先日、NHK の朝ドラ(時代設定が80年代)を観ていたら、主人公が「イカ天で好きなバンドは、マサ子さん!」と力説していて、思わず「おお!」と叫んでしまった。
SNS でも反響があったらしく「マサ子さん」は一時トレンドワードの仲間入りを果たしたようだ。様々なつぶやきを読みながら、切ないような誇らしいような、不思議な気持ちになった。
マサ子さんとは、元ナゴムギャルのマユタン&サブリナ姉妹で結成され、イカ天に出演して一世を風靡した(?)、ニューウェーブ系ガールズバンドのこと。私にとっては大学時代の大切な友達のバンドである。
友達の名前は、サブリナ・ブルネイ(芸名)と言う。
サブちゃんとの出会いは1986年、大学の入学式。私の目に飛び込んできた彼女は細い体でニコニコして、一見たおやかそうに見えた。が、話してみたら結構邪悪(褒め言葉)。
音楽やカルチャーが好き、特にゴダイゴ LOVE という共通点があり、同じ音楽サークルに入るほど仲良しになった。学校ではずっと一緒。授業をサボって学食で4~5時間話し込むのはザラだった。
5つ下の妹さんとマサ子さんというユニットを始めた話をいつ頃聞いたかは覚えていない。ただ、ナゴムレコードにデモテープを送っている話はよくしてた。1988年の冬頃、本格的にバンドで始動するよ、と知らせてきた手紙がまだ残っている。
1989年2月、『三宅裕司のいかすバンド天国』が始まり、世の中は空前のバンドブームに沸く。マサ子さんが出る、と聞いたのは、5月のことだ。当時の私は就職活動に追われていた。時代的にはちょうど天安門事件の頃。演奏が完奏した時は正直びっくりした(笑)。
マサ子さんは審査員に大ウケで、「アブナイねえ~いいねえ!」なんて、吉田健氏に評されていたのを覚えている。この時披露された B.J.トーマスの名曲「雨にぬれても」の日本語カバー「雨にヌレテモいーや」は、今も大好きなナンバーだ。
無機質にはしゃぐ大正琴の響きと恐るべき子供達ともいえるツインボーカルが相まった、ハレとケを感じさせる最高のカバー曲だと思う。そういえば、マユタン自身が、これは天気雨を題材にした、陰陽が交わる吉兆の歌なのだと言っていたっけ。
マサ子さんは、テレビ出演直後から人気に火が付き、ライブやテレビ出演が続くようになった。私も汐留 PIT や MZA 有明などのイカ天イベントによく行った。『クイズダービー』に出演した時には流石にもう別世界の人かも、と少し寂しくなったよ。
卒業後は連絡が少なくなり、それでも dip the flag なるおすすめバンドのライブに誘われたり、彼女のツテで元ザ・スミスのモリッシー初来日公演チケットを押さえてもらったりと、ゆるやかに付き合いは続いた。
1994年4月、突然の訃報が届く。その時のことはまるでスローモーションのように心に焼き付いている。頭が真っ白になって、胃の中のものを全部吐いた。久しぶりに会おうって電話したばかりだった。後悔ばかりで自分を責め続けた日々。そしてマサ子さんは活動を休止した。
あれから四半世紀あまり。
2016年に結成30周年を迎えたマサ子さんは、現在も絶賛休止中で解散はしていないそうだ。現まゆたんが素敵なペースで自在に活動しているのを、たまにサイトなどで確認しつつ、私はニコニコとほくそ笑んでしまう。
ありがとう、サブちゃん。
みんちんと名付けた小さなぬいぐるみを手放さなかった。
細い足に履いたラバーソウルがとても大きく見えた。
赤いルージュの唇から笑い声を絶やさなかった。
可愛くて、戸川純に似てると言うと照れていた。
有頂天や筋肉少女帯、木魚、P-MODEL のミックステープをたくさん作ってくれた。
マルクス兄弟の映画が大好きだった。
タケカワユキヒデが大好きだった。
飼っているダルメシアン犬の名前はヒースだった。
でも作っていたミニコミの名前は『PUG』だった。
妹さんのマユタンといつも仲良しだった。
本当にありがとう。
天国でも相変わらず大きな声で笑っているかな。私はこの間、約40年ぶりにゴダイゴのコンサートに行ってきたよ。サブちゃんにも話したい。
いつかまた会いましょう。
2018.07.05
YouTube / ジウTVショ・
YouTube / Noka
Information