たまに、聴き手を否応なく時の舟に乗せてタイムスリップの旅へ誘う「セルフカバー」に出会うことがある。
そんな時だ。「時間は過ぎていくものじゃなく、やってくるもの」(映画『時をかける少女』より)という名言が妙に納得できるのは…。考えてみればここで書いている原稿も、記憶のセルフカバーのようなものだ。
アンジーのヴォーカルだった水戸華之介が、メジャーデビュー30周年を記念してアコースティック・セルフカバーアルバム『ウタノコリ』をリリースした―― 今まさにそれを聴きながら、僕は過去を越えていくセルフカバーの出来栄えに感動しつつ、一方で「あの日から30年も経ったのか…」と、1988年5月21日の発売日にアルバム『溢れる人々』とシングル「天井裏から愛を込めて」を自転車で買いに走った15歳の初夏を感慨深く思い出している。
80年代後半のバンドブームの中で、僕を虜にしたバンドはいくつもいくつもあったけれど、思い入れの深さで言うなら “博多のトイドールズ” と呼ばれたアンジー(一部で…笑)がいちばんだった。
僕は福岡県に生まれバンドブームを享受しながらも、アンジーを初めて知ったのが伝説の『博多さよならライブ』(86年)の直後だったから、鼻の差で博多時代の彼らを生で見ることができなかった。そして、その無念を噛みしめつつ、東京へ行ったのならきっとメジャー進出するはずだと信じ、アンジーが博多時代に残したレコードやカセットマガジン、ソノシートなどを買い集めた。
そして、彼らが上京後に発表したキャプテンレコード三部作『砂漠のマドンナ』『トモダチ』『髑髏(ゴルゴダ)の丘』を聴きまくっていた。30年前、僕はアンジーのインディーズ時代の音源を貪り食いながら、彼らがメジャーデビューする日を待ち焦がれていたわけだ。
待ち焦がれていたその間、僕を猛烈にアンジーへと導いた一枚… というよりその後の僕の趣味嗜好の方向性を固めてしまった決定的名盤がある。その名は『嘆きのばんび』。86年に福岡の老舗ジュークレコードからリリースされたアンジー最初のアルバムだ。
のちにCD化されメジャーから再発(89年)されているが、僕が聴いていたのはLP盤で、CD移行過渡期に文字通り擦り切れるほど聴いたと胸を張っていえるレコードはこの『嘆きのばんび』をおいてほかにない。
文学性が高いと評される水戸華之介の書く詞の中でも、ことに『嘆きのばんび』全12曲の歌の世界は、息がつまるくらい天才的だ。
知的で偏屈。猥雑でひたむき。ニヒルな視点の裏に潜む誠実なヒューマニズム。毒と怪奇が尖んがって、ナイーヴな神経が揺れて、騒々しいユーモアがはじけて、優しい抒情と儚いメルヘンが漂う―― A面B面の統一感・構成美がこれまた特筆モノで、一曲一曲がピタっと腑に落ちる。アルバムの流れに “目に浮かぶ物語” が確かにあり、「コトバ」と「オト」が深く聴き手の心に残る。福岡発のインディーズ盤ながら、『嘆きのばんび』は日本語による縦書きロックの金字塔であると、僕は今でも声を大にして言いたい。
セルフカバーアルバム『ウタノコリ』には、『嘆きのばんび』から「銀の腕時計」「腹々時計」「庄屋の倉」の3曲が選ばれカバー収録されている。ほか「見事な夜」「おやすみ」といったアンジー初期の名曲が、2010年代の風に吹かれた新装版として聴けるのは素直に嬉しい。
そしてもう一つ嬉しかったこと。
それは、ここぞという時の大切なライブのラスト定番曲であり、アンジーとそのファンがいちばん大切にした特別すぎる一曲「幸運<ラッキー>」が、『ウタノコリ』に “収録されていない” ことだ。こういうところに安堵をおぼえる逆説的思考回路が、10代の多感な時期にシニカルでひねくれたアンジーにのぼせた結果だろう。
おかげで僕はすっかりアマノジャクな大人に育った。もちろん、後悔はしていない。
2018.05.21
YouTube / EM PTy
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