1982年3月19日、将来を期待された若き天才ギタリスト、ランディ・ローズが、全米ツアー中に遊覧飛行で乗った軽飛行機の墜落事故により、25歳という若さでその生涯を終えた。あまりにも若く、あまりにも突然の死だ。
ランディ・ローズは言わずと知れたオジー・オズボーンのバンドの初代ギタリスト。ブラック・サバスを脱退したオジーは1979年にソロ活動を開始、その際採用したギタリストがランディ・ローズだ。
クワイエット・ライオット時代のランディの評判を聞いていたオジーは、ランディがオーデションに現れ、ギターのチューニングを始めただけで、採用を即決したというのは有名な話。それほどランディのオーラ凄かったということか。
僕がオジー・オズボーンを初めて聴いたのは1981年の秋頃だったかな。ハードロック/ヘビーメタルに嵌まり込んでいた高校1年生の僕は、オジー・オズボーンのファーストアルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』(1980年9月20日リリース)でランディと出会う。1曲目の「アイ・ドント・ノウ」と2曲目の「クレイジー・トレイン」で、すっかり彼のギターの虜になってしまった。その出会いは衝撃だった。
どことなくヴァン・ヘイレンのエディ・ヴァン・ヘイレンと似た印象なんだけど、もっとメロディアスでギターの泣きが素晴らしい。初めてマイケル・シェンカーを聴いた時のような感動があった。劇的にギターが上手くて、そして何よりも美しいルックス。オジーが恋した理由がよくわかる。
ランディが亡くなったという情報を聞いた時、僕は正直、悲しさよりも驚きが強く、ただただ残念で唖然としていた。でも、やっと出会った一生の伴侶であり相棒を失ったオジーの気持ちが痛いほどわかり、すごく彼が可哀想で泣けてきたのを覚えている。事実、オジーはランディの死後、荒れて荒れて大変だったんだ。やばい、ちょっと泣けてきた…。
ランディ・ローズの作品はクワイエット・ライオットの時代を含めても僅かしかない。オジー・オズボーン時代でも前述の『ブリザード・オブ・オズ』とセカンドアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』の2枚のみ。それでも、ランディは永遠のギターヒーロとして今なお君臨しているし、これからも君臨し続けるだろう。
当時の僕は、動いているランディ・ローズを見たことがなかったのではないかと思う。今はYouTubeで貴重なランディの演奏を見ることが出来る。こんなうれしいことはないよね。
2016.06.12
YouTube / Ozzy Osbourne
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