1960年代生まれなら、洋楽を好きになったきっかけがベイ・シティ・ローラーズ(以下BCR)という人は多いんじゃないだろうか。
70年代半ば、すさまじいほどのBCR人気は、彼らのトレードマークだったタータンチェックにちなんで、タータン・ハリケーンなんて呼ばれていた。
63年生まれの姉がBCRに夢中になったことで、我が家にもタータン・ハリケーンは吹き荒れた。子供部屋にある “てんとう虫型レコードプレーヤー” で物足りなくなった姉は、茶の間のステレオで、BCRのLPレコード『青春のアイドル』『青春に捧げるメロディー』をかけまくった。
最初はうるさがっていた母も、「あら、いいわね」と彼らの曲を口ずさむ。小学生だった私も、ポップで覚えやすいBCRの曲を好きになっていった。海の向こうの曲がこんなに楽しいんだってことを、最初に教えてくれたのはBCRだ。
たしか姉は、今のジャニーズファンのように、メンバーの誰担当というのを友達と決めていた。姉はベースのウッディ担当。そのため、マフラー、手提げ袋、ペンケース、ハンカチなど、あらゆる身の回り品をウッディのトレードマークである黄色のタータンチェックにしていた。
さらに、BCR出演番組は、ラジオもテレビもすべてカセットテープに録音。そのせいで、私もNHK『ヤング・ミュージック・ショー』の音源を何度も聴かされた。
We Love You, Rollers!
という開演前とアンコール時の観客のコール、レスリーの「ミナサンオアイシテマス」というサービスMCが記憶にすりこまれるほどに。
Wikiを見ると「78年ごろには人気が下降線をたどってしまった」とあるが、実際その頃には、姉の興味はチープトリックにうつっていたように思う。たくさんあったタータンチェックのグッズも、徐々に色あせ、いつの間にか家の中から消え失せていた。
さらに、「BCRって、ほんとは演奏してないらしいよ」と、彼らの悪口まで言い出す始末。あんた、あんなに夢中だったじゃん!
いや、悪口を言うくらいなら、まだいい。80年代に入ると、姉の口からBCRの話題は一切出なくなった。
「イエスタデイズ・ヒーロー」というBCRの代表曲がある。サビでレスリーが「過去のヒーローにはなりたくない」と叫んでいたが、現実は無情。あっという間に「イエスタデイズ・ヒーロー」になってしまった。
私にとってBCRは、洋楽の楽しさを最初に教えてくれたバンドだ。同時に、ポップグループの儚さを教えてくれたのも、BCRかもしれない。
2017.05.14
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