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黄金の6年間:東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代

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沢田研二のシングル「TOKIO」がリリースされた日
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時代を象徴する歌がある。

1971年にモービル石油の CMソングとして作られたマイク眞木の「気楽に行こう」は、日本の高度経済成長が曲がり角に差し掛かったタイミングに登場し、「あせってみたって 同じこと」と、次の時代の生き方を提案した。

1998年に彗星のごとく現れた宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」は、弱冠15歳ながら、詞・曲ともに新しい感性にあふれ、小室哲哉をして「時代が変わった」と言わしめた。ある意味、90年代の J-POP の黄金期は彼女の登場で終わりを告げた。

その意味では80年代の幕開けと共に登場したあの歌も、まさに時代の転換期を象徴する一曲だった。

今から39年前の今日―― 1980年1月1日にリリースされた沢田研二の「TOKIO」である。作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦、編曲・後藤次利。


 空を飛ぶ 街が飛ぶ
 雲を突きぬけ 星になる
 火を吹いて 闇を裂き
 スーパー・シティが舞いあがる


なんと、その歌の主人公は “街” だった。冒頭から街が空を飛んでいる。驚きだ。その感覚は極めて SF的、アニメ的である。それ以前、沢田研二の歌う楽曲は、「時の過ぎゆくままに」や「勝手にしやがれ」など、どこか私小説的、ヌーベルバーグ的であったのに対し、いきなりの大転換だ。


 TOKIO TOKIO が二人を抱いたまま
 TOKIO TOKIO が空を飛ぶ


TOKIO とは、ラテン語圏における「東京」の表記である。それが同曲では未来都市・東京を表す意味で使われている。実際、歌うジュリーの衣装も極めて近未来的だった。パラシュートを背負い、貴族風のジャケットに派手な電飾。なるほど、これなら空を飛んでもおかしくない。「有無を言わせぬ演出」とは、こういうことを言うのです。

1つだけ、確かなことがある。

この歌で幕開けた80年代は、文字通り「東京」の時代になった。1983年に開園するディズニーランドは千葉の浦安に作られながら「東京」の名を冠され、大井競馬場は「東京シティ競馬」と洒落た愛称が付けられた。76年の創刊時からアメリカ西海岸のトレンドを紹介してきた POPEYE は80年代に入り、東京のカルチャーを伝える雑誌へとコンセプトを変えた。

ファッションでは東京発の DCブランドが時代を席巻し、88年にビッグコミックスピリッツ誌で始まった恋愛マンガのタイトルは「東京ラブストーリー」だった。そんなバブル時代、東京の山手線の内側の地価で、アメリカ全土が買えるとまで言われた。まさに80年代―― 時代は東京を中心に回っていた。

「TOKIO」を作詞した糸井重里サンは、この歌がリリースされる一週間前の1979年のクリスマス・イブに、『有限会社 東京糸井重里事務所』(現:『株式会社 ほぼ日』)を設立している。糸井重里事務所ではなく、東京を冠したところに、糸井サンの時代を読む “嗅覚” が透けて見える。

「TOKIO」は元々、アルバムのタイトルだった。リリースは、シングルからさかのぼること1ヶ月前の79年11月25日。その1曲目が「TOKIO」で、同名アルバムからのシングルカットだった。その辺りの経緯は、『ほぼ日』にある「阿久悠さんのこと。」と題した、水野良樹サン(いきものがかり)と糸井サンの対談記事が詳しい。

記事によると、当初、糸井サンは音楽プロデューサーの木崎賢治サン(沢田サンや吉川晃司サンをプロデュースしたスゴい人)から、沢田研二の新しいアルバムと収録曲のタイトルを先に考えてほしいと、珍しい依頼を受けたという。畑違いの自分に依頼が来たのは、広告の世界に面白いヤツがいると思われたのかもしれない、と。

ちなみに、当時の糸井サンの立ち位置は、コピーライターとして、東京コピーライターズクラブ新人賞や東京アートディレクターズクラブ賞を受賞。また、取材・構成した矢沢永吉の自伝本『成りあがり』がミリオンセラーを記録するなど、広告・出版業界では知る人ぞ知る存在だった。まだ、この時点では西武百貨店の広告「不思議、大好き。」や「おいしい生活。」は手掛けておらず、一般的な知名度はない。

そんな糸井サンは、アルバムのタイトルとして「TOKIO」(東京)というワードをひねり出す。ベースにあったのは、「もう、これからはパリやニューヨーク、西海岸の時代じゃない。東京が面白い」という思い。そして、そんな近未来のイメージで10曲分のタイトルを提出したら、その中のシングル「TOKIO」のみ、追加で作詞も依頼されたという。

