11月30日

ピンク・フロイド「ザ・ウォール」はプログレ時代の終わりの始まり

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ピンク・フロイドのシングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」がリリースされた日
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photo:pinkfloyd.com  

インテリ白人達と雑談する際には、ロックの話で盛り上がることが多かった。

中でも鉄板はレッド・ツェッペリンとピンク・フロイドで、この2つのバンドの名前を口にさえすれば、かなり高い確率で打ち解けることができたのだった。

多くの日本人にはピンと来ないかもしれないが、特にピンク・フロイドは白人世界ではとても偉大なバンドで、中でも8枚目のアルバム『狂気(The Dark Side Of The Moon)』はビルボード200(米国アルバムチャート)に736週連続で(14年以上)ランクインし続け、最長記録としてギネス認定されている。

そんな彼らが70年代の終わりに発表した2枚組大作が『ザ・ウォール』だ。このアルバムからの先行シングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」は世界各国のチャートでNo.1を獲得したが、これは実はとても珍しいことだった。

当時、プログレッシブ・ロックのバンドの殆どが、ストーリー性を持ったアルバムを世の中に送り出すことを目的としていて、シングルヒットは不要と考えていたからだ。

しかし、プロデューサーのボブ・エズリンは、アルバムのプロモーションのためにシングルリリースを提案した。しかも、そのサウンドはこれまでのピンク・フロイドと違っていた。ボブ・エズリンのアイデアでディスコビートが取り入れられたのだ。

これは当時の流行を反映していて、ザ・ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」、ロッド・スチュワート「アイム・セクシー(Da Ya Think I'm Sexy?)」、クイーン「地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)」など、その流れに乗ったロックミュージシャンも少なくなかった。しかし、ピンク・フロイドのメンバー全員が本当に納得していたかどうかは謎である。

その後、80年代に入ると、プログレッシブ・ロック界の重鎮達が次々にシングルヒットを飛ばしていった。フィル・コリンズを筆頭に、マイク&ザ・メカニックス、ピーター・ガブリエルなど新旧ジェネシスのメンバー、そしてイエス、エイジアといった面々だ。

これは事実上プログレッシブ・ロックの時代が終わったことを意味していたが、そのきっかけを作ったのが「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」のヒットだったのではないか。

なお、この曲はアルバムでは「Part Ⅰ〜Ⅲ」の3部に分けられていて、「Part Ⅱ」がシングルリリースされた(メロディーは全て同じ)。その際、約8秒のイントロが追加され、エンディングのギターソロがカットされている。

以下の映像のうち1つ目は、シングルバージョン用に作られたビデオクリップで、アニメーション部分が含まれている。2つ目は、後に映画化された『ピンク・フロイド ザ・ウォール』の映像を使い、前後に「Part Ⅰ」と「Part Ⅲ」の音源も追加されている。



脚注:
■The Wall
(1979年12月22日1位)※アルバム

■Another Brick In The Wall Part Ⅱ
(1980年3月22日1位)※シングル

作詞・作曲:Roger Waters
プロデュース:Bob Ezrin, David Gilmour, James Guthrie, Roger Waters

2016.11.16
30
  YouTube / Pink Floyd


  YouTube / Corey Williams
 

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うり坊
ウォールはプログレの終わりの始まりという意味ではロジャー・ウォーターズのバンドとしての終わりでしたね。僕はあの仰々しい世界観や芝居がかったメドレーなど大好きだったし、当時、エアチェックしたカセットテープをヘッドホンで夜中に聴いてて最後の方はなんだか怖くて(ザ・トライアルのあたりとか)それでも毎日夢中で聞いていたので、このあとにバンドがデイブ・ギルモアのピンクフロイドになったことで聞かなくなりました。このアルバムをシングルカットの観点では全く記憶してなかったです。そうかぁディスコだったのか、と驚きました。ミス・ユーやラヴィン・ユー・ベイビーのような露骨な感じがしなかったからか。不思議です。
2020/03/01 12:12
0
返信
1965年生まれ
宮木 宣嗣
この曲では決して踊れない(苦笑)のも、気が付かなかった一因だと思います
2016/11/18 11:35
1
返信
1965年生まれ
中川 肇
僕も当時は気づいてなかったです。後で聴いて「あれっ? これってディスコじゃん」って感じでした。トレンドというのは、少し時間を置いて改めて振り返って初めて認識できるものかもしれませんね。
2016/11/17 09:57
1
返信
1965年生まれ
宮木 宣嗣
ディスコビートとは不覚にもこれまで気付いていませんでした。70年代からの流れで聞いていなかったこともあるんでしょうね。
いつも新しい知見をありがとうございます
2016/11/16 10:29
4
返信
カタリベ
1965年生まれ
中川肇
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