どこか無理しているように見えた山口百恵
山口百恵が嫌いだった。
「花の中三トリオ」と称して、森昌子・桜田淳子・山口百恵の3人が最初に脚光を浴びたのは1973年である。当時、アイドルとしての人気は圧倒的に淳子で、昌子は歌唱力で一目置かれ、言い方は悪いが百恵は淳子の劣化コピーにしか見えなかった。髪型は似ているが、顔も華も淳子に遠く及ばない。子供心に「淳子のマネやん」と半ば見下していた。
実際、その年の賞レースで淳子は百恵を引き離し、新人賞を総なめにした。
ところが翌1974年、3人が花の高一トリオになると、百恵にも光が当たる。前年秋にリリースした2枚目のシングル「青い果実」から、俗にいう “性典ソング” 路線に転じた彼女はこの年、5枚目のシングル「ひと夏の経験」がスマッシュヒット。さらにグリコのCMでは三浦友和と共演し(ちなみに演出はCMディレクター時代の大林宣彦監督)、それが縁で映画『伊豆の踊子』でも2人は共演。赤いシリーズ第1作となるドラマ『赤い迷路』も始まった。気が付けば、百恵は淳子と並走していた。
しかし―― 当時の子供目線にも、百恵はどこか無理しているように見えた。性典ソングや友和との共演にしても、彼女は大人たちに操られる人形のように映った。騒いでいるのは週刊誌や評論家ばかりという印象だった。
実際、1975年になり、3人が花の高二トリオになると、再び淳子が百恵を引き離す。前年暮れに出したシングル「はじめての出来事」が初のオリコン1位に輝くと、4月には淳子主演の映画『スプーン一杯の幸せ』が公開。その主題歌「ひとり歩き」もヒットして、ブロマイドの売上げも1位に。17歳になった淳子は髪も伸び、ひと際輝いていた。当時、同級生の小学生女子はみんな淳子の歌を口ずさんだ。
「横須賀ストーリー」の大ヒット、山口百恵にとって運命の年
そして―― 百恵にとって運命の年となる1976年を迎える。
この年の春、それまでCM・映画・ドラマと恋人役を演じて「ゴールデンコンビ」と呼ばれた三浦友和との間にコンビの解消説が流れた。風の噂では、友和は同世代のショーケンや松田優作らの活躍に焦りを感じ、正統派の殻を破りたがっていた。
実際、4月に公開された百恵主演の映画『エデンの海』の相手役は別の俳優が演じ、同じ月に始まった赤いシリーズ第3弾『赤い運命』の恋人役も、前作の友和から変わった。そのタイミングで6月、13枚目のシングルがリリースされる。「横須賀ストーリー」である。
これっきり これっきり もう
これっきりですか
これっきり これっきり もう
これっきりですか
作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童。2人に楽曲を依頼したのは、百恵自身の強い希望だったという。前年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの大ヒット曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で作詞家デビューを飾った阿木燿子サンは、百恵が育った街・横須賀に着目し、等身大のストーリーを書き上げた。それは、まさに百恵にとっての “マイ・ソング” だった。
「横須賀ストーリー」は80万枚を超える大ヒット。この年を最後に、百恵はデビュー以来、性典ソングを作詞し続けた千家和也氏と袂を分かつ。大人たちの操り人形ではない、等身大・山口百恵の誕生である。
さらに、これを機に “これっきり” と思われた三浦友和とのゴールデンコンビも復活する。同年7月に公開された映画『風立ちぬ』で再び両者は共演、11月に始まった赤いシリーズ第4弾『赤い衝撃』でも2人は再び恋人役になった。
花の高三トリオ解散、等身大の恋愛を綴った「夢先案内人」
一方、淳子はこの年、デビュー以来の勢いに陰りが見える。皮肉にも、彼女の前に立ちはだかったのは百恵ではなく、新人デュオのピンク・レディーだった。デビュー曲「ペッパー警部」は60万枚を超える大ヒット。そこからピンクの快進撃が始まる。共に小学生女子がメインのファン層である両者はマーケットが被り、淳子はピンクの影響をもろに受けた。
翌1977年3月、高校卒業を機に、花の高三トリオは解散する。4月、百恵は「夢先案内人」をリリース。阿木・宇崎作品だが、それまでの百恵ソングのイメージを覆す明るいメジャーコードのメロディ。歌詞も等身大の2人の恋愛模様を綴ったものだった。
月夜の海に 二人の乗ったゴンドラが
波もたてずに すべってゆきます
朝の気配が 東の空をほんのりと
ワインこぼした 色に染めてゆく
時に、山口百恵18歳。推測だが―― 高校を卒業した彼女は、ここへ来て、初めて恋愛対象として、いつも隣りにいる三浦友和を意識したのではないだろうか。そして阿木サンはそんな百恵の心情を敏感に感じ取り、歌詞にしたためたのだ。
思えば、百恵と友和が初めてグリコのCMで共演した時、百恵は15歳の少女で、友和は22歳の大人だった。2人の年齢差は7歳。それは恋人というより仲の良い兄妹のようだった。それから2人は映画にドラマにと恋人役を演じるが、それはあくまで物語の中だけの関係だった。
だが―― 気が付けば、百恵と友和は18歳と25歳。今や2人は恋人同士として違和感のない年齢になっていたのである。
「イミテーション・ゴールド」で高い評価、アイドルからアーティストへ
