これってヴァン・ヘイレンのエディ?「ビート・イット」のギターソロ
あれは確か新宿・歌舞伎町あたり、今は無きカフェバーで話をしている時だった。
輸入盤で出たばかりのマイケル・ジャクソンの「スリラー」がLPでかかっていた。A面が終わりB面がかかり思わず話を中断。物凄いロック調のギターリフが鳴り出した。
「えっ? これマイケル?」
店員さんを呼んで曲名を聞いたら「ビート・イット」だと。曲を聴いてるうちにギターのリフの音色がソロパートになると変わった。
「このギター、ヴァン・ヘイレンのエディ?」
「マイケルが何でエディとやるんだよ? 確かにロック調の曲だけどありえないよ。マイケルとエディってどんな組み合わせ?」
友人に言うと一笑に付された。そうこうしてるうちにB面が終わり、私はコーヒーのおかわりと再度B面の1曲目をかけてくれるよう店員に頼み「ビート・イット」のギターに皆で全神経集中。
この時は誰も信じなかったが、やはりギターのソロパートはエドワード・ヴァン・ヘイレンだった。
ヴァン・ヘイレン初来日、ライブ後のエディが奏でたまさかのメロディ!
1978年6月、ヴァン・ヘイレンは初来日している。
『ぎんざNOW!』の木曜日「ポップティーンPOPS」で、初めてプロモーションビデオを観て来日を知りコンサートに行った。ここでランナウェイズの時に知り合ったグルーピーのお姉さん達に再