7月26日
凶悪レスラーの入場曲「吹けよ風、呼べよ嵐」俺のプライドはズタズタだ!
21
3
 
 この日何の日? 
タイガー・ジェット・シンがインターナショナル・タッグ王座を奪取した日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1983年のコラム 
総制作費200万円、すったもんだの「ゴンチチ」レコーディング顛末記

ゴンチチとの出会い、ファーストアルバム制作までのいきさつ

原田知世とあしながおじさんの物語。きみはダンデライオン♪

マドンナとライ・クーダーに想う、あっちこっちのボーダーライン

YMO の最後の実験、シモンズドラムを使った「過激な淑女」と「禁区」

過去に戻ってアドバイス!?「あの娘にアタック」と「ライオンは寝ている」

もっとみる≫

photo:COCONUTSDISK  

「俺という存在がありながら、なぜ今さらブッチャーが必要なのか?」

新日を長年にわたって支えてきてやった大スターである俺をないがしろにするような新日プロが、俺は信用できなくなっていた。

そもそも、俺はあの豚野郎が大キライだ。ファンに媚びやがって! リング外では “いい人” を演じてるから、子どもにも人気がある。でも、俺はプロフェッショナルだ。伊勢丹での襲撃事件のように、リングの外でもヒール(悪役)を貫いてきた。

こんなこともあった。遠征先でブッチャーと相部屋だったとき、朝、俺が起きる前に、ヤツは宿泊費を払わないでホテルを出ていきやがった。なんてセコい野郎だ。あんな半端野郎は好きになれない。そう、俺は希代の天才ヒール “タイガー・ジェット・シン様” だ。

古い話に戻そう。トップヒールとなった俺は、1974年6月20日、当時NWF王者だった猪木とタイトルマッチに臨んだ。俺たちの遺恨はピークに達していた。この試合で俺は猪木の顔面に火炎攻撃を仕掛け、さらにサーベルで滅多打ちにしてやった。反則負けとなったもののヤツを負傷させ十分な戦果を上げた。俺の圧倒的な強さに全国のプロレスファンが震え上がった瞬間だ。

そして、6月26日の60分3本勝負。1本目は反則攻撃で予定通り猪木を大流血に追い込んでやった。だが2本目は油断した。1本目で流血した猪木の怒りは凄まじく、ヤツは俺の右腕に狙いを絞り鉄柱攻撃やアームブリーカーなどをしかけてきやがった。

この程度の攻撃では俺を黙らせることはできないが、猪木も必死だったのだろう。最後には俺の右腕が骨折してしまいドクターストップ。さすがに骨折していては試合を続けられない。猪木のファンは大いに留飲が下がっただろうよ。俺は参っちゃいないけどねぇ…

この連戦によって、新日本プロレスへの注目度は劇的に向上した。そして、その人気は他団体を圧倒し始めていた。俺の新日への貢献度は絶大だったはずだ。

ところが1981年になると、俺を激怒させる出来ごとが起こった。なんと、当時全日本プロレスを主戦場としていたアブドーラ・ザ・ブッチャーが、新日本に引き抜かれてきやがったのだ。

俺は新日にさっさと見切りをつけ、全日本プロレスに参戦することにした。7月3日に全日の試合に初めて乱入した(やっぱりヒールは乱入じゃないとな)。翌日からは正式に参戦し、俺の実力を全日ファンに見せつけることになった。

俺はブッチャーとは違い、リング上ではスピーディだ。それにテクニックもある。得意のコブラクローや首四の字固め、そして猪木からギブアップを奪ったこともあるアルゼンチン・バックブリーカー。カウンターのトーキックやブレーンバスターには、相手レスラーがビビッていたのがよく分かった。

凶器攻撃以外、エルボードロップと地獄突きしかない野郎とは大違いだぜ。

1983年7月26日には、上田馬之助と組んで、馬場&鶴田のエースコンビからインターナショナル・タッグ王座も奪取した。ちょっと俺が実力を出せば、こんなもんだ。

そんな俺だからこそ、全日のリングでもトップになれるはずだった。しかし、あとから移籍してきたスタン・ハンセンが台頭し、あまりいいポジションは与えられなかった。

この頃の俺の入場曲は、「吹けよ風、呼べよ嵐」。不気味なベースが鳴り響くのが印象的なピンク・フロイドの曲だが、これは、ブッチャーの入場でも使われていた。全日においては、この曲が「凶悪レスラーの入場曲」という位置づけであり、誰のテーマ曲とは決まっていなかったためだ。ちなみに、ザ・シークもこの曲だったらしい。

大キライな野郎と同じ曲を使われては、トップレスラーである俺のプライドはズタズタだ。スモウレスラー上がりの輪島大士のデビュー戦の相手をさせられたり、出戻ってきたブッチャーと組まされたりしたこともある。こうなったら全日には用はない。

おさらばだ。


「吹けよ風、呼べよ嵐」
アルバム『おせっかい(Meddle)』収録
発売日:1971年10月30日

2017.09.15
21
  YouTube / ThePinkFloydHD


  YouTube / NECTARINEBED
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。


おすすめのボイス≫
1967年生まれ
時の旅人
これはアテレコですか?実話ですか?
2017/09/19 18:40
0
返信
1964年生まれ
小山 眞史
都市伝説的な話もありますけどほぼ実話です。
もちろんサーベルの件、伊勢丹の件などには、用意周到な打ち合わせがあったと思いますけど(笑
2017/09/20 18:47
0
カタリベ
1964年生まれ
小山眞史
コラムリスト≫
18
1
9
7
9
入場曲は「サーベルタイガー」俺は希代のヒール、タイガー・ジェット・シン
カタリベ / 小山 眞史
16
1
9
8
5
ブルーザー・ブロディ、衝撃の新日移籍を演出したベートーヴェン
カタリベ / 小山 眞史
21
1
9
8
6
追悼:輪島大士 — 憧れのヒーローが繰り出す「黄金の左」
カタリベ / 小山 眞史
23
1
9
8
1
スタン・ハンセン、プロレスの枠を超え、今なお耳にする ”気合い曲”
カタリベ / 小山 眞史
14
1
9
8
7
A氏の激白! たけしプロレス軍団の刺客、ビッグバン・ベイダー 登場編
カタリベ / 小山 眞史
17
1
9
8
5
テーマ曲は「J」ー 俺たちの世界最強はやっぱりジャンボ鶴田だった
カタリベ / 小山 眞史
Re:minder - リマインダー