最新のヒット曲を追い続けて…
最新のヒット曲を追いかける。気が付いてみればそんなことを “趣味” にして、43年が経った。今となってはほぼ日常の一部と化してもいるし、今後も続けて行くんだろうな。めちゃくちゃ飽きっぽい私がこんな長年にわたって飽きもせずに続けているわけだから、よっぽど性に合ってるんだろうね、この趣味は。
もうひとつ、これだけ長く続けてこられたというのは、仕事として飯の糧にしなかったというのもあるかもしれない。仕事となればやりたくないこともならなければならないだろうし、人間関係の不和っていうのもあるだろう。
だからという事でもないだろうけど、もし、仕事としてヒット曲を追いかけて来ていたら、きっと40年以上も続けられなかっただろうと思いますね。あくまで趣味としてヒット曲を追い続けてきたからこそ、ここまで長く続けて来れたんだろう。
もちろん、その間ずっと、1日たりとも欠かさずヒット曲を追い続けてきたわけじゃない。振り返ってみれば、一時期ヒット曲から離れていたという時期も何度もあった。だからこれは、その時点での最新ヒットから離れていたという意味で… ということ。
1986年、ヒットチャートの流れとは違うトレンドが
1986年はおニャン子ブームだった。この1年で、52週中36週もオリコン1位をおニャン子関連の曲が獲得し、少なくともレコードの売上的にはおニャン子一色だったんだよね。私も当初はおニャン子に好意的だったけども、1986年夏頃、“各方面の折り合いが…” ということで、おニャン子が『ザ・ベストテン』に出演しなくなった頃から彼女たちから離れた向きはある。同時にヒット曲全般からもやや距離を置き始めていた。
… というのも、私の興味は最新ヒットより、GS(グループサウンズ)に向かい始めていたからなんですね。 1986年当時、“ネオGS” というムーブメントが勃発し始めていた。この頃は、テレビ放送開始後30年を経過した時期でもあり、30年を振り返る… 過去を掘り返す… という傾向が出始めていた。そんな流れも手伝って、60年代の “本家GS” が再び注目され始めていたわけですね。
私的にはあの頃聴いたGS、かっこよかったんだよなぁ。特にザ・ゴールデン・カップスのデビュー曲「いとしのジザベル」。これに衝撃を受けた私の音楽的な興味は、完全に最新ヒットから離れ、時代的には全く逆の年代に向かっていたのは確かだ。
アイドルとは別のベクトルを向いた新しい世代の登場
一方、最新ヒットチャートにもおニャン子やアイドルとは別のベクトルを向いた新たな流れが出始めていた。BOØWYが「B・BLUE」でベストテン入り。インディーズシーンではザ・ブルーハーツの人気が爆発していた。
それよりも一足早く、渡辺美里や中村あゆみ、あるいは尾崎豊といった新たな世代のミュージシャンがヒットチャートを席巻してきていた。
リンゴっ子―。
そんな言葉を聞いたのは渡辺美里からだった。リンゴというのは、果物ではない。“輪後”、つまり “五輪後” のことだ。東京オリンピックの後に生まれた世代をそう呼ぶのだと彼女は言った。
田家秀樹氏の著書『読むJ-POP 1945‐1999 私的全史 あの時を忘れない』の言葉を借りると、そんな新たな世代の台頭だ。
チャートはまだまだアイドル全盛、そんな中で存在感を放ったBOØWY
BOØWY「ONLY YOU」が、オリコン初登場で最高4位を記録した1987年4月20日付ランキングをみながら、私は “ハッ” と我に返ったような気分になった。たしかに当時のオリコンシングルチャートを見ると、まだアイドル勢が上位を占め、見た目上はアイドル全盛が続いているかのようにも見える。
でも、BOØWYの「ONLY YOU」は、ヒットチャートの中でアイドルたちの曲に囲まれながら存在感がひと際目立った。大げさに言えば後光がさしているようにも見えた。コトバではなかなか表せられないのが歯がゆいのだけれど、何か新たなムーブメントが始まるような予感がした。
しかしながら実際には前年9月にリリースされた「B・BLUE」の時点でBOØWY快進撃のムーヴメントはすでに始まっていたのだ。
そんな新たなムーヴメントを見落とし、その間、音楽嗜好が60年代に向かっていた私は、この時点でBOØWYの曲をまだまとも聴いておらず、どんな曲なのかも知らなかったのだ。時代に置いて行かれて「しまった!」と気が付いたものの、時既に遅しだった。そんな折、この年の高校の文化祭で私はBOØWYについてさらなる衝撃を受ける。
すさまじかったBOØWY人気、コピーバンドが続出!
1987年6月、私の高校では文化祭が開かれていた。当時私は高校3年生。文化祭のステージには10組のバンドが出演した。そのうちの9組がBOØWYのコピーバンド。そのくらい男子の間ではBOØWY一色だった。
たしかにオリコンランキングの上でもBOØWY人気が急上昇してきているのはわかった。だけど、まさかここまでBOØWY人気が広がっているとは! 全く想像もしていなかった衝撃的な光景がこの年の文化祭では繰り広げられていた。同時に、どうしてこんなに急激にBOØWY人気が広がったんだろう? 私はこの時の文化祭の各コピーバンドの演奏を聴きながらそんな思いもこみ上げてきていた。
氷室京介の紡ぎだすキャッチーなメロディライン、布袋寅泰のギターテクニックも大きかったんだろう。でも、あの時個人的に感じたのは、BOØWYにしか表現できない、あの独特な無機的なグルーヴ感。それまでの80年代のバンドでは感じたことがなかった “ある種のヤバさ” を感じるのあのグルーヴ。これに我々世代はやられてしまったんじゃないか。
「ONLY YOU」の次のシングル「マリオネット」でBOØWYがオリコン1位を獲得するのは、その文化祭から約1か月半後の1987年8月だ。
唯一無二のグルーヴ感「ONLY YOU」はBOØWYに限る
後年の2000年代。私の著作権面の師匠である方が氷室京介の楽曲使用にかかる著作権契約書作成を請け負っていて、その関係で代々木体育館での氷室のソロライヴを観させていただいたことがあった。
そのライヴにてBOØWY時代の1曲としてこの「ONLY YOU」が演奏された。期せずして「ONLY YOU」を生で聴けたと思うと思わず鳥肌が立ってしまった。
でも… 何かが違う。そう、BOØWYの時の、あの独特のグルーヴ感とは違うのだ。やはりBOØWYでなければ出せない唯一無二のグルーヴ感なんだ、あれは! と再認識されられた瞬間だったな。
Song Data
■ BOØWY / ONLY YOU
■ 作詞:氷室京介
■ 作曲・編曲:布袋寅泰
■ 発売:1987年4月6日
■ 発売元:東芝EMI
■ オリコン最高位:4位
■ 売上枚数:11.3万枚
■ かじやんの THE HITCHART HOT30 最高位:10位
■ HOT30 ランクイン期間:1987年4月20日~5月18日付 ※2020年4月20日に掲載された記事をアップデート
2021.04.06