80年代初頭よりワールドツアーの成功、オリジナルアルバムのスマッシュヒットなど、快進撃を続けていたイエロー・マジック・オーケストラ(以下 YMO)でしたが、82年はグループとしての実質的な活動は行わずに各メンバーのソロ活動などに充てるなど休養期間とし、まるで鳴りを潜めているようだった――
しかし、明けて83年5月にアルバム『浮気なぼくら』を引っ提げて、YMO は我々の前によみがえりました。
その音は世間のざわめきを生みました。なぜならばその前に発表された『BGM』や『テクノデリック』などのハードコア路線とは一線を画した、いわゆる歌謡曲路線と評される日本語の歌詞、わかりやすい構成など、大きく路線が変わっていたからです。一見「普通のバンド」になったように思えましたが、彼らの「テクノ」的な実験は続いており、さりげない進化を遂げていたのでは? というのが今回のお話です。
『浮気なぼくら』発表から2カ月後の7月にシングル「過激な淑女」が発売されたわけですが、そこで使われていたドラムのサウンドがこれまでとはちょっと違っていました。79年のワールドツアーからいわゆる「シンセドラム」は使用されていたのですが、それと比べ音の立ち上がりが鋭い、エッジの効いたその音は新鮮に聴こえたのです。そう、それが「シモンズドラム」。YMO よりはむしろ C-C-B で有名になるあの六角形のドラムなのですが、日本の音楽シーンで登場したのはほぼこれが初めてだったのではないかと思います。
そして更に2か月後、「過激な淑女」と同じく細野晴臣氏の手によって9月7日に別の曲がリリースされます。中森明菜さんの「禁区」です(作詞は売野雅勇さん)。この曲の成り立ちも「過激な淑女」と同様に高橋音源のリンドラム(デジタルリズムマシン)を基調としてシモンズドラムが重なるという構成で、どことなく全体の構成も似ているような…
それもそのはず。元々「過激な淑女」は明菜さんに提供されていたのです。諸般の事情によりボツとなり、そのお鉢が YMO に回ってきた―― 要するにそのあとで明菜さん用に更に書き下ろしたのが「禁区」というわけです。こちらもトップチャートを賑わせる大ヒットとなりました。
この時期に YMO は自らへの皮肉として歌謡曲路線という枷をはめたのですが、その副産物として各メンバーが歌謡曲の歴史を彩る名曲を生み出しているというのは不思議な感じがします。その後、彼らは「散開」を発表し、活動の最後を飾る1983年のジャパンツアーではドラムセットとしてシモンズを取り入れました…
しかし、
レコーディング曲にシモンズを使ったのは「過激な淑女」一曲だけ。
これは、シンセサイザー、シーケンサー、リズムマシン、サンプリングなど、様々な実験的要素を日本のポップスに取り入れてきた YMO の最後の実験だったのかもしれないなぁ… と、私は思うのです。
2018.10.22
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