10月21日

本格派アイドル!ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの伝わらない本物感

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ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのセカンドアルバム「NEW KIDS, ストリート・タフ宣言」(日本デビュー盤)がリリースされた日
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ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、1990年ついにブレイク!


NEW KIDS ON THE BLOCK(ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック 以下、ニュー・キッズ)の日本でのデビューアルバムが発売されたのは1988年の10月でした。このグループには沢山の想い出があります。欧米での大ブレイクに先駆けて日本では、初期の段階からプライオリティとして時間と労力と宣伝費を投入していましたが、日本のマーケットは動かず。ブレイクするまでの苦労話やエピソードには事欠きません。

結論から言うと、彼らのブレイクは、1990年の新譜『ステップ・バイ・ステップ』まで待つしかなかったのです。振り返ると1988年、1989年の2年間でプロモーション来日は2回。海外取材は4、5回はやりました。いくら本物アーティストとはいっても、MTV以降、洋楽がTVの力でお茶の間に登場し、紹介される時は顔かたちから入ります。となると、どうしても可愛い顔をしたボーイズはアイドルとして取り扱われるのです。現役時代、新人ブレイクを狙って何人もトライしましたが、ここまで長丁場になったアーティストはニュー・キッズだけです。結構な時間とお金をかけました。



1988年4月に発売されたセカンドアルバム(同年8月発売)からの先行シングル「プリーズ・ドント・ゴー・ガール」が、じわじわとチャートを上がり始め、7月末にビルボードの46位という微妙なランキングで初めてこちらも気付き、8月の社内編成会議を経て10月21日の日本発売が決定しています。

チャートも上がってきたので、当初はとりあえず様子見つつのリリースでしたが、彼らの主力ユーザーは分かり易く、ティーンエイジャー女子だと思われたし、本国のチャート的にも地味でした。アメリカのヒットを背景に宣伝していくというより、日本型にして、アイドルマーケティングをやってみようと決めました。そうなると男子社員がやるより、チームで一番若くユーザーに近い女子スタッフに制作担当を任せるべきです。ちなみに私自身の立場は課長としてチームをまとめつつも、バングルスやビリー・ジョエルなどは引き続き制作の現場をやっていました。

全米ラジオチャート、ビルボードでも急上昇。しかし日本では…


ところが発売日近くになると、一旦下げたチャートも再浮上し始め、全米ラジオチャートもビルボードでも10位まで上昇したのです。トップテン入りは、立派なアメリカンポップスですし、本物のヒットアーティストとしての資格もあります。日本独自で作り上げようとしていたマーケティング作業も急遽変更を余儀なくさせられ、例えばジャケットや制作物では、いかにもアイドルアイドルしていた写真を使用する予定でしたし、アーティスト名のロゴタイプなども、女子が喜ぶ可愛い感じからオリジナルに戻し、発売直前に制作物関連での変更作業を行っています。

実はトップテン入りしたと言っても、本国でも予想以上にアルバムチャートは上がってこないし、プライオリティにするには背景が今一つでした。とは言え、彼らはアジアのある国を訪れた帰路のタイミングで東京立ち寄りが可能だと連絡が入り、プロモーション来日を行うことを決定しています。いまさら日本型に戻すわけにもいかず、本国の様子を伺いながら、というやや中途半端な状況のまま、11月の来日が実現しました。滞在も数日程度のもので、基本の音楽専門誌の取材以外では、新宿で行ったストリートライブを通じて、ユーザー世代の反応を見て、引き続き手探り状態であることは変わらずでした。

この11月のプロモーション来日時に、彼らから貴重な情報を入手。実は、ハワイでとんでもない人気になっている、と。現時点で地球上で熱狂的なファンがいるのは唯一ハワイだと。そして12月年末にハワイでライブをやる予定、とのこと。この熱狂ぶりを報道スタイルで日本に持ち込むことができれば本物感が伝えられる、ということで、我々は急遽ここにマスコミやジャーナリストを送り込むことを決めたのです。

