6月21日

大復活直前の田原俊彦!優しさと憂いが共存する「“さようなら” からはじめよう」

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田原俊彦のシングル「“さようなら”からはじめよう」がリリースされた日
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切羽詰まった田原俊彦、ベストテンの放物線が鋭角的?


以下、『プロジェクトX』風にお読みください
―― それは、87年の夏、『ザ・ベストテン』に田原俊彦が第9位に登場した時だった。1枚のリクエストはがきには、こう書かれていた。

「デビューからまる7年、全30曲(※1)がランクインしているのはトシちゃんだけ!」

これに対し、田原は感謝の言葉を述べつつも、苦笑しながらこう言った。

「最近入っても、ランク入りしているベストテンの放物線が、鋭角的になっているのをなんとか引き伸ばしたいな~と。頑張ります!」

あの能天気だったトシちゃんが…… “放物線”! …… “鋭角的”!! これは、田原俊彦の意外過ぎる言葉に衝撃を受け、再起を願った一人の男の物語である――

この時の状況を説明させてください。田原俊彦はデビューシングル「哀愁でいと」(1980年6月)から、16作目の「エル・オー・ヴィ・愛・N・G」(1983年11月)まで『ザ・ベストテン』で毎回TOP3に入るほどの人気でした。それがチェッカーズや吉川晃司がブレイクを果たした84年あたりから、徐々に順位を落とし始め、翌85年にはC-C-Bがブレイクし、事務所後輩の少年隊もデビューしたことで、86年以降は、『ザ・ベストテン』のTOP3に入らないどころか、TOP10に2~3週入るのもやっとという状態になってしまいました。

さらに87年に入ると、2月に近藤真彦が「愚か者」にて『ザ・ベストテン』で5作ぶりの1位、7月には少年隊が「君だけに」で第2位に初登場、年間でも第3位という大ヒット。そして光GENJI のデビューも8月に控えているという状況で、田原俊彦はまさにヒットシーン全体で見ても、ジャニーズ勢においても、かなり切羽詰まった状態だったのです。

地味に見えつつ重要シングル「“さようなら“からはじめよう」


そんな逆境のためか、86年~87年のテレビでのパフォーマンスにも、変化が見られます。2019年の映像ソフト『PHOENIX VISION~TOSHIHIKO TAHARA Performance History~』ではテレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』の歌唱シーンがシングル発売順に収録されているのですが、「Hardにやさしく」(1986年3月)あたりから、それ以前の能天気に笑い飛ばす感じではなく、憂いを帯びつつも甘いマスクで優しさを醸し出すようになっているのです。それを観ると、冒頭の自虐的なトークが出てきたのも肯けます。

そして、この時に歌っていたのが、今から33年前の6月21日に発売された通算29作目となる「“さようなら”からはじめよう」です。『ザ・ベストテン』でのランキング推移は、38位→5位→9位→13位 と、確かに “鋭角的” な “放物線” 状になっています。特に、86年以降の『ザ・ベストテン』は、レコード売上の比率が前年までの45%から60%に上がり、代わりに田原にとって大きな強みであったリクエストはがきの比率が23.1%から20%に減少したことも、ますます追い打ちをかけていました。

大復活シングル「抱きしめてTONIGHT」に繋がるターニングポイント


しかし、このシングル、地味に見えつつも実は重要な役割を果たしているのです。

まず、作詞は、シングルでは「チャールストンにはまだ早い」(1984年2月)以来約3年半ぶりとなる宮下智が担当。「ハッとして!Good」「キミに決定!」「NINJIN娘」などの初期ヒット曲やファン人気の高い「ジュリエットへの手紙」のように、ジャニーズ勢の中でも、田原のロマンティックな要素を引き出したのは彼女の存在が大きいでしょう。つまり、大ヒットを維持していた頃の王子様的な優しさがこのシングルにも表れています。

次に、作曲は、ソロのシングルでは「シャワーな気分」(1983年5月)以来約4年ぶりとなる筒美京平が担当。あまり語られませんが「原宿キッス」(1982年5月)に代表されるように、筒美京平×田原俊彦作品では、Aメロに低音部分が多く、田原の甘い声が多く聴けるのがポイント。平山みきや郷ひろみといった特徴のある歌声をより輝かせるためにメロディーを駆使してきた筒美京平なだけに、きっと田原作品にもこだわりがあったのでしょう。

そして、編曲は田原俊彦のインパクト抜群の演奏を多数考案した船山基紀が担当。曲の途中で突然ロックンロール調になる「ブギ浮ぎ I LOVE YOU」(1981年4月)や、やたらとギターフレーズがハジけまくる「君に薔薇薔薇…という感じ」(1982年1月)など様々な引き出しがある中で、ここでは、過去を引きずる女性を励まそうと、とにかく前向きで明るいパターンを徹しています。元気なコーラスは、やはり女性3人組のEVEです。

以降、筒美京平作曲シングルが5作続き、その4作目に「抱きしめてTONIGHT」(1988年4月)での大復活に繋がるわけですから、ここがターニングポイントになっているとも言えます。つまり、“どうすれば鋭角を脱出できるのか…” と、本人は不安気に歌っているのですが(意外とナイーブなトシちゃん…)、実は低迷期からの “さようなら” は、はじまっていたのです。

そんな感じで、この時期特有の男の優しさと憂いが共存する作品もどうぞお楽しみください♪


Song Data
■ “さようなら”からはじめよう / 田原俊彦
■ 作詞:宮下智
■ 作曲:筒美京平
■ 編曲:船山基紀
■ リリース日:1987年6月21日
■ オリコン最高位:4位
■ 推定売上枚数:7.1万枚
■ 100位内登場週数:7週


※1:研ナオコとのデュエット曲「夏ざかりほの字組」を含めてのランクイン数



2020.06.20
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カタリベ
1968年生まれ
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