ボーダーの服を来ている女子は男運が悪い。とは、ある占い師の言葉だけれど、そもそも「ボーダー」とは「境界」のことで、「ボーダーライン」はそのまま「境界線」だ。
ちなみに英語ではボーダーシャツは縦縞も横縞も ”striped T-shirt" で、ボーダーTシャツとは言わない。「OL」や「クールビズ」(笑)同様、日本独自の言葉かと思う(カナダ在住の義姉に数年前に「クールビズ」と言ったら「なに??」と驚かれたけれど、小池イングリッシュだったと知ったのは小池さんが都知事選挙に出馬した時だった)。
ボーダーラインと聞いて何を思い浮かべるだろう。
タイムリーなところではアメリカとメキシコのボーダーライン。日本だって隣国と境界線の問題はいくつもある。ドイツを分断していた壁は崩れ落ちたけれど、侵略的な意味ではない例はむしろ少ない。それから、我が家の受験生にとっては「ボーダーライン」とはちょっと繊細な話題だ。
家を一歩出るには屋外と奥内を仕切る玄関を超えていかねばならないし、関係者以外立ち入り禁止の場所は数知れず。このように地球は丸いと言うのに、世界はびっくりするほどボーダーラインで溢れている。
そのほとんどが見えないものだ。というのも、もともと丸い地球は誰のものでもなく、所有権を主張しはじめてそこに「線」が出現したのだから。更に複雑なのはこちら側には見える線なのにあちら側からは見えないものもある。ああ、複雑。
さて、そんな「ボーダーシャツ」を着て「人間が持っている「境界」を超えていきたい」からと好んでボーダーを着るアーティストはアコーディオン奏者のcobaだけれども、今日は80年代音楽の話題と言うことで、マドンナにしようかライ・クーダーにしようか(笑)。時代の最先端にいるスーパースターとブルースに根ざしながらネイティブなサウンドを探索するライ・クーダー。まるで両極端なアーティストのようで双方が双方のボーダーラインの際で旗を振っている。
「ボーダーライン」には「挑戦」と言う言葉がふさわしい。それと同様に「守り」という言葉もついてくる。物事は表裏一体で外から見れば守りかもしれないし、内側から見たら挑戦になるだろう。そしてその境界線に触れて境界線の向こうを感じてみるのは大切な経験と時間になるはずだ。侵略ではない形のボーダーラインを超える方法の模索になるだろう。
そして、冬という殻の中から芽吹いて春を迎えるために何か挑戦して小さくてもいいから自分の中の「ボーダーライン」を超えてみたいと思う。時にはマドンナみたいにポップに、時にはライみたいにどっしりと満を持した感じに。
2017.01.29
YouTube / Warner Bros. Records
YouTube / Johan Hopman
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