7月25日

総制作費200万円、すったもんだの「ゴンチチ」レコーディング顛末記

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ゴンチチのファーストアルバム「ANOTHER MOOD」がリリースされた日
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後に “GONTITI” と名乗ることになる、文字通り名も無きアコースティックギターデュオのアルバムをポリスター・レコードから出せることになりましたが、制作予算は200万円。

レコーディングスタジオが1時間3〜5万円もした頃ですから、普通のスタジオを1週間も使ったらそれだけで尽きてしまうほどの緊縮予算でした。

アレンジャー、エンジニア、ゲストミュージシャンなどの人件費や、GONTITIの二人は大阪在住ですから、東京でやるなら彼らの、大阪なら我々の交通費・宿泊費も発生します。

二人のアコースティックギターだけでスタジオライブ的に録音すれば、ビートルズが1st アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を10時間45分で録音してしまったように、丸一日もあればできてしまうのかもしれませんが、なぜか私にそういう考えは全くありませんでした。

エンジニアには飯泉俊之くん、サウンドプロデューサーに “チャクラ” の板倉文くんをお願いし、快諾してくれました。デモテープを録った大阪の『ニュートン』という名のスタジオには、キーボードが弾けてシンセサイザーのオペレーションも得意な若者がいると聞き、アルバムでもお願いすることにしました。名前は松浦雅也。後に “PSY・S”、さらにはゲームプロデューサーとして大活躍することになるその人、当時は弱冠19歳の好青年でした。

ニュートンは安く使わせてくれるし、「フェアライトCMI シリーズII」という、1982年に輸入販売が始まったばかりの、サンプリング機能を持った最新鋭の、したがってとてつもなく高価な(1200万円!)シンセサイザーがありました。それを大いに使ってサウンドの枠組を作ろうということになりましたが、ニュートンは簡易スタジオなのでプロ用のマルチトラック・レコーダーがありません。

大阪で安いレコーディングスタジオを探して、フェアライトを借りるのは高くてムリだから、ニュートンのフェアライトを運ぶか…… などと思案していると、マネージャーの、いやその後マネージャーになる佐脇章太くんから、大阪は門真にある松下電器の研究所が持つ音響実験用のスタジオを特別に貸してくれるという朗報が飛び込んできました。たまたまその時、佐脇くんの奥さんが松下で働いており、話をしてくれたのでした。

何しろ大企業だからその設備は一流スタジオも顔負けで、録音ブース内の残響を変える機能までついていました。そして驚いたことに、そこには「フェアライトCMI シリーズII」があったのです。

まだ東京でも見たことがなかった稀少なシンセがなぜか大阪に2台!

実は、フェアライトは松下電器が輸入(販売はナニワ楽器)していたというのがそのカラクリでした。これはもう奇跡と言えるほどの運のよさではないでしょうか。

ただひとつの難点は、使用時間を会社の勤務時間に合わせなければならない、つまり9時から5時までということでしたが、我々はともかく、GONTITIの二人はサラリーマン兼業ですから却ってやりやすかったかもしれません。

さらに、門真は佐脇くんの実家の近くだったので、ありがたいことに彼の母上がみんなの分の昼食を毎日こしらえてくれました。大きな経費節減でしたし、何より美味しかった。

そんなこんなで、初めてのレコーディングで緊張もしていただろう二人のギタリストも、しだいにリラックス、大阪人の本領発揮でしゃべりまくりの笑いまくり、和気藹々の現場となっていきました。

二人の会話があんまり可笑しいのでこっそり録音したのですが、あれはどこにいったんだろう? アルバムの中、「トルコ行進曲」の最後にほんのちょっぴり入ってはいますが……。

まさに、「天は我に味方したー!」なんて叫びたかったほど、いろんなラッキーが重なって、GONTITIの1st アルバム『ANOTHER MOOD』は、無事に200万円の予算以内で作り上げることができたのでした。

ところが、順風はそこまで。

発売を待たず、ポリスター・レコードの担当のSさんがなぜかやめてしまったのです。そうなると担当セクションの「環境音楽レーベル」もあっという間に瓦解、当然宣伝など何もしてくれず、全く売れる気配もなく、契約も終了ということに。

今度は「天は我を見放したー!」と叫びそうになりました……。

2017.09.18
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  YouTube / tomorobin
 

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1967年生まれ
にしやん
GONTITIはエピックの人ってイメージだったのですが、デビューはポリスターだったのですね。
どうやって売れていったのか知りたいなぁ。。
2017/09/19 11:45
4
返信
カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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