みんなのブルーハーツ ~vol.4■ THE BLUE HEARTS『パンク・ロック』
作詞:甲本ヒロト
作曲:甲本ヒロト
編曲:THE BLUE HEARTS
発売:1987年5月21日(アルバム『THE BLUE HEARTS』)
「吐き気がするだろ みんな嫌いだろ」
ブルーハーツのファーストからもう1曲、この曲を取り上げます。甲本ヒロト作品と真島昌利作品を交互で紹介する予定でしたが、ファーストが甲本ヒロト優勢なのか、いや、真島昌利には超ド級の『終わらない歌』があるから五分五分か。まぁ、今さら比べてもしょうがないのですが、とにかく今回は、ファーストの中である意味、最大の問題作を。
と言いながら、私自身この曲が「問題作」と思ったことはなかったのです。それでも、こういう書きっぷりを読むと、波紋を呼んだんだなぁと、あらためて痛感します。
―― それは社会への反逆を売物にしていた70年代のパンク・ロッカーなら、冗談じゃねえ、と言いそうな歌だった。
高名な音楽評論家・北中正和『Jポップを創ったアルバム』(平凡社)より。「冗談じゃねえ」ですから、物騒なことこの上ありません。そしてこれは、世代的にパンクを真っ正面から受け止めた彼本人の気持ちだったとも、推察できます。
それでも、北中正和はこう続けます。
―― しかし、ザ・ブルーハーツの何のてらいもない素直な歌から受けた印象は、意外にさわやかだった。
この構造は『リンダリンダ』の項で紹介した、大槻ケンヂの心境変化と同じです。パンクというジャンルを、真っ正面から引き受けた人たちが「ブルーハーツ節」に一瞬、嫌悪感を抱くも、やっぱりいいなと態度変容する。
そして無党派票としてのパンク素人だけでなく、パンク玄人の固定票も含めた大きな得票によってブルーハーツが、80年代後半の「ロックバンド総選挙」でトップ当選する――。
では、私はどっちだったのか。もちろん「パンク素人」。少しだけ思い出話をすると、私にとってのパンクとは、80年代前半に人気を得たパンク・バンド=アナーキーに他なりません。
実は好きだったのです、アナーキー。貸レコード屋でLPを借りてカセットに録音した彼らのファーストアルバム『アナーキー』(1980年)も持っていました。しかし、その事実を友だちに話せない理由があったのです。
それは… アナーキーが「ヤンキー」の音楽だったから。
校内暴力が吹き荒れ始めた1980年の大阪、私は中2でした。何人かのヤンキー(不良少年、一部少女)たちがクラスを牛耳っていて、僕は、そんなヤンキーたちに目を付けられないよう、いじめられないよう、息を殺して毎日を過ごしていました。
ヤンキーが聴いていたんですよ、アナーキーを。それも横浜銀蝿などと一緒に。もし、文化系のロックファンだけではなく、もっと広大なヤンキー市場にまで浸透したものこそが真のパンクだと定義するならば、日本のパンク・バンドはアナーキーだけということになりそうです。
ちなみに、『別冊宝島681 音楽誌が書かないJポップ批評20 ブルーハーツ』(宝島社)の中で、ブルーハーツのセカンドアルバムをプロデュースした佐久間正英はこう語っています。
―― 個人的に日本のパンク・バンドに関しては、アナーキーに始まり、アナーキーで終わったと思っています。
話を戻すと、ブルーハーツ『パンク・ロック』の歌詞=「吐き気がするだろ みんな嫌いだろ」は、当時の僕が、同じくヤンキーになれない、おっとりとした友人を家に呼んで、カセットで『アナーキー』を聴かせるというシチュエーションで、しゃべりそうなフレーズです。
「あのヤンキーら、俺、嫌いやねん。吐き気するねん。でもな、あいつらが聴いてる『アナーキー』、実はええねんで。『ノット・サティスファイド』、聴いてみよか」…こんな感じ。
以降、触れるように、この『パンク・ロック』は問題作で、結構な批判を浴びたらしい。しかし、その分、ヤンキーに、つまりはパンク的なあれこれに対して、息を殺しながら「嫌いやねん。吐き気するねん」と言いながら、それでも惹かれてしまっていた私のような、言わばサイレント・マジョリティの気持ちを肯定して、見事にすくい上げたのです。
