9月20日
走り続けるクレイジー・トレイン、ランディ・ローズはまだ生きている
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オジー・オズボーンのアルバム「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」がリリースされた日
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photo:SonyMusic  

今日、3月19日は “ランディ・ローズ” の命日だ。

享年25。今年、2018年はランディが不慮の事故で亡くなってから36年目となる。今回は、今尚語り継がれるギターヒーローの、あまり語られる事のない事故の詳細に触れながら、哀悼の意を表したいと思う。

将来を期待された若き天才ギタリストの死は、あまりにも突然で、そして理不尽だった。そう、その死は彼にはなんの責任もない、無意味で、まったくもって無駄な死だった。だからこそ、悔しくてしょうがない。

世界中のロックファンが神様に問いかけたはずだ。「何故、彼を…」と。


1982年3月19日。

この時オジー・オズボーン・バンドのメンバーは、2枚目のアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』を冠とした全米ツアー中で、ノックスヴィルからオーランドへの1000キロの移動にツアーバスを利用していた。この時のバスのドライバーがアンドリュー・アイコックという男だ。

アンドリューが運転するバスは、目的地まで約70キロの地点で停まる。そこはバス会社の停車場であり、アンドリューの所有する家が隣接していたらしい。アンドリューがそこにバスを停車させたのは、自ら操縦する小型飛行機に乗らないかとメンバー達に勧めるためだったと言われている。

こうして、アンドリューが操縦する小型飛行機による遊覧飛行が始まる。

後に、ベースのルディ・サーゾが語っている。ランディは、ルディとドラムのトミー・アルドリッジに「一緒に行こう!」と無邪気に誘ってきたと。ルディとトミーは疲れているからとその誘いを断った。「パイロットのアンドリューだって長距離ドライブをしてきたところで、飛行機なんて操縦するべきではないんだ。だから止めたほうがいい」と。

なんでもっと強引にランディを止めなかったのか、ルディは生涯後悔することになる。

そして事故は起きた。

ランディを乗せた小型飛行機は、無残にも降下に失敗してバス(メンバーが休んでいたバスではない)に左翼をぶつけ、裏返しになりながら大きな木に当たり近くのガレージに突っ込んでしまう。燃料タンクが発火した機体は一瞬のうちに炎に包まれた。

地上に残った他のメンバーは半狂乱だったらしい。バンドにとって掛け替えのない才能が、愛すべき仲間が突然死んでしまったことが受け入れられなかったのだ。しかも目の前で。

やっと出会った一生の伴侶であり相棒を目の前で失ったオジーの気持ちが痛いほどわかり、すごく彼が可哀想で泣けてきたのを覚えている。

この事故は一気に世界を駆け巡り、ランディの性格や人柄を知らない人たちによって、尾ひれがついて伝わった。検視の結果、事故を起こしたアンドリューの血液中からコカインが検出されたことがわかると、オジーのイメージ(=酒に溺れてバカ騒ぎをするハードロッカーの代表格)も手伝って、ランディも同様にバカ騒ぎをして、その挙句の事故だったという風に世間に広まってしまう。

違う、僕は知っている。

ランディ・ローズという青年は、いわゆるロックミュージシャンのイメージとは違い、本当にまじめで優しいやつだったんだ。

もし、ランディのことを良く知らない Re:minder の読者の方がいて、同じような誤解をしていたら悔しくて仕方がない。その誤解は解かなくてはいけない、彼の名誉のためにも。今回の僕のコラムの主たる目的はきっとこの感情にある。

メンバーの発言や行動をみても、“ランディを俺たちと一緒にするな、あいつはまじめでサイコーにいいやつなんだ” という彼を庇う気持ちが痛いほど伝わってくる。

オジーはこの時、ランディに一緒に飛行機に乗ろうと誘われていない。それは、オジーは疲れていてバスの後部座席で寝ていたからだ。

オジーは語っている。「あいつは、オレの体調を思って敢えて起こさなかったんだ。もし起こされて誘われていたら、オレは迷いなく一緒に乗っただろう。あいつのやさしさでオレは命拾いした」と。

また、「ランディがドラッグをやっていたなんて言うやつがいたらオレがぶっ飛ばしてやる」とも。

こんな話も語られている。この事故でもう一人亡くなっている人がいる。その人の名はレイチェル・ヤングブラッド。バンドの衣装係助手で料理も担当していた女性だ。

ランディは、レイチェルが飛行機に乗りたがっているけど、初めてで怖がっていることを知り、彼女を落ち着かせるために一緒に乗ったという話だ。前日も朝までギターの練習をしていて疲れていたにも関わらず、レイチェルのために一緒に乗った。ランディはそんな優しいやつだったんだ。

後に、アンドリューの免許は切れていて、この時飛行機を操縦する資格もなかったという事実も判明する。たったひとりのバカのために、将来有望な若者が、未完成のまま旅立ってしまった。

“ふ・ざ・け・る・な” だ。

死して伝説になったヒーローはたくさんいるけど、ランディ・ローズもその一人だろう。彼のプロのキャリアはクワイエット・ライオットからスタートした。

既に天才と評判のランディを擁していても、なぜかアメリカでメジャーデビュー(契約)出来なかったクワイエット・ライオット。ランディが在籍中にアルバムを出すことが出来たのは日本だけだった。この時LAにもう一人いた天才、エディ・ヴァン・ヘイレンのメジャーデビューと快進撃を横目に見ながら、さも悔しかったことだろう。

メジャーデビューの近道として友人からオジー・オズボーンの新規プロジェクトを紹介され、嫌々オーデションに参加することになったランディ。彼はブラック・サバスがあまり好きじゃなかった。

一方、ブラック・サバスから酒が原因で追い出されたオジー・オズボーンは、いいギタリストが見つからずに腐っていた。諦めてイギリスに帰る直前だったが、スタッフから「ランディ・ローズのギターを聴かないうちはオーデションが終わったと言わない」という助言を受けていたという。

オジーはオーデションに現れたランディが、ちょっとギターを弾いただけで、“こいつだ” と確信したというのは有名な話だ。なんという運命の出会いだろう。こうしてオジーとランディの「クレイジー・トレイン」は走り始めた。

1979年~1982年の活動期間で、リリースされたアルバムは『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』―― わずか2枚のアルバムで、ここまで伝説となったギターヒーローは他に存在しない。

「人間は二度死ぬ。一度は死んだ時。もう一度は人々に忘れられた時だ」永六輔さんの名言だ。

この世にロックンロールがある限り、これからもランディが人々に忘れられることはないだろう。そう、ランディ・ローズはまだ生きている。「クレイジー・トレイン」は今も走り続けているのだから。

2018.03.19
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  YouTube / Retro higway to star


  YouTube / Alex Arnett
 

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カタリベ
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