アメリカ合衆国… 世界最大のポップミュージック供給国にして消費国、まさにポップスの本場であるこの国での成功は、外国人にとっては、たとえば英国人でさえ、容易ではありません。今と時代が違うとは言え、あのビートルズでさえ、米国進出はデビューから2年後でした。まして日本人にとっては…。
作品の力にいくつもの幸運が重なって、坂本九の「上を向いて歩こう(Sukiyaki)」がビルボードのシングルチャートで1位を獲得したのは1963年のこと。オリコンチャートもまだなかった日本では “チャート” そのものに馴染みがなく、たいして騒がれもしなかったそうですが、これはまさに奇跡でした。だってそれから55年。1979年にピンク・レディーの「Kiss in the Dark」が37位となったくらいで、松田聖子も矢沢永吉も PUFFY も、米国リリースこそすれ、ヒットチャートにはかすりもできなかったのです。“防弾少年団” はアルバムで1位をとりましたが、ほんとすごいことですよ。
そんなハードルの高さゆえ、やはり日本の音楽関係者にとって、米国発売はひとつの夢。私がいた EPICソニーは CBSファミリー(当時)なので、海外との渉外を担当する部署から米国を初め各国の CBS に、日本のプロダクツの情報も随時発信してくれていましたが、当然どの国もその国内で何をリリースするかはそれぞれの裁量に任されています。ですから他国のものは、相応の理由がないかぎり、リリースなどしてくれません。リリースにはコストも労力も必要ですから。特に米国など、自国のプロダクツが世界中で売れ、それだけでも充分に儲かっているわけですから、他国のもの、それも英語以外で歌っているものなんて、まず洟もひっかけません。
しかも、“ファーストオプション制” というものがあって、海外でのリリースはまずは各国の CBS に権利があって、CBS がいいよと言わなければ、他のレコード会社から、たとえインディーズであっても、出すことはできません。つまり、ある国でリリースできるかどうかは、完全にその国の CBS しだいなのです。要するに、CBS というネットワークがあるために、却って海外発売の可能性はせばまっているということになります。
CBSソニーの国際部に田中章、通称アキさんという人がいました。もうソニー・ミュージックからは定年退職されていますが、ふだんはダジャレばかり言ってる気のいいおっちゃんながら、海外通、人脈も豊富で、他社の同業者たちからも一目置かれる実力者でした。彼が、私が担当する “GONTITI” や “Killing Time” を気に入ってくれ、大きなネックである “言葉” がない音楽ということで、海外にプッシュしましょう、と動いてくれました。1987年頃のことです。
しばらくしてアキさんから、なかなか評判はいいよ、なんてことを言われながらも、そんなに簡単にいくわけがないことは重々承知ですから、特に期待もせずにいました。
そしたら、1年くらい経った頃かな、GONTITI に西ドイツ(統一前ですから)の「Tropical Music」というレコード会社から、リリースの話が来たのです。これはアキさんのプッシュによるものではなく、マネージメントのヒップランドのほうに、何らかのツテで来たんだったと思います。
だけど、前述の “ファーストオプション” の問題があります。西ドイツの CBS が OK してくれないと、Tropical がいくら出したくても出せないのです。そこでアキさんの出番です。交渉してもらい、まぁ西ドイツ CBS が GONTITI に興味なかっただけかもしれませんが、無事 OK となりました。
どれかのアルバムということではなく、ベスト盤のような形でこれまでの曲を選曲し、ジャケットも新たに制作した GONTITI の海外デビューアルバム『Yellow Tornado』は、Tropical Music 内の「Nectar」レーベルから、1988年5月30日に発売されました。
そして、それが引き金となったのかどうかは知りませんが、ついに待望の米国から、GONTITI の4thアルバム『Sunday Market』をリリースしたい、という話が!… ある、けっこう幹部のA&R(ああ、名前が思い出せないっ…)の方が、とても気に入ってくださったようです。発売は88年10月。LP と CD の両メディアで。その頃の米国の CD は、“スパゲティボックス” と言って、横は CD と同じだけど、縦がほぼ LPサイズ(約31cm)の箱に入れて販売されていて、この仕様がちょっと嬉しかった。
さらに、プロモーションのために、なんかの(これも忘れた!)オープニングアクトで全米をツアーする話も来て、具体的にスケジュールまで出てきました。おおー、日本のミュージシャンにとって “全米ツアー” なんて、野球選手にとっての MLB 契約にも勝る夢のような話、大いに盛り上がりましたが、その当時、ゴンザレス三上さんは某大企業の正社員、そんなに長くはとても休めない、と辞退してしまいました。
まだ日本でも売れてない、すなわち音楽では食っていけない段階でしたから、致しかたありません。米国をツアーしたからと言って、レコードが売れる保証はどこにもありませんから。
ただ、これで米国側はテンション下がってしまっただろうなと、それだけが心配だったのですが、その後、1990年のアルバム『Devonian Boys』まで米国リリースは続きました。結局、例の某A&R が異動になったことで、途絶えてしまうんですが。
2019.02.27
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