9月21日

時代を駆け上った横浜銀蝿、日本中を席巻し昭和天皇とも対面!

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“ツッパリ” を全国に定着させた「ツッパリ High School Rockn’ Roll」


現在、不良少年の総称として親しまれているヤンキーという言葉は、80年代にはツッパリと呼ばれていた。

この言葉を全国的に定着させたのが、1981年1月12日にリリースされた THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(以下、横浜銀蝿)のセカンドシングル「ツッパリ High School Rockn’ Roll(登校編)」だということに異を唱える人はいないだろう。

現在結成40周年を記念して、THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 40thとして、期間限定で活動中の彼ら。今回の再結成では、Jhonnyも参加したオリジナルメンバー4人ということもあり、ファンにとっては感慨深いメモリアルになったと思う。

オリコン最高位2位を記録した「ツッパリ High School Rockn’ Roll(登校編)」リリースの前年、1980年の9月リリースのデビュー曲「横須賀Baby」は、宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドのスタイルを踏襲し、70年代のドメスティックな不良文化を継承した、切ないメロディが売りだった。

昭和天皇とも対面! 時代を駆け上ったロックンロールスター


そもそも横浜銀蝿は、70年代末、リーダー嵐の呼びかけによって結成された「現金(キャッシュ)」というバンドが母体になっている。このバンドを結成するにあたり、嵐は、矢沢永吉がキャロルを結成するために川崎周辺に貼りまくったビラと同じ文句である「ロックンロールキチガイ求む」であったことが興味深い(再結成後には、キャロルのカバーも披露している)。

そこで集まったメンバーが、横浜銀蝿と改名し、デビューに至るのだが、彼らが、歌詞の中に出てくるようなツッパリ少年であったかというと、そうではなく、メンバーのほとんどは大学在学中であり、ギターのジョニーは、後に活動期間中休学をしていた神奈川大学に復学し見事卒業している。

つまり、ツッパリというコンセプトのもと楽曲を作成し、同じくライダースに白いドカンといったコスチュームを身にまとった彼らはリーダー嵐のアイデアありきでシーンに急浮上した。これは、セデショナリーズのヴィジュアルを全面に打ち出したマルコム・マクラーレンありきのセックスピストルズ同様の位置にとらえてもいいだろう。

そんな彼らの活動期間は、1983年までの3年間。その間にカネボウのCMソング「お前にピタッ!」(1983年7月27日発売)に抜擢され、警視庁のイメージキャラクターとなり、宮内庁主催の園遊会で昭和天皇と対面している。まさに日本中を席巻し、時代を駆け上ったロックンロールスターなのだ。

チェッカーズのデビューとツッパリの終焉


横浜銀蝿は、1983年の12月31日、新宿コマ劇場の公演を最後に解散する。彼らの解散と交差して、1983年9月21日に、チェッカーズがデビューを果たしている。

アマチュア時代のチェッカーズは、横浜銀蝿と同じく、原宿歩行者天国で踊っていたローラーたちに愛された50sのロックンロールを基盤とし70年代から続く、キャロル、クールスと継承されたいわば「ジャパニーズ・グラフィティ」の立ち位置にいた。

しかし、彼らは、それまでのロックンロールの象徴であった、リーゼントというスタイルをあっさりと捨て、ロックンロールの初期衝動をより身近なものとしてお茶の間に持ち込んだ。つまり、この年が日本のユースカルチャーとしてのツッパリの終焉であり、時代はよりキュートなものを求めるように変貌していった。

ヨーロッパではレア盤? クラブでもフロアを沸かせる横浜銀蝿


解散に向かっての横浜銀蝿のスタイルの変化に気づいたファンも多いと思うが、デビュー時よりも、パーマをあてたリーゼントがどんどんブロウアップされ、白いドカンの幅もどんどん広くなっていった。そして、銀色のギターを構えるようになった。これは、一説によると、アメリカデビューに向けて、日本のサムライのイメージをキャッチーに具現化していったものだと言われている。もちろん白いドカンは袴を、銀色のギターは刀をイメージしたものだ。

80年代前半、短い期間を彗星のごとく駆け抜けた彼らの勇姿は、長い時間をかけて熟成され、当時のスピリットを今も体現している。そして、現在は、ヨーロッパにおける一部のロックンロール、ガレージ好きレコードコレクターの間で彼らのシングル盤がレア盤としてかなりの高値で取引されているという。

また、彼らのラストシングルとして、83年12月5日に発売された「哀愁(別れ)のワインディングロード」は、ネオロカビリーバンドのレジェンド、ザ・ロカッツの「メイク・ザット・ムーブ」を彷彿させるリバーヴの効いたギターサウンドで、ロンドンナイトを始めとするロック系クラブイベントで頻繁にプレイされ、フロアを沸かしている。


※2017年4月21日に掲載された記事をアップデート

2020.09.21
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