーマンスを発揮した。いいおっさんが不器用にステップを刻む様はある意味 “痛さ” を感じる向きも無いではなかったが、これが彼の流儀であり、こういった抗い方は個人的にとても好感が持てる。

ジャクソンファミリーの末妹・ジャネットが A&M レコードからデビューを果たしたのは1982年。当時若干16歳の時である。ジャクソンの兄たちは、エピックと契約していたから、普通ならエピックと契約すればよかったかも知れないが、彼らと比較されることを望まなかったジャネットは、ファミリーとの距離を置く―― 家族のサポートを受けられない環境下で、方向性を模索しながら、それまで2枚のアルバムを出したが、大きな成果が得られずくすぶっていた。

19歳になり、3枚目のアルバム制作に取り掛かろうとしていた時、彼女も「これがダメだったら、ミュージシャンの道を諦め、進学しよう」とまで思いつめていたという。その後、数年に亘ってパートナーシップを組むコンポーザー&プロデュースチームのジャム&ルイスと出会ったのは、まさにこの時であった。

一方のジャム&ルイスにも期すものがあったに違いない。プリンスファミリーのフロントマンとして、多くのチャンスを得てきたものの、あまりにも強烈な光を放つカリスマを前に、持てる力を存分に振るうことは叶わなかった。自身のファミリーを離れたジャネットと、プリンス殿下の影響下から解き放たれたいジャム&ルイス。彼らがブレることなく同じ方向を向いて、創作活動へ没入していったことは容易に想像できる。

アルバム『コントロール』は、兄マイケルの『スリラー』と『BAD』リリースの狭間にあったことも幸いし、当時のジャクソンファミリーの話題を独占。チャートを席巻し、500万枚ものセールスを築き上げた。ダンスパフォーマンスにも大きな影響を与えたポーラ・アブドゥルとの出会いもこの頃である。

そして、エンターテイナーとして総合的にビルドアップされていく彼女を目の当たりにして、ジャクソン家の DNA が末妹までも行き渡っていたことを改めて我々は思い知ったのだ。

A&M レコードの創業副会長、ハーブ・アルパートのアルバム制作には、こうしてレーベルに莫大な貢献を果たしたジャム&ルイスとジャネットが招集された。最もノッてるチームを当て、万全を期して、会社の顔であるレジェンドの顔を立てようというようにも見えるが、アルバムのリリースは『コントロール』のわずか1年後、既に規定路線で成功は予め計算されたものだったように思える。

例えば、ここは A&M レコードの重役フロアの一角。アルパート副会長が資料に目を通し、秘書に声を掛ける――

ハーブ副会長(HA)「あー、君。この若手社員がエラく売上に貢献してくれているようだが、このジャネット君とか言うのは、いったいどんな社員なのかね?」

秘書「はい、副会長。彼女はジャクソンファミリーの妹として、大きな期待を掛けられて、わが社へ入社しましたが、この4年あまり実績も残せずにいました。そろそろリストラか、というところだったのですが、ここに来て大化けしまして、我々も驚いているんです」

HA「おぉ、そうだったのか。大物ルーキーも東京ジャイアンツの岡本のようにようやく花開いたというところだな(言うか!)」

秘書「ええ、例のミネアポリスから連れて来たジャム&ルイスとかいう、手練れの連中と馬があったらしく、それから猛烈に仕事をこなして、いまやウチの稼ぎ頭ですよ」

HA「うむ、ここは金一封と言いたいところだが、だいぶ印税も入ることだろうしな、何か別の形で報いてやるとしよう。一度、このジャネット君とやらに会ってみようじゃないか」

秘書「承知しました… ちょうど今しがた得意先から戻ったようですね。早速来てもらいましょう。(電話)… あ、ジャネット君? お疲れのところ申し訳ないけど、ちょっと役員室までお願いできるかな。副会長が是非、君と話したいとおっしゃられてね。うん、すぐに頼むよ」