5月、全曲が阿木・宇崎の手による、百恵の最高傑作の呼び声高いアルバム『百恵白書』がリリースされる。驚くべきことに、その中に1曲もシングル曲はなかった。シングル+αの要素が強かった当時のアイドルのアルバムの中で、それは異彩を放っていた。
7月には阿木・宇崎コンビによるシングル「イミテーション・ゴールド」を発売。そして10月には、さだまさしが楽曲提供した「秋桜」をリリース。いずれも高い評価を得て、百恵はアイドルを脱して完全にアーティスト路線へと舵を切った。
一方、淳子もまた、この年、アイドルからの転換を図る。1977年11月にリリースされた「しあわせ芝居」は作詞・作曲が中島みゆき。それまでの笑顔のイメージから一転、直立不動で情感をにじませながら歌った。正直、それは女優としてのキャリアに長じる百恵を凌ぐものだった。皮肉にも、淳子はその卓越した表現力が評価され、次第に歌の世界から芝居へと軸足を移す。
ザ・ベストテン始まる、初ランクインは「赤い絆」
そして時代は1978年を迎え、あの伝説の番組が始まる。『ザ・ベストテン』である。初回放送は1月19日。出場歌手の第1号は野口五郎で、1位はピンク・レディーの「UFO」だった。
僕の目当ては桜田淳子で、彼女の「しあわせ芝居」は3位にランクインされた。一方、山口百恵の「赤い絆」は11位と、出場を逃す。しかし、結果的にこれが公正なランキングと逆に評価され、後に同番組の人気を押し上げる要因となる。出場しなくても番組に貢献する―― それがスターたる所以だろうか。
『ザ・ベストテン』に山口百恵が初めて登場したのは、翌週の第2回放送からだった。8位の「赤い絆」である。そこから彼女はランクインを続け、2月23日の第6回放送では、9位に「赤い絆」、7位に「乙女座 宮」と2曲同時のランクインを果たす。そして、僕はこの「乙女~」の虜になった。
少々前置きが長くなったが(長すぎる!)、今回の話は、今から43年前―― 1978年2月1日にリリースされた山口百恵の21枚目のシングル「乙女座 宮」である。心配しなくても、ここから先の話はそれほど長くない。
まるでメルヘン、「乙女座 宮」の世界観
私 ついてゆくわ(ホント)
とうに 決めているの(どこへ)
今から旅に出ようと
あなたがもしも誘ってくれたら
作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童のお馴染みの座組である。百恵には珍しい、明るいメジャーコードの曲だ。一聴して、あの「夢先案内人」を彷彿させる。事実、阿木燿子サンは、同曲を「夢先~」の続編的位置づけで書いたという。当時の2人の楽曲作りは “詞先” だったので、宇崎竜童サンはそれを意識して曲を付けたのだろう。
それにしても、歌詞の世界観が素晴らしい。まるでメルヘンの世界。絵本のワールドである。1ミリもリアリティがない。ここまで振り切ると、逆に新鮮に映る。メロディラインも秀逸である。個人的にはサビが明確な分、「夢先~」より、こちらの方が好きだ。サビに乗る詞も最高にカッコいい。
さあ 流星に乗って
銀河大陸横断鉄道
そう 夜空にきらめく
星の星の世界ね
そう、“銀河大陸横断鉄道”―― これだ。もし三大鉄道ソングを挙げろと言われたら、僕は躊躇することなく、「乙女座 宮」とゴダイゴの「銀河鉄道999」、そして大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」の3曲を選ぶ。いずれ劣らぬ名曲揃い。鉄道ソングに駄作なし。
最大の醍醐味はサビのあとのエピローグ
そして、同曲の最大の醍醐味は、サビのあとのエピローグのパートだ。
ペガサス経由で 牡牛座廻り
蟹座と戯れ
今は獅子座のあなたと一緒に
思わせぶりな歌詞である。語感も心地よい。これぞ名人芸。そして、ここで誰もが同じ思考回路に陥る。
「えーっと、三浦友和って何座だっけ?」
ちなみに、友和サンは1月28日生まれのみずがめ座。獅子座じゃない。ならば、2番や3番の詞はどうだろう。
山羊座に恋して さそり座ふって
魚座に初恋
今は獅子座のあなたに夢中よ
恋する命のときめきだけが
乙女座の祈り
若い獅子座のあなたに夢中よ 夢中よ
―― 2番・3番とも、みずがめ座の記述はない。そもそも百恵サン自身、1月17日生まれだから、山羊座である。乙女座でもない。
ただ、1つだけ、それらの星座パートに意味を見出すとしたら、乙女座と獅子座は隣り合った星座なのだ。つまり、散々廻り道をして他の星座と戯れたとしても、今は隣にいるあなたしか見えない、と。そう―― 百恵の山羊座と友和のみずがめ座も隣り合っている。それはまるでCMで初共演して以来、7歳もの年齢の壁や、コンビ解消の危機にさらされながらも、気が付けば今も隣同士である2人を彷彿とさせた。
「乙女座 宮」は、『ザ・ベストテン』に10週ランクインした。最初の週のみオフで彼女は休んだが、2週目から皆勤賞。しかも、中継ではなく、全てスタジオ入りして歌った。同曲を歌う百恵サンはいつも笑顔だった。それまで彼女にクールな印象しか抱いてなかった僕にとって、それはとても新鮮だった。
気が付けば、僕は山口百恵に恋をしていた。
歌詞引用:
横須賀ストーリー / 山口百恵
夢先案内人 / 山口百恵
乙女座 宮 / 山口百恵 ※2018年2月1日に掲載された記事をアップデート
2021.01.17