4月23日

吉川晃司とNOBODYの集大成「にくまれそうなNEWフェイス」

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チェッカーズと吉川晃司がもたらした功績とバックボーンとは?


1984年から85年にかけて、日本の音楽シーンは大きなうねりの渦中に入る―― チェッカーズの躍進と吉川晃司のデビューだ。彼らの最も大きな功績は、それまでの、歌謡曲、アイドル、ロックという棲み分けをなくすかのように、いとも簡単にその壁を飛び越え、新たな価値観を築いたということだ。

キュートでポップなチェッカーズと、その後バブルに向かい昭和の時代の中でメンズファッションの定番となるラフなスーツスタイルをいち早く持ち込み、さらりと着こなす吉川晃司。それまでのアイドルに感じることができなかった要素をふんだんにちりばめた彼らには、確固たる音楽のバックボーンがあった。それすなわち、彼らは純然たるミュージシャンだったということだ。

『アメリカングラフィティ』さながらのドリーミーな50sの世界、ドゥーワップやロックンロールをバックボーンにしたチェッカーズ。一方、高校時代に佐野元春のコンサートを観てカルチャーショックを受けたという吉川は、デビュー当時から佐野元春、尾崎豊の流れを汲む、ストリートの憧憬が似合うシンガーソングライターになりえる資質を垣間見せ、デビューアルバム制作に向けて自作の曲を書き溜めていたという。

ロック然とした吉川晃司「こいつはなんか違うぞ!」


そんな吉川に内包された音楽への衝動は、当時のロック少年たちも敏感に受け止めていたと思う。少なくとも僕はそうだった。アイドル然としない自信に満ちた態度や、日本語を英語っぽく発音するとっぽい歌い方はキャロルのジョニー大倉、桑田佳祐、佐野元春の系譜に思えたし、何より青いストラトキャスターを構える姿がサマになっていた。

主演映画『すかんぴんウォーク』、そして同映画の主題歌であった「モニカ」で華々しくデビュー… と、まさにシンデレラボーイを絵に描いたようなお披露目だったが、「こいつはなんか違うぞ!」と思えずにいられないロック然とした雰囲気に魅了されたものだ。

そんな思惑通り、平成の始まりにはCOMPLEXとして布袋寅泰とコラボレート。その後、ギターを猛練習し、後藤次利らと3ピースのバンドを結成。ロックの美学ともいえるミニマムな編成でマキシマムなロックを体現するなど、時代と格闘しながらも真摯なまでの音楽との向き合い方を貫いている。

日本の音楽の大動脈、吉川晃司をゆるぎない大スターにのし上げたNOBODY


そんな吉川晃司のデビュー時期、そのスタイルを揺るがないものにした名曲が「にくまれそうなNEWフェイス」である。作曲を手掛けたのはNOBODY。そのキャリアのスタートを矢沢永吉のバックメンバーとする、相沢行夫、木原敏雄の2人のユニットだ。

NOBODYもまた、80年代の日本の音楽シーンを語る上に欠くことのできないユニットである。自身の音楽活動と並行しながら、吉川だけでなく当時手掛けた楽曲は数知れず。ハウンド・ドッグの「浮気なパレットキャット」から始まり、アン・ルイスの「六本木心中」、浅香唯や荻野目洋子など数多くのアイドル、アーティストの楽曲を手掛けると同時に、CMにおいても楽曲提供。80年代半ばにおいて、ブラウン管から彼らの楽曲が流れない日はなかったと断言できるだろう。

矢沢永吉の音楽的ルーツがビートルズにあったように、NOBODYの2人もマージービートに精通していた。60年代の哀愁を伴うメロディを、時代に即した形にブロウアップさせたNOBODY節は日本の音楽シーンの大動脈であったと同時に、デビュー期の吉川晃司をゆるぎない大スターにのし上げるのに不可欠な存在だった。

ミュージシャン吉川晃司としての分岐点「にくまれそうなNEWフェイス」


吉川晃司はデビュー曲の「モニカ」から「さよならは八月のララバイ」「You Gotta Chance~ダンスで夏を抱きしめて~」「にくまれそうなNEWフェイス」…と4曲NOBODYとタッグを組む。言ってみれば「にくまれそうなNEWフェイス」は吉川×NOBODYの集大成であり、その後吉川は8枚目のシングル「MODERN TIME」から自身で楽曲を手掛けるようになる。つまり、アイドル的な立ち位置からミュージシャンへの過渡期をNOBODYと共に過ごしたことで、吉川は音楽のノウハウを自身のものにして、華々しい軌跡を描いていったと言っても過言ではないだろう。

ちなみに「にくまれそうなNEWフェイス」は、『カネボウ夏のキャンペーンソング』にも起用され、オリコン1位を獲得。NOBODYが手掛けるキャッチーなメロディが最大公約数のリスナーに届いた。それまで、アイドルがロックを持ち込むことはタブー視されていたわけではないが、その本質に目をつぶってしまうの常であったように思える。 この功績は、80年代後半に多様化し、お茶の間に自身のオリジナリティをアピールすることが当たり前のようになる時代の先駆けであったと言えるだろう。

しかし吉川は、その衝動を心に潜めながらアイドルとして活動と並行し、自らの将来に向けたスタンスを築き上げていったのだ。そしてさらに、自らの音楽的ルーツを貫きながらも最大公約数のリスナーにアピールする術を研究し尽くしたNOBODYとの出逢い。もはやこれは必然と言えるのではないだろうか。

また、この曲以降吉川は、メイクやヘアスタイルにも自分の意志を極めて強く主張するようになり、独自の道を歩むきっかけを作り出している。NOBODYとタッグを組んだ4曲が吉川自身に与えた影響は計り知れない。また、この曲でNOBODYを卒業することが、彼のミュージシャンとしての歴史を俯瞰した上でも大きな分岐点になっていると思う。



2021.04.23
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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