正月の芸能人取材を常にしているのでスポーツ新聞は全紙協力してくれました。現代のSNS的な効果を狙ったものですが、スポーツ新聞の芸能欄に取り上げられた記事がTV各局のワイド番組にピックされて広がっていく―― というのが当時の話題作りの定番方法でした。

ハワイでの女の子たちの熱狂、そしてボストンで取材を敢行


実際ハワイにいって驚きましたが、グループの空港到着時には到着ロビーに女子ティーンエイジャーが殺到し悲鳴嬌声の嵐。なにしろハワイですから空港もセキュリティなど甘く、「大丈夫かな…」と思えるほどファン達が機内から降りてきたメンバーに殺到するのです。お陰様で、この混乱の空港映像と写真は撮れましたし、またライブとはいっても、ホテルの広いボウルルームの仮設ステージの上で、シンプルな照明でバッキングトラックで歌って踊るだけですが、ファンの嬌声や叫び声はしっかりキャッチすることできました。

ハワイの様子は、当日のうちに全紙、東京へ送り即時記事にしてくれましたが、年末ということで学校も休みに入っているし、TVワイドショーも年末特番でしたので、残念ながら期待したほどの話題にはならなかったようです。

この時点では、アメリカでも何も起きず、もちろん日本でも何も変わりませんが、ハワイでの女子たちの熱狂ぶりを目の当たりにすると益々そのポテンシャルに確信を得ました。アメリカを待たずに痺れ切らして、日本では一気にプライオリティに格上げし、年が明けて今度は音楽専門誌でのボストン取材を敢行しました。

このテに敏感な音楽専門誌の全面協力もあったものの、それでも商品は大して売れず、立て続けに4月には2回目のプロモ来日を実行。今度はしっかりとプランも時間も確保し、東京だけでなく大阪や名古屋へも乗り込んで地元の人気情報番組に出演。それでも投入した労力の割に売上数字は追い付かず、やっているこちらもさすがにめげそうになっていました。

「アイル・ビー・ラヴィング・ユー」でブレイク! 彼らを支えたのは人情型マネージャー


この1989年前半には、セカンドシングルがビルボードチャート3位にあがり、二つ目のヒット曲が生まれていました。本国では徐々にアルバムは売れ始めていたのですが、4月のプロモ来日終了時点ではアメリカでも “ブレイク” の兆しまではなかったのですが、いよいよ大爆発の瞬間が近づいてきたのです。

1989年6月、2回目のティファニー・ツアーの前座としてスタートした直後、3枚目のシングル「アイル・ビー・ラヴィング・ユー」が全米No.1になった瞬間に、それまでの溜まったガスが大爆発したかのような勢いで、突然の大噴火が始まったのです。アルバムは売れ始め、ツアーではティファニーと逆転してヘッドライナーに変わるなど、天地がひっくり返るほどの勢いで一気に社会現象化してしまったのです。

それでも残念なことに日本では何も起こりませんでした。でも、もう意地ですね。今度はこのアメリカ本国での熱狂ぶりを、伝えようと8月にローリング・ストーンズの全米ツアーにくっつけて、ジャーナリストと共に3回目のアメリカ取材を敢行―― とやったものの、この時期、ブレイクには程遠いものでした。

最後に付け加えます。我々は、彼らの無名時代から一生懸命に応援していたので、最初のプロモ来日で会った時には、マネージャーからは「日本に来て勇気をもらった」と感謝してくれたし、大ブレイクのあと、ツアーに忙しく世界中から殺到する取材を一切受け付けなかった時でも日本チームからの取材オファーだけは、喜んでやってくれました。彼は既に亡くなっていますが、アメリカ人には珍しい人情型のマネージャーでした。

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2022.09.16
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カタリベ
1950年生まれ
喜久野俊和
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