もちろん、当時の糸井サンは作詞未体験。そこで、困った末に編み出した手法が、アニメの主題歌のつもりで作詞するというものだった。アニメの主題歌にはいわゆる様式美があり、大抵、キャッチーな言葉がアタマに来る。そこで「空を飛ぶ 街が飛ぶ」という一節が生まれた、と。言われてみれば、「エイトマン」の主題歌の出だし「光る海 光る大空 光る大地」を彷彿とさせる。

面白い話がある。そうして「TOKIO」が世に出るタイミングとほぼ同時期、別のミュージシャンの作品でも、そのワードが使われる。79年10月25日にリリースされた、YMO の1stシングル「TECHNOPOLIS」である。同曲も未来の東京をイメージした楽曲であり、坂本龍一が “TOKIO” というフレーズを発している。

YMO のネーミングは、ご存知の通り「イエローマジック」から来ている。彼らの音楽は白魔術(白人音楽)でも、黒魔術(黒人音楽)でもない、黄色人種独自の音楽、いわゆる「黄色魔術」(イエローマジック)であるというコンセプト。そう、YMOはその立ち上げの経緯からして “東京発” の音楽だったのだ。

「TOKIO」と「TECHNOPOLIS」―― 偶然とは言え、両者の類似性は何を意味するのか。

僕は、いわゆる電話や飛行機の発明と同じ現象だと思っている。普通、僕らは、電話はグラハム・ベル、飛行機はライト兄弟が発明したと教えられるが、実は両分野とも、同時代に多くのライバルたちがひしめき、ベルやライト兄弟はたまたまタッチの差でレースを制したに過ぎなかった。ベルの特許出願は、ライバルの一人、エリシャ・グレイのわずか2時間前だったという。

つまり―― あの時代、糸井サンが漠然と抱いた「これからは東京が面白い」という思いも、実は YMO を始め、様々な分野の最先端の人々が同時多発的に抱いていたのではないだろうか。

例えば、ユーミンもその一人。彼女が1978年11月にリリースしたアルバム『流線形 ’80』には、晴海ふ頭や千葉の犬吠埼、三浦半島の油壺、二子玉川園など、東京近郊を題材にした楽曲が多く収められており、同アルバムは元祖シティポップスと呼ばれる。そしてタイトルには「80」―― お分かりだろうか。ユーミンは来たる80年代が東京の時代になることを、78年の時点で予見していたのだ。

そう、東京の変化の波は、既に78年から始まっていた。YMO の結成も78年である。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開され、六本木に “サーファーディスコ” ブームが訪れるのも78年。女性誌の『JJ』が月間化され、サーファーをファッション化した雑誌『Fine』が創刊されるのも78年。そして、あのサザンオールスターズのデビューも78年だった――。

黄金の6年間(Golden6Years)という言葉を唱えたい。

先の1978年から、東京ディズニーランドが開園する83年までの6年間を指す。東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代である。

79年
■村上春樹が作家デビュー
■渋谷パルコPART2に DCブランドのフロアが誕生
■角川映画『戦国自衛隊』公開

80年
■フジテレビが覚醒「楽しくなければテレビじゃない」
■漫才ブームが到来、ビートたけしが登場
■雑誌『BRUTUS』創刊

81年
■ホイチョイ・プロダクションズ『気まぐれコンセプト』連載開始
■田中康夫『なんとなく、クリスタル』出版
■鴻上尚史が劇団「第三舞台」を結成

82年
■西武百貨店の広告「おいしい生活。」
■映画『ブレードランナー』公開

―― そして、83年の夢と魔法の王国・東京ディズニーランドの開園をもって、エンターテインメントの世界は一つの完成形を見た。狂乱と祝祭の試行錯誤の6年間は幕を閉じる。

人生、振り返って面白いのは、分別のある大人に成長した時代よりも、圧倒的に試行錯誤を繰り返した未熟な青春時代である。恋と冒険に目覚め、挫折と覚醒を繰り返した、あの日々――。

街も同じではないだろうか。東京が自我に目覚め(78年)、エンターテインメントが一つの完成形を見る(83年)までの「黄金の6年間」が、東京にとっての青春時代じゃないだろうか。

今年、指南役は、この Re:minder において「黄金の6年間」と題して、かの時代を象徴する音楽やカルチャーを連載的に取り上げたいと思います。神はディテールに宿るじゃありませんが、個別の事案を掘り下げることで、全体の時代背景もより鮮明になるというもの。よろしければ、お付き合いのほどを。

あっ、申し遅れましたが、あけましておめでとうございます。今年も一つ、よしなに。

2019.01.01
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