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イエスからエイジアへ ② アルバムアートの巨匠、ロジャー・ディーンの世界

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エイジアのデビューアルバム「詠時感~時へのロマン~」が全英でリリースされた日
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photo:UNIVERSAL MUSIC  

前回のコラム『イエスからエイジアへ ① アルバムアートの巨匠、ロジャー・ディーンの世界』では、イエスの芸術的なアルバムジャケット… そして彼らにとって、最重要なグラフィックアーティスト、ロジャー・ディーンを紹介した。今回はその続きをその後のイエスの歴史と共に綴っていこうと思う。

良好な関係を続けてきたイエスとディーンの関係は、70年代の終盤に一度終わりを迎えている。プロデューサーの変更、「バグルス」の合流など、バンドは大きく変容していく。ディーンは80年リリースのアルバム『ドラマ』で、再びアートワークを担うが、しばらくしてイエスは活動停止となってしまう――。

その後、イエスのメンバーたちはそれぞれの信念に基づいて動き始めた。主要メンバーのクリス・スクワイアとアラン・ホワイトは、ドラマーを失って事実上解散となったレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジとのユニット「XYZ」の結成を画策する。「Ex YES」と「Ex ZEP.」の混成という意味だが、この時のスティーヴ・ハウの心情たるや、察するに余りある。

置き去り同然となったハウは、バグルスから参加したジェフ・ダウンズを伴って、新たなプロジェクト「エイジア」結成へと向かう。この2名に加え元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、元 EL&P のカール・パーマーが合流、エイジアは、“プログレ・オールスターズ” のようなスーパーグループとして注目される。82年リリースのデビューアルバム『詠時感~時へのロマン~(Asia)』は、全世界で1500万枚を売り上げる大ヒットとなった。

ここでジャケットデザインを担ったのが、イエス以来の盟友ロジャー・ディーンである。かくしてイエスで築き上げたグラフィックアートの世界観は、エイジアへと引き継がれ、それ以後ディーンは9枚のアルバムを手掛けることになる。

しかし、この成功は長くは続かず、84年にハウはエイジアから脱退。当時、英米問わずプログレ系バンドのポップス路線が相次いだせいもあるのだろう。それがミュージシャンとマネージメント側との軋轢を生み、バンドの存続を不安定なものにしていった。僕らは彼らのサウンドをよく「ジャーニーみたい」と言っては揶揄していた。ジャーニーファンには申し訳ない言い方だが、プログレ・レジェンドたちにしては、売れ線狙いで、ちょっとイタイ感じがしたのだ。後年ジャーニーとツアーを共にすることもあったから、それもあながち間違いではなかったのではないか?

一方80年以来、解散状態にあったイエスだが、スクワイア、ホワイトの下に、オリジナルメンバーのジョン・アンダーソン、トニー・ケイが再集結、アルバム『ロンリー・ハート(90125)』(83年)が大成功を収める。新生イエスはディーンが考案したバンド名のロゴを改め、過去との決別をアピールした。

88年にアンダーソンが再びイエスを脱退すると、ちょうどスティーヴ・ハケットとのユニット「GTR」を終えたハウがこれに合流、さらにオリジナルメンバーで元キング・クリムゾンのビル・ブルーフォードと、共に黄金時代を築いた出戻り常習男のリック・ウェイクマンと「アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(ABWH)」という、実質イエスというとんでもないバンドを結成する。

何だかアメリカの広告代理店みたいなネーミングだが、元メンバーが所属し「我らこそ本流」と言い張るバンドがまだ存在していたから、ABWH はおいそれとイエスを名乗るわけにはいかなかった。この混乱を作り出したのはアンダーソンの変節だが、リスナーたちの多くは、もはや二人のトレヴァーが仕切るバンドをイエスとは思っていなかったし、イエスの “声” であるアンダーソンがいる側をよりイエスらしいと思っていた。

アクセル・ローズも大友康平もバンド名の使用で揉めたが、こういう時、フロントマンの存在感は大きい。そして彼らが頼みにしたのは、自称 “本流” が捨てたロジャー・ディーンのアートワークであった。ディーンは ABWH でも2枚のアルバムを担当することとなった。

結局、時が解決するのを待つしかなかったのだろう。楽曲の持ち寄りやアルバム参加で両者は交流をはじめ、91年に何と8名という大所帯で大同団結。『結晶(Union)』というタイトルでアルバムをリリースする。だが一度綻びた関係は、決して長くは続かない。ある者は引退し、ある者は残り、ある者は出入りを繰り返す。なんとエイジアとイエスのジョイントツアーの中で、ハウが両方でギターを担当するという珍事も発生したという。

来日するたびにメンバーが変わり、その関係で演奏する曲の年代も異なる。彼らはもはやメインストリームではなかった。僕らはどうしても黄金期のメンバーでのセットリストを聴いてみたい欲求にかられるが、イエスは懐メロバンドではなく現役ミュージシャンであり、編成も常に流動的だ。

かつて80年代をイエスに背を向けて過ごして来たハウが、離合集散を繰り返すうちにいつの間にかグループの中心におり、アンダーソンは相変わらず外から “アナザーイエス” を主張しているというのも、何ともイエスらしい。

2018年に結成50周年を迎えた彼らは相変わらずツアーを続け、今回の来日では3大都市でコンサートを開催、今日2019年2月22日からはいよいよ東京公演だ。

そして、ツアーのロゴにはイエス(Yes)の文字に 50 という数字をあしらった特別なものが使われている。勿論それは『結晶』以降もパートナーシップを組んできたロジャー・ディーンの手によるものだ。音作りや依頼主が変わろうとも彼はイエスの歴史とともにそこに居続けたのである。

2019.02.22
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カタリベ
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