あれから40年、1980年はターニングポイントだった
節目の年、2020年を迎えた。80年代の幕開けからちょうど40年が経過したと考えると、何とも感慨深いものがある。綾小路きみまろの鉄板ネタではないが、あの頃想像もしなかった「あれから40年」が現実になっているのだから。
僕が長年追いかけてきた HM/HR シーンを振り返ると、ちょうど40年前の節目、1980年は間違いなくターニングポイントだった。それは今のシーンに到る HM/HR の起点となった、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(以下NWOBHM)のムーブメントが日本に紹介された年だからだ。
NWOBHM の本国での勃発は79年とされているので、一般的には2019年が40周年と位置づけられているが、日本への本格上陸という意味では、2020年を40周年と捉えることもできるだろう。
ヘヴィメタル四天王 — アイアン・メイデン、デフ・レパード、ワイルド・ホーシズ、そしてガール
遠く離れた大英帝国の地で何が起きているのか? NWOBHM の全体像をリアルタイムで知ることになったのが『MUSIC LIFE』誌、80年5月号での20ページにも渡る「やっぱり僕たちはヘヴィメタルが好きだ!」と題された特集記事だった。
ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが表紙を飾ったこの号では、音楽評論家の伊藤政則さんが現地で取材した内容が克明に掲載されていた。僕はその時まだ11歳だったけど、多くの見聴きしたことがないバンドについて少しでも知りたい一心で、何度も貪るように記事の隅々まで読んだ記憶がある。
その中で定義づけられていたのが、“ヘヴィメタル四天王” という括りだった。それはアイアン・メイデン、デフ・レパード、ワイルド・ホーシズ、そしてガールの4バンドを総称したものだったが、NWOBHM を代表する面子と考えると、今思えば少々違和感のあるセレクトだったのかもしれない。
それでも HM/HR の新しい波を紹介するうえで、アイコンとなる4バンドをピックアップしてプッシュしていく手法は、プロモーション的な意味合いとしては意義あるものだったと思う。
日本のマーケットで受け入れられた美形ロックバンド、ガール
4バンドの中で、どのバンドよりも日本で人気を博していたのが、80年2月にいち早く日本デビューしたガールだった。彼らは同じ四天王の一角、デフ・レパードへ後に加入するギタリストのフィル・コリンと、80年代後期の LA メタルシーンで活躍したL.A.ガンズのフィリップ・ルイスが在籍したバンドという文脈で、今では語られることが多い。
ガールが日本のマーケットで本国を超える勢いで受け入れられた要因は、デビューアルバム『シアー・グリード』のフロントカヴァーを見てひと目でわかる通り、何といってもヘヴィメタルバンドらしからぬ、メンバーのルックスの良さだろう。
デニム&レザーに代表される典型的なメタルファッションとは大きくかけ離れて、むしろニューウェイヴやグラムロック寄りとも言えるファッションに身を包み、どこか耽美で中性的な雰囲気も漂わせていた。
とりわけ目を見張るような美形を誇るフロントマンのフィリップ・ルイスは、新世代のロックスターとしてのオーラを兼ね備えていた。ブロンドヘアーの2人のギタリスト、フィル・コリン、ジェリー・ラフィーも、美形の洋楽アーティストをこよなく愛する日本の女子達が放っておかなかった。
男臭い NWOBHM のカテゴリーにおいて彼らは異彩を放ち、硬派なメタルキッズからは敬遠されたものの、当時人気を誇ったジャパンやデュラン・デュラン等と並ぶような美形ロックバンドとしてもアピールできたことで、日本のマーケットに受け入れられたのだろう。
パンクを通過した新世代の HM/HR、時代を切り拓く NWOBHM の凄み
もちろん、ガールはルックスだけが優れたバンドではなかった。そのサウンドの魅力が凝縮された楽曲が、シングルでありアルバム冒頭に収められた「ハリウッド・ティーズ」だ。
以前サクソンのコラム(鷲は舞い降りた。NWOBHMのレジェンド ー サクソン「暴走ドライヴィン」)でも書いたが、ガールの音源は懐事情ですぐに手に入らなかったので、まずはエアチェックしたテープで聴きまくっていた。
スピーディーに畳み掛けるシャッフルビートに乗った緊張感のあるリフとフィリップ・ルイスの初々しい弾けるような歌唱。フィル・コリンがフルスロットルで弾きまくるギターソロ。彼らの勢いそのままに、わずか2分半という短さで、その若さに任せて駆け抜けていく。
70年代が終わり80年代を迎えたこのタイミングに生まれたこの曲の漲るパワーに、僕は新時代を切り拓く NWOBHM の凄みをひしひしと感じた。サウンドの方向性こそ異なるものの、アイアン・メイデン同様に英国でのパンクムーブメントのフィルターを通過した後に誕生した、これこそが新世代 HM/HR の魅力の本質であることを理解した。
アルバム『シアー・グリード』を改めて全編聴くとメタルというよりは、むしろキャッチーなロックンロールやグラムロックと形容するのが相応しいことがわかる。さらにはニューウェイヴ、レゲエなどの多彩な要素も上手く取り入れているのが特徴だが、それだけに彼ら自身は、NWOBHM のカテゴリーに括られることに違和感があったようだ。けれども、日本においては NWOBHM の重要なアイコンとして、象徴的な役割を果たしてくれたことは大きかった。
現代 HM/HR シーンの礎となった、ブリティッシュメタルの新しい波
ガールは80年の秋には来日を果たし、NWOBHM ムーブメントとともに日本での人気ぶりもピークに達したが、活動は順調とはいえず、82年にアルバム2枚だけで残念ながら解散してしまう。
その後、フィル・コリンのデフ・レパードでの活躍ぶりは説明不要だろうし、渡米したフィリップ・ルイスは80年代後半に L.A.ガンズで再び人気を博した。僕は89年の L.A.ガンズの日本公演に参戦したが、彼らのアルバムにも収録された、ガールの「ハリウッド・ティーズ」のセルフカヴァーをライヴで聴けたことが何より嬉しかった。
あれから40年が経過した今でも、「ハリウッド・ティーズ」を聴くと、あの時に身体で覚えた、燃えたぎるような初期衝動が甦る。オールドウェイヴと揶揄された HM/HR を、新世代のチカラで塗り替え、現代の HM/HR シーンの礎となった NWOBHM。その日本での先鋒であるガールの存在を、この節目のタイミングで改めて再評価したい。
2020.01.10