「吐き気がするだろ みんな嫌いだろ」
―― この歌い出しには、1980年の私の気持ちが詰まっています。
「僕 パンク・ロックが好きだ」
1987年の段階における「僕 パンク・ロックが好きだ」というフレーズがいかに衝撃的だったか。
この連載のために、ブルーハーツ関連の本や記事をあたっていますが、このフレーズについては、とにかく散々な書かれ方をしています。
先の北中正和の言葉に加えて、こんな書かれ方もしているのです。
――だが、あくまでそれ(註:パンクの意)は過ぎ去った出発点であり、「パンク・ロックが好きだ」と正面から歌い切る表現は、「おまえバカか?」と冷めた目で言われかねないものであった(『レコード・コレクターズ増刊 JAPANESE ROCK 80'S』ミュージック・マガジン)
「『おまえバカか?』と冷めた目」ですから、こちらも散々な言われ方。
若い読者のために補足説明すれば、「おまえバカか?」と言っているのは、古くからのパンクのリスナーで、70年代後半にリアルタイムでクラッシュやラモーンズ(何となくですが、セックス・ピストルズは入らない気がします)を聴いていた、つまりはパンクのオールドファンでしょう。
パンクに喚起され、パンクを「過ぎ去った出発点」とした人たちの前に、突然若造が出てきて(当時、甲本ヒロトは25歳)、「♪ぼく ぱんく・ろっくがすきだぁ」と、朴訥とストレートに、そしてさわやかに歌いだした。
そりゃ、カチンときたでしょう、オールドファンは――
「お前なんかにパンクの何が分かるんだ!」
「パンクは、そんなストレートに好きといっちゃいけない、もっと危険で尖った音楽なんだ!」
―― と。
言うまでもなく、そんな見方は狭量だったということです。そして、パンクのオールドファンではない、多くの(普通の)ロックファンが、この『パンク・ロック』を支持した結果、今では名曲として讃えられているのですが。
ただ、ある先鋭的な歌詞が出てきたとき、狭量なオールドファンから批判されるのは、ある意味、日本ロック史の「あるある」なのです。
もっと顰蹙(ひんしゅく)を買った、今風に言えば「炎上」した曲として、吉田拓郎(当時「よしだたくろう」)のデビュー曲『イメージの詩』(70年)があります。
―― 古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
いい歌詞だと思うのです。普通にいい歌詞。しかし、時代状況を考えると、おいおい、となる。
1970年ですから、戦後25年。たった25年。ということは、26歳以上は戦争体験がある。中年には徴兵された経験さえある。さらに、吉田拓郎が育った広島には、原爆投下の傷跡が、まだ生々しく残っている。
そんな中、戦争を知らない戦後生まれ、長身で長髪、ラフな格好の若者が、ざっくばらんな口調で「古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」と歌っている――。
被爆体験のある広島の大人たちから「お前なんかに人生の何が分かるんだ!」と言われたのではないでしょうか。いや、実際に言われて、相当な物議を醸したことでしょう。
しかし、だからこそ、この曲は強烈に支持された。それどころか私はこの、戦後生まれの若者の心から湧き出てきたような自作歌詞・自作メロディは、のちのJ-POPを基礎付けたとさえ思うのですが。
音楽シーンへの革命は、守旧派からの批判を浴びる。よく考えたら、当たり前のこと。
例えば今、「僕 シティポップが好きだ」と歌うシティポップ・バンドが出てきたらどういうことになるでしょう。「パンク・ロック」と「シティポップ」は階層の違う概念とは知りつつの例え話として。
私なんかは、一言言いたくなることでしょう。「こちとら『真夜中のドア』をリアルタイムで聴いたんだぞ」と。そうなると、私も狭量な守旧派ということになるのかも。でも言いたくなるのだから、しょうがない。
ただ、とにもかくにも、「僕 パンク・ロックが好きだ」は当時の私に迎えられ、多くのロックファンにも迎えられ、生き残り、そして「問題作だった」と過去形の補足が付いた形で、ブルーハーツの代表曲として、今でも聴かれ続けるのです。
