4月25日

日本ロック史に残る VOW WOW という名の奇蹟、もはや洋楽にしか聴こえない!

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名実ともに日本を代表する HM/HR ギタリストのレジェンド、山本恭司が2019年3月23日に63才のバースデーを迎えた。以前コラムで書いた BOW WOW(バウワウ)での82年レディング・フェスティヴァル出演の偉業が、山本にさらなる海外進出の意欲をもたらしたのは想像に難くない。

翌年彼らは再渡英するが、帰国後、斉藤光浩が自身の音楽性を追求すべく脱退(のちに ARB に加入)。これを機に山本は思い切った方向にバンドの舵を切る。キーボード、専任ヴォーカルを迎え、5人編成に変貌させたのだ。さらにバンド名を英字で VOW WOW(ヴァウワウ)に改め、のちのライヴではB時代の楽曲を封印。本格的に海外進出することに必要なことをイギリスで肌身で感じたからこその大英断だった。

ヴォーカルは、カルメン・マキ&OZ や RCサクセションのギタリスト、春日博文によるロックバンド NOIZ に在籍した ひとみげんき(加入後は人見元基)。NOIZ 唯一の音源には忌野清志郎や仲井戸麗市の参加楽曲もあり、ひとみとの貴重な共演が楽しめる。その歌唱ぶりはすでに圧巻で、山本はよくぞこれほどの逸材に目を付けたと思う。キーボードにはプログレロックバンドのムーンダンサーで活躍していた厚見玲衣が加入した。

84年、新生 VOW WOW の第一弾『ビート・オブ・メタル・モーション』が届けられ、殆どの HM/HR ファンは人見元基の存在と実力をここで初めて知ることになる。音楽性もキーボードを効果的に活かした、よりメロディ重視の HM/HR へと変化した。

次作『サイクロン』では全編英語詞となり、東京外語大卒で語学に堪能な人見のポテンシャルが発揮された。86年の『Ⅲ』では英国人プロデューサー、トニー・プラットを起用。ドラマティックなアレンジと湿り気を帯びた叙情的メロディが乱舞する、圧倒的な緊張感を持つ HM/HR が完成した。彼らの代表作のみならずジャパメタ史上最強の名盤に推す HM/HR ファンが多いのも納得だ。

86年秋には渡英して本格的に活動拠点をイギリスに移したが、B時代からの盟友であるベースの佐野賢二が脱退。後任には元ホワイトスネイクのニール・マーレイが加入し、87年に再びレディングへの出演を成功させた。音源も『V』『VIBe』と秀作を連発していく。

88年には日本人としては異例の、英国のミュージシャンズ・ユニオンへの加入が許可され、イギリスでのライヴツアーも敢行された。当時の熱狂ぶりは今映像で観ても感動的だ。僕もこの時期のライヴを日本で観ているが、海外の一流 HM/HR バンドに全く引けを取らぬ正確無比なパフォーマンスには驚かされたものだ。

イギリスでの活動を極めた彼らが、次に巨大な全米マーケットを目指したのは必然だった。しかし、80sメタルのバブルは弾け、90sグランジの波が押し寄せるなかで、彼らとてアメリカでのディールを見付けることは困難を極めた。もしもあと5年、いや3年早ければ… そんな惜念は募る。

名プロデューサー、ボブ・エズリンをプロデューサーに迎えたラストアルバム『マウンテン・トップ』。まさに栄光の軌跡の終着点に相応しい、本物だけが持つ重厚な手応えのある作品だ。従来の VOW WOW らしさに加えて、アメリカ市場を意識したテイストが絶妙にブレンドされているが、ファンの間ではその評価が分かれるようだ。僕自身も当時聴いた時は、正直このアルバムの凄さの本質が理解出来ていなかった。

けれども、今改めて本作にじっくり向き合ってみると、1音1音が放つ重みをひしひしと感じる。楽曲、演奏、プロダクションの全てが驚くほどに高次元で、これほどのロックを約30年前に日本のバンドがクリエイトした事実に畏敬の念が沸き上がる。その後、この高みまで到達出来た日本の HM/HR バンドが果たして存在しただろうか。最後にして至宝… 『マウンテン・トップ』とは80年代ジャパメタムーブメントの「最高峰」を意味するのかもしれない。

フロントカヴァーも実に興味深い。薄暗い暗雲立ちこめるなかで、山肌の頂上にVのシンボルがそびえるアートワークは、90年代以降のジャパメタの停滞と、この時の彼らの立ち位置を暗示しているかのようだ。ラストに収められた名曲「アイム・ゴナ・シング・ザ・ブルース」の優しい響きは、ムーブメント終焉の鎮魂歌に聞こえる。

実際に、彼らはアルバム発売後の武道館公演を経て、目標を見失ったかのように解散。人見に至っては、惜しまれながら音楽シーンからも退いてしまう。日本と海外を股にかけた活動をやり切った思いと、あれだけの作品が報われなかった90年代のシーンへの絶望もあったのではないか。

2009年、2010年にその夜限りの復活ライヴを行なったが、VOW WOW が再びコンスタントに活動する願いはもう叶わない。だからこそ、彼らの希少価値はこれからも高まり続けるだろう。ジャパメタにとどまらず日本のロック史に残る VOW WOW という名の「奇蹟」が存在してくれた80年代の尊さに改めて感謝したい。

2019.03.23
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