2月10日

エディ・ヴァン・ヘイレン、青春の1ページに君臨するギターヒーロー!

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垣根を超えたギターヒーロー、エドワード・ヴァン・ヘイレン


僕は決して熱心なHR/HMのファンではない。しかし、昨年(2020年)のエドワード・ヴァン・ヘイレンの訃報は堪えた。喪失感が半端なかったのだ。それは、僕が洋楽を聴き始めた80年代の前半に彼がその入口に立っていたということもあり、80年代洋楽黄金時代の灯火がひとつ消えてしまったというだけのものではないようだ。

僕が高校1年生だった1984年は、HR/HMが空前の大ブームだった。ギターを手にした少年たちのほとんどが、モトリー・クルーやラットを代表するLAメタルのグラマラスな様式美とラウドなサウンドに熱狂していた。学園祭ともなると、この手のバンドが演奏会場の体育館で朝から夕方まで楽器をかき鳴らしていた。僕は遅れてきたパンクロックに夢中でバンドを組んだのだが、僕ら以外はみんなメタルバンドだったことを思い出す。

エディ・ヴァン・ヘイレンは彼らにとって、頂点に君臨するギターヒーローだった。ギターを手にするやつは、こぞってライトハンド奏法(タッピング)の練習に夢中だった。その熱狂は、さして興味のなかった僕にも鮮烈で、今なお青春の1ページの情景として心の中に色濃く残っている。

若気の至りというやつで、16歳の少年にとって、自分が興味のない音楽には敵意をむき出しにするのが常だったが、エディだけは嫌いになれなかった。いや、嫌いになれないというか大好きだった。それは、あの演奏中の “屈託のない笑顔” にあったと思う。なんとも楽しそうに超絶テクニックでステージを縦横無尽に走り回るその姿は、音楽の楽しさ、素晴らしさを誰よりも体現していたと思う。つまり、エディがHR/HMの垣根を超えた場所に存在していたことを無意識のうちに知っていたからかもしれない。

マイケル・ジャクソンとコラボレートした「ビート・イット」


たとえば、エディとマイケル・ジャクソンがコラボレートした「ビート・イット」。その『ビクトリー・ツアー』(1984年)でのソロプレイの中で、「ヘイ! エディ、エディ!」とマイケルに誘われながらギターをかき鳴らす名シーンは、ジャンルの垣根を超えただけでなく、人種を超え、時代を超え、新たな音楽スタイルを提示した後世に残すべき名シーンだと思う。

そして、そんなジャンルレスな姿勢は、ヴァン・ヘイレンとしてリリースしたヒットナンバーにも色濃く表れていた。それは、楽曲として素晴らしいものを埋まったままにするのではなく、時代に即したエナジーと最先端のテクノロジーを施して蘇生させたという功績とも言えるだろう。

屈託のない笑顔の水先案内人、エディが示してくれた音楽の旅


1978年にリリースしたデビューアルバム『炎の導火線(Van Halen)』に収録され、先行シングルとしてリリースされた「ユー・リアリー・ガット・ミー」でキンクスを知り、(80年代初頭にもこの曲はラジオで頻繁にオンエアされていたので、その輝きは普遍性のあるものだったと思う)1982年にリリースした「オー・プリティ・ウーマン」で、山下達郎が最も好きなロカビリーシンガーと公言しているロイ・オービソンの存在を知る。

それはザ・クラッシュからバディ・ホリー亡き後のクリケッツのギタリスト、ソニー・カーティスがソングライティングを手掛けた「アイ・フォウト・ザ・ロウ」を知り、ストレイ・キャッツからジーン・ヴィンセントの楽曲を知るのと同じぐらい衝撃的であり、エディは音楽の旅に出るプラットホームに立った十代の僕にとって、とても大切な水先案内人だった。そして、ポップな側面もある彼の音楽的アプローチは、今も音楽を聴くときのひとつの指針になっている。

80年代、洋楽を聴きはじめた時期の入口にエディ・ヴァン・ヘイレンがいてくれたことが、どんなにしあわせだったことか! それは、僕のような解釈を持たない人にとっても、十人十色それぞれの思いがあったと思う。しかし、すべての人に共通して思い出すのは、エディのあの屈託のない笑顔だ。天国のエディは言うだろう。「そんな難しく考えるなよ。楽しく行こうぜ! それがロックなのさ!」と。僕らはこれから何年経ってもエディの笑顔に後押しされていくのだろう。



2021.01.26
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カタリベ
1968年生まれ
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