『マネキン』という映画が最近 DVD&Blu-Ray で発売された。批評家筋からは殆ど「最低」に近い評価を賜っているが(ロッテン・トマトによれば肯定的意見は20%)、逆説的にいまでは「カルト・クラシック」の地位を得ている(と信じる)。それゆえ待望のソフト化だった。
ショーケンが表紙の『キネマ旬報』(2019年5月上・下旬合併号)に映画評を寄稿したのだけれど、そこで書きそびれたスターシップが演奏する主題歌「愛は止まらない」についても映画に絡めて書きたくなった。アルバート・ハモンドとダイアン・ウォーレン共作という超豪華な一曲だが、この「愛」の向かう対象こそが映画では問題となる。それは、後述するミュージックビデオから窺い知ることができるのだ。
その前に『マネキン』という映画の簡単なあらすじ。彫刻家志望の主人公ジョナサンは冒頭マネキン工場で働いているがノルマをこなせずクビになり、その後も就く仕事就く仕事「アーティスト気取り」が災いして続かない(ピザ一枚つくるにも「ゲージュツ」してしまう!)。そんな折、落下する看板から身を挺して守った老婆がたまたま百貨店の社長で、そこへの就職を斡旋してもらうことに。
在庫係として就職が決まったあと、そこで自分がマネキン工場で作ったマネキンと再会する。彼女は「エミー」を名乗り、ジョナサンの前でだけ「人間」としてふるまう。夜勤中に彼女とイチャつきながらつくったディスプレイが好評を博し、ディスプレイ係に昇進して快進撃がはじまる。
しかしこのジョナサンというのが結構酷い野郎で、セクシーで美人な「リアル彼女」がいるにも関わらず、「ちゃんと働きなさいよ」などと口答えする女なんてうぜえとばかりにマネキンにうつつをぬかす。普通だったらこの手の「人形愛」は罰せられるというか悲劇的に描かれることが多いのだけれど(例えば石井隆の名作『フィギュアなあなた』)、本作ではそうした悲壮感はゼロで、最後は都合よくマネキンが人間になってくれて、結婚まで至る。
という、筋としては何ともお粗末なものなのだが、バイプレイヤーたちの異様な生命感というか魅力によってこのあたりは克服されている。ルパンを追いかける銭形といった役回りのマヌケで偏執狂的な夜警を演じるG・W・ベイリーもいいが、とくにジョナサンの同僚であるエキセントリックなオカマ(断じてゲイではなくオカマと表記されるべき強烈さ!)のハリウッドが群を抜く。演じるはメシャック・テイラー。
ところで「オカマは前衛である」と言ったのは故・平岡正明であった。トレードマークのド派手なサングラスなど見た目もさることながら、demonstration の異様に引きのばされた発音ひとつ取っても、彼だけが前衛だと分かる。
やはりそのインパクトを買われてだろうか、「愛は止まらない」のミュージックビデオにはハリウッドが特別出演している。マネキンのグレイス・スリックに人間のミッキー・トーマスが恋をしてマネキンに命が宿るというところまでは映画と同じ流れだが、二人がデュエットしたのち、最後は逆転して人間のほうがマネキンになって結ばれるというストーリー仕立てで、ここでもハリウッドは二体のマネキンの愛を取り結ぶ祭司のように登場する。
傑出した同性愛者ハリウッドは、人間とマネキンの恋に対して退屈でジョーシキ的な差別心はいっさい抱かず、夜な夜なマネキンを抱擁するジョナサンをみても「アーティストだものね」と優しく受け入れる。
要するに井上光晴を「全身小説家」と呼ぶならば、「全身オカマ」と呼ぶべきハリウッドというキャラクターが物語るのは、愛する対象は「何でもあり」だということ。同性愛が差別されるいわれがないように、人形愛も差別されるいわれはない、という人間の抑えがたい欲望噴出を全肯定するアツいメッセージを読み取ることで、『マネキン』は単なる駄作ではなく、再評価されるべき現代的作品となるのだ。これは、主題歌「愛は止まらない」のミュージックビデオからも感じることができるはずだ。
2019.05.04
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