2月1日

バク転できないジャニーズ、シブがき隊が「スシ食いねェ!」で極めたアイドル像

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リマインダー世代に多い? 埼玉県出身アーティスト


僕はさいたま市(旧浦和市)で生まれ、上尾市に引っ越し、現在はさいたま市(北区宮原)に居を構えているけれど、僕の年齢の前後でスターダムにのし上がったアーティストたちが、他の地域に比べてなんだか多いような気がしている。

学年は3つくらい上だけど、レベッカのNOKKO(旧浦和市)や、RED WARRIORSのダイアモンド☆ユカイ(旧大宮市)と小川清(上尾市)、1歳上のプリンセスプリンセス今野登茂子(上尾市)は隣の中学の先輩だし、1歳下には元DIMENSIONの小野塚晃(旧大宮市)がいる。小野塚くんに関しては年下だけど、あまりにもピアノが上手かったため、僕らは坂本龍一に倣って彼のことを “教授” と呼んで崇めていた。彼とは「アルフィー」というミュージックレストランのライブに “対バン” として一緒に出演した思い出もある。

桶川市を代表する大スター、本木雅弘


その「アルフィー」があった桶川市も思い入れがある街のひとつである。僕自身が桶川高校へ通っていたからだ。そして、その桶川市にも大スターがいる。僕の1歳上である本木雅弘だ。

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で斎藤道三役を怪演し、その他にもCMや映画など、いま最も脂が乗っている人気俳優の本木雅弘。ただ、なんだかんだ言っても僕らの世代にとって、彼は“本木雅弘” よりも “モックン” のほうがしっくりくるんだよね。

その昔、『笑ってる場合ですよ』の番組内で、劇団東京乾電池の高田純次に「宮原、上尾、桶川!宮原、上尾、桶川!」と連呼するギャグに圧されたデビュー当時のモックンは、照れながらも地元桶川市のことをアツく語っていた。役者転向後、彼の主演した映画『おくりびと』(2008年)が、第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞の折、桶川市から市民栄誉賞が授与され市内はお祝いムードに包まれた。

また、『ほぼ日刊イトイ新聞』の「俳優の言葉。本木雅弘編」(2018年)のインタビューでは、実家が “豪農” だったエピソードを披露してくれた。時は流れても生まれ故郷との繋がりは彼の中にアツく生き続けているに違いない。そう、間違いなく彼は桶川市を代表する大スターなのだ。

ということで、今回は同郷出身、モックンが在籍したアイドルグループ・シブがき隊を語りたい。僕は、彼らこそ昭和最後のアイドルグループじゃないかな? と思っている。以下、なぜそう思うのか… という自分なりの考察を読んでほしいのだ。

シブがき隊、「NAI・NAI 16」でアイドル歌手デビュー


TBS系ドラマ『2年B組仙八先生』(1981年)に生徒役としてレギュラー出演中だった本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和の3人で結成されたグループは、1981年に雑誌『セブンティーン』の一般公募により “シブがきトリオ” と命名され、その後ジャニー喜多川氏により “シブがき隊” と改名、番組終了後の1982年5月に「NAI・NAI 16」を引っ提げアイドルグループとしてデビューを果たした。

“花の82年組” である。もちろん男性アイドルなので、ここに加えるかどうかは賛否両論あるだろう。けれど、たとえ周囲に女性アイドルが多く男性アイドルが手薄な状態だったとしても、このアイドル戦線を乗り切ることは大変だったに違いない。

たのきんトリオの経験からジャニーズ事務所は、中性的なキャラ(田原俊彦⇔本木雅弘)、やんちゃキャラ(近藤真彦⇔薬丸裕英)、柔らかい親しみキャラ(野村義男⇔布川敏和)という三種三様の魅力を、シブがき隊というグループにまとめ、売り出すことに活路を見出したのだろう。

たのきんトリオからの発展形、タレント色の強いアイドルグループ


彼らが”バク転ができない”という事実は多くのファンが知るところだが、彼ら3人は、歌とダンスにプラスして、純粋な己の持つキャラクターをぶつけることで歌謡界に勝負を挑んだ稀有なグループではないだろうか。今でこそ一般的だけれど、シブがき隊は、当時男性アイドルとしては珍しい、身体を張ったバラエティ番組でも活躍できるタレント色の強いアイドルだったのだ。

もちろんバラエティばかりじゃアイドルは成り立たない。シブがき隊が歌った数々の楽曲はよくできていた。どの曲もなぜか印象に残っているって不思議だよね? そこには理由がある。プロフェッショナルな工夫が楽曲の随所に散りばめられていたのだ。どの曲も、聴いてすぐに口ずさめるよう覚えやすいメロディラインとリズムで作られていて、ソロパートを多く取り入れることで各自の個性を存分に活かしていた。そして全員で歌うところはハモりを多用する曲構成で、親しみやすさの演出も欠かさなかったのだ。

