1988年というと「バブル!」のパブリックイメージが頭に思い浮かぶかもしれませんが、こんなこともありました。当時大学生の僕はバブルの実感などないのですが、景気が良かったことは事実で、文化面においても非常に多種多様な選択ができた時代のような気がします。景気が良くないと物事が画一的になっていく傾向はありますね。
2016/05/13 04:58
そうなんです.Fukushimaがあって以来,僕が最初にしたこと,僕にできることは何かと考えたことは,原発ソングを集めてCDをつくることでした.もちろん販売とか,音質とか,そんな諸々のことはどうでもよくて,何かすること.「東電にhairo」とか,ランキンとか,とかとか.その十数曲の最後に入れたのがこの曲でした.誰にも伝わらないだろうと思いつつ.でも,この曲ではいつも感極まるんです.
2016/05/10 22:58