「昔に戻りたいか?」と訊く人がたまにいる。私は「せっかくここまで来たのに絶対にイヤだ」と答える。
この景気の悪さを思うと80年代後半は確かに魅力的だ。大学出たての人間はもちろんあれが普通なのだと思っていた。大手出版社の20代社員が12月となれば一か月の交際費として100万円もの枠があったり、忘年会の後は相乗りではあってもハイヤーで当時住んでいた実家(神奈川県平塚市)まで送ってくれたりしても、そういうものだと思っていた。大人ってこういう世界で暮らしているのか。
それほど大手でなくても、遅くなって電車がなくなると気前よくタクシーで帰らせてくれるところはあった。水道橋から平塚まで3万円ほど。タクシーチケットというものの存在を初めて知った。ある日その出版社の前に並んでるタクシーの一台に乗って行先を告げると「あなたでしたかー」と言われた。長距離の上客として噂になっていたらしい。
「予算がない」などという言葉は聞いたことがなかった。「好きな本でもCDでも買って領収書持ってくれば経費で落としてやるぞー」と言う人はいた。そういえばあのころ領収書というものは… おっと、危ない。
いい話ばかりではない。家庭用FAXがまだ普及していなかったのだ。つまり原稿は家で書いて編集部まで持っていくか、編集部で書くかの二択しかない。原稿は手書きで上納するもの。コピーはない。渡したらおしまい。書けたらバスと電車を乗り継いで1時間半以上かけて編集部に行っていた自分の健気さ。ああFAX。夢のFAX。
でも、1987年にピンポイントで戻ってすぐに帰って来られるのならばそうしてみてもいい(何様だ)。1987年。ブルーハーツとバクチクとレピッシュとユニコーンがデビューした年。それがどういう1年だったかをもう一度味わいに行きたい。
泣く子も黙るこの4バンドの中で私がいちばん好きだったのはレピッシュだ。デビュー曲「パヤパヤ」ですっかりやられた。
ポップでニューウェーブでなんとまぁかっこいい。メンバーのルックスも申し分ない。ちょっと悪ガキっぽいけど、そこもまた魅力的。こんな曲を書く人たちだからきっと明るく楽しい取材ができるだろう。私にレピッシュを担当させてくださーい。
それから30年。私と彼らはなかなかハードな道を歩んだ。文字数が尽きたのでそれはまた改めて。
2017.08.04
YouTube / orientalcocolily
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