また、やんちゃなキャラクターを活かした歌詞によって、それまで王子様的だった男性アイドルを大衆に寄せるという時代の変化すら先取りした。現在活躍するジャニーズアイドルのほとんどがそのDNAを継承しているだろう。

「100%…SOかもね!」「ZIG ZAG セブンティーン」「ZOKKON命」など、初期ナンバーの作家陣、森雪之丞や三浦徳子が書いた歌詞は、手が届くちょい悪な少年が描かれていて、女子中高生の心を掴むまでそう時間は掛からなかったはずだ。それはまさに、たのきんトリオからの発展形であり、この後に続いていくジャニーズアイドルの “雛型” として作られた戦略だったに違いない。

シブがき隊不朽の名作「スシ食いねェ!」


こうして、グイグイとノリで押し切ってきたシブがき隊。その大衆アイドルの極めつけとなった曲が「スシ食いねェ!」(1986年)だろう。これは、もはや他の誰でもなく、シブがき隊でなければ通用しない曲じゃないかな?

歌詞にアツく訴えたい意味や含みがあるわけでなく、どちらかと言えば面白さとノリを全面に出すという個性的な内容。それもそのはず、元々はメンバーの布川が “シブ楽器隊” のベーシストKUZUと共にお遊びで作ったものだからだ。

楽曲のメロディラインとリズムを担当したメロディメーカー後藤次利が歌詞の勢いとノリをそのままパフォーマンスに繋げたアレンジは圧巻。悪ガキノリで歌う彼らのステージは次々とファンを魅了していった。

当初はライブでしか披露されなかった曲だが、覚えやすいサビのメロディと歌詞の面白さが関係者の目に留まったのだろう、同曲はNHK『みんなのうた』で1985年12月から翌1986年1月まで放映されることになる。また、同年末『第36回NHK紅白歌合戦』で披露したことにより、ついには子どもから大人までが知る、シブがき隊を代表する曲となったのだ。この「スシ食いねェ!」は、今でもテレビなどで使われることが多く、不朽の名作と言っても過言ではないだろう。

アイドルの過渡期、それぞれが考えた新しい道


だが、ここから先のシブがき隊は長くない。同じジャニーズ事務所から、歌って踊れるスーパーグループ・少年隊が登場することで彼らの存在を脅かしたのだ。歌唱力とダンス、どちらも自分たち以上のパフォーマンスを発揮することを彼らは知っていた。少年隊がデビューする前から猛レッスンしていたのをずっと見ていたのだ。

アイドルグループ・シブがき隊の役目が終わることを察したのだろう。彼らは新しい道を考えはじめていた。本木は予てからの希望だった俳優の道を考え、布川はすでにタレントとして非凡な才能を開花させていた。そして薬丸は持ち前であるトークの上手さと頭の回転の鋭さを武器に司会業を見据えていた。

このときすでにチェッカーズもデビューしていて、さらにバンドブームの到来が歌謡界そのものを塗り替えようとしていた。80年代後半、プロ作家陣ではなくミュージシャン自身が楽曲を作り演奏して歌うバンドスタイルが定着しつつあり、アイドル歌手そのものの在り方が過渡期を迎えていたのだ。

1988年 シブがき隊解隊、SMAPに受け継がれたDNA


シブがき隊の良さは卓越したコメディーセンスにある。アイドル活動と共にバラエティ番組も同じく力を注いできた。しかし彼らのスタイルを継ぐアイドルグループはジャニーズ事務所から現れることなく、1988年11月2日、代々木第一体育館におけるコンサートをもってシブがき隊は解隊。それは昭和の終焉と言ってもいいだろう。海外から取り入れられる新しい音楽や、デジタル機器の進化による楽曲の変化、見たこともないダンスパフォーマンスの数々…… 日々アップデートしていく変化を次々と吸収した日本のアイドル像は、80年代後半で急激な進化を遂げようとしていた。時代は移り変わっていく。翌年早々に時代は平成を迎えた。

時は流れ、それからおよそ3年後、シブがき隊のDNAを継承しつつ、彼らが成し得えなかった歌唱力、そしてキレのあるダンスを繰り出し、もちろん役者としても力を発揮できるスーパーグループが産声をあげた。

それがSMAP。メジャーデビューは1991年9月9日。新しい時代の到来だ。



2021.02.01
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カタリベ
1967年生まれ
ミチュルル©︎たかはしみさお
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