あ、最後に問いを1つ。こう歌うバンドが今出てきたら、あなたはどう思いますか?――「僕 ブルーハーツが好きだ」。
「あぁ やさしいから好きなんだ」
この問題作を、決定的に問題作たらしめたのは、前項の「僕 パンク・ロックが好きだ」ではなく、この「あぁ やさしいから好きなんだ」だったと思います。今でいえば、炎上のための「燃料」投下フレーズということになるのでしょうか。
ブルーハーツ=「やさしさロック」という形容。今の時代では、この形容、決して蔑称には見えませんが、当時としては、かなり侮蔑的なニュアンスを含んでいたと記憶します。
しかし、彼らは、そんな批判などどこ吹く風と、むしろ、さらに輪をかけて「やさしさ」を主張する「人にやさしく」という名曲を生み出していたのですが(ファーストアルバムに先駆けて87年2月に自主制作盤として発売)。
では、「やさしさ」が、当時なぜそれほどまでに侮蔑的なニュアンスを含んでいたのか。それは――「やさしさ=ニューミュージック」だったからです。
「ニューミュージック」はもう死語ですね。主に昭和50年代=70年代後半から80年代前半に使われた言葉で、70年代初頭からのフォークから、70年代後半における矢沢永吉やサザンオールスターズらによるロックまでを含んだ、日本における自作自演大衆音楽の総称。
ニューミュージックの歌詞の中心観念だった「やさしさ」が、結構批判されたのです。そう考えると、日本の大衆音楽の歴史は、歌詞批判の歴史ですね。
また、批判の構造も似ていて、当時、ニューミュージック的「やさしさ」に溢れる歌詞を愛でる若者に対して、ひと世代上の、つまりは学生運動世代が「甘っちょろいんだよ」と責めた。
話を戻すと、「あぁ やさしいから好きなんだ」とか「やさしさロック」は、二段階の批判を浴びたのです。学生運動世代(の評論家など)からの「甘っちょろいんだよ」という批判に加えて、先の狭量なロックファンによる先の狭量なロックファンによる「やさしさなんてニューミュージックじゃねぇか、ロックじゃねぇよ」的批判。
ああ、大変だ。
まぁ、そんな批判なんて、今さらどうでもいいのですが(その上、批判した人たちの一定数は、その後に改心して、ブルーハーツを支持し始めた)、重要なのは、このような「燃料」投下フレーズを生み出したブルーハーツのセンスです。
今風に言えば――「逆張り」。逆張りの歌詞で世間の耳目を集め、批判も浴びながらも、注目と改心も集めて、さらにファンを吸引していくという、ブルーハーツの「ギャクバリズム」(=逆張りズム)。
よく考えたら、彼ら、特に甲本ヒロトは、すごく優秀なマーケッターだったのではないか?
「炎上商法」というと、この上なく軽いのですが、それでも「あぁ やさしいから好きなんだ」という、今だったらツイッターのトレンドワードになりそうなギャクバリズム・フレーズを、計算ずくで差し出してくるセンスは、やはり只者ではない。
さて、時を経て今、音楽シーンにおける最強のギャクバリズムは、メッセージソングです。数年前、「フェスに政治を持ち込むな」という意見が出たほどに、今の音楽シーンとメッセージソングとは、噛み合わせが悪い。
それでも、さすがに、あまりにもきな臭い世情に感化されたのか、桑田佳祐や佐野元春、山下達郎などのベテラン勢が、今年に入ってメッセージ性の強い作品を、次々と世に問い始めた。
メッセージソング好きな私は、それらを聴きながら思うのです――「今、あの頃のブルーハーツがいたら、何を歌うだろう」。
「今、あの頃のナンシー関がいたら、何を書くだろう」と同じくらいの頻度で、最近そう思うのです。もしかしたら「令和のブルーハーツ」は、渾身のギャクバリズムで、国葬や統一教会について歌うかもしれない。めっちゃ聴いてみたい。
―― なんて、35年前にリアルタイムで『バンク・ロック』を聴いた私は思うのです。それほど私はメッセージソングが大好きなのです。
なぜか? 「やさしいから」に決まっているじゃないですか。
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2022.11.19