しばらくして ドアがノックされる。
~コンコン~

ジャネット(JJ)「ジャクソンです。ただ今参りました」

HA「かねがね君の噂は聞いているよ。大活躍だそうだね」

JJ「ありがとうございます。副会長にそういっていただけて恐縮です」

HA「私はマイケルにも会ったことがあるが、彼はいい青年だね。それに強いオーラを感じたよ」

JJ「兄は今忙しくて、最近ゆっくり話もしていないんですが、いつも気にかけてくれていて、いい相談相手なんです」

HA「そうかね。しかしやはり兄妹だね。君にも彼と同じオーラを感じるよ」

JJ「いや、私なんかまだまだ… 兄の足元にも及びません」

HA「そんなことはないさ。私は多くのミュージシャンを見てきたからね。君にはもっとチャンスが与えられるべきだと思っているよ」

JJ「ありがとうございます。その言葉を糧にまた明日から頑張ります」

HA「ところで君の活躍を見込んでのオファーがあるんだが…」

JJ「何でしょう」

HA「近々予定されている私のレコーディングに参加する気はあるかね。もちろんギャラは弾むよ」

JJ「あの、大変光栄なお話ですが… この場でご返事しないといけませんか(げっ、何でワタシがこんなオッサンのラッパ吹きに付きあわないといけないわけ…)」

HA「うむ、まあ急な話だからな。よく考えて返事をくれ。とはいえ、それほどは待てんよ。明後日はオールスタッフの顔合わせだからな。明日の昼までに返事をくれたまえ」

JJ「ところで、なぜ私なんかにお話を… 音楽のジャンルも違いますし、その、世代的にもだいぶ… アプローチの違いと言うか…」

HA「はっはっは。さぞかし、“何で私がこんな年寄りと!” とでも思ってるんだろう」

JJ「…(図星)」

HA「だが、私は君らがやろうとしていることを、私なりのやり方に変えてしまおうとか思っているわけではないんだよ。君たちはいつも通り君たちの音楽をしてくれればいい」

JJ「はぁ、いつも通りですか… それに君たちって」

HA「ああ、そのことだけど、今回はプロデュースをジャム&ルイス君たちに頼むことになっている。もちろん楽曲の提供もね。だから君なら相性もぴったりだと思ったのさ」

JJ「え、私ったらてっきり… このお話お引き受けいたします」

HA「いや、そんなに慌てなさんな。この話はまた明日また改めて」

JJ「いいえ、こんないいお話、お断りするわけがありません。私でよかったら是非やらせてください。必ずご期待に応えます」

HA「そうか… では、よろしく頼むよ。明後日のランチで会おうじゃないか。」

―― とまあ、こんな会話があったかなかったか分りませんが… こうして、ジャネットは「ダイアモンド」を含む2曲のメインボーカルを担当。果たしてその楽曲はというと確かに「ジャム&ルイス+ジャネット」のユニットがもたらす産物以外の何物でもないとは、まさに副会長の言葉通り(言ってねー)。

この曲はジャネットのアルバムに収録されていても全く違和感のない楽曲で、どちらが客演か分らないほどの “ジャムルイ節”。シングルカットされると全米No.1に輝いた。

60年代は「ディス・ガイ(This Guy's In Love With You)」、70年代は「ライズ」、そして80年代は「ダイアモンド」という、ハーブ・アルパートは 3decades でのNo.1ヒットを記録した稀有な存在となった。A&M レコードのポストを退任した後は、マイペースで音楽活動を続けているようであるが、彼の音楽は今尚生き続け、生演奏を聴く価値を高め続けている。

マイケル亡き後、ジャクソンファミリーで意欲的に音楽活動を続けているのは、もはやジャネットだけである。カタールの富豪と結婚したり別れたり、相変わらず私生活はお騒がせだが再びアルバム制作に入るとの情報もある。

彼女が隠居生活に入るのはまだ当分先のことだろう。

2018.08.22
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