何かに驚かされること。そんな瞬間が僕は好きだ。
そして驚きには二種類ある。「素晴らしい!」という歓喜ともう一つは「これは…… 一体なんなんだ?」という困惑だ。
その二つの驚きをいつも僕に抱かせてくれたアーティストがいる。その男の名はジョン・ライドン。
例えば「セックス・ピストルズ」という名前は未だ口にするのに抵抗のあるグループ名だ。少なくとも電車の中では言えないだろう。このグループのアルバムを買った中学生の僕は、親に見つからないようにCDラックの裏に隠した思い出がある。つまり困惑させられていたのだ。
そこには敏腕(悪徳?)プロデューサーのマルコム・マクラーレンの知恵もあるのかもしれないが、例えば「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」の歌詞を見てみよう。
ジョンは「未来がない」とYou=女王や大英帝国に向かって叫ぶ。
しかし彼は同時に “We are the future, your future” と、叫んでいる。つまり汚らしい格好で歌う自分たちこそお前=女王と大英帝国の未来だと言う。
そして最後に盛大なオチがくる。“No future for me” の部分だ。
辛辣な言葉を挑発的に並べ連ねた挙句「俺にだって未来なんかねぇんだよ」と言い切ってしまう醒めた部分。ここにジョンの自己批評を兼ねた知性が見えないだろうか。
単なる反抗ではなく、ユーモアさえ感じる自己との距離感。僕はそこに「パンク」を感じて驚き歓喜したのだ。
歓喜と困惑を巻き起こすジョンのパンク的知性は止まる所を知らない。まさに自身の「俺たち(セックス・ピストルズ)に未来はない」という発言通りにピストルズを離れPiLを結成した彼。
アルバム『メタル・ボックス』を買った中学生の僕は驚き唖然としてしまった…… なんだこれは。
僕は「ポストパンク」なる言葉も音楽も知らず、セックス・ピストルズのヴォーカリストが脱退後に結成したバンドだから、という理由だけで手に取ったのだが、すっかり困惑してしまった。キャッチーなメロディーのない読経のような歌、シャリシャリした音像のギター、暗黒のリズムを刻むベース。
この困惑こそ、ジョンが意図的に引き起こしていたのだと感じるのには時間がかかった。そして今聴いてもこの『メタル・ボックス』の衝撃は薄れることはない。優れた「現代音楽」ですらあると感じる。と同時に素晴らしくパンク的であるとも思うのだ。
セックス・ピストルズが過激な歌詞とアティテュードに加え、その自己批評性でパンク的なるものを規定し歓喜と困惑を与えたとするなら、PiLのこのアルバムでジョンは音そのもので歓喜と困惑を巻き起こすことに成功した。パンクの知性は常に歓喜と困惑を呼び、人を唖然とさせ、かき乱し驚かせるのだ。刹那的ではないユーモアがそこにある。
ジョンはその後も「トリックスター」的性格を失わず歯に衣着せぬ発言や、バターのCMに出演するなど驚きを与え続けている。これからも僕のパンクヒーローは、僕を… そして社会を驚かせ続けるだろう。
2018.01.31
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