86年、来日していたマイルスは佐藤孝信に会うなり開口一番「So What !?」ではなくこう言い放った。
「お前は今日まで、おれの為に服を創ってきたのか !?」
そして、二人の友情関係はマイルスが亡くなるまで続いた。この年、佐藤孝信率いるアーストンボラージュはNYコレクションに於いて、史上最多動員記録7,000人を集めていた。
その翌年87年2月17日、マイルスはアンディ・ウォーホルを誘ってアーストンボラージュのショーにモデルとして出演する。場所はNYの地下鉄駅を改装したトンネル。この様子は、シライ・スス写真展『追悼24 Miles Kiss From』(2015.9.29 - 10.31.)で紹介された。
アーストンボラージュ、僕はその服を知っていた。当時の愛読書『Check Mate』(講談社)に頻繁に登場していたのだ。
少年隊はヒガシの押し切りで、ステージ衣装はアーストンボラージュと決められていた。彼らの姿はTVでよく見かけたが「白と黒しか着ない」と豪語するだけあってヒガシだけは似合っていた(モッくんの方が似合うと思うが)。
そして真打登場!安全地帯 玉置浩二である。
TV出演した彼は7タックはあろうかというジョッパーズを穿いて「ワインレッドの心」を歌ったと言いたいが、衝撃的過ぎて曲どころではなかった。それはクールで知的な爬虫類顔の玉置浩二に途轍もなく似合っていた。
僕は当時現金手渡しだったバイト代を握りしめ中心街へ。しかし、何処にもアーストンボラージュのショップがない!
地元の百貨店のマヌカンさんに尋ねると「麻布まで行かないとないかも!?」と言われ、「麻布? 近いのか、遠いのか??」とお話にならないレベルで、イケてなかった。
多分、その時 俺はこの街を18になったら出てみせる。そして、ボラージュ着てマヌカンのお姉さんと付き合うんだと決めていた。そう、浜田省吾を聴きながら決意した17の夜。
後から知ったのだが、ザ・カーズのリック・オケイセックもボラージュ愛用者。この人とマイルスは別次元の格好良さ!! 誰も真似出来ない。
さらに後日談。玉置浩二の7タックジョッパーズ、実は『PASHU』というブランドだという事を知る。パシュについては機会がありましたら。
2017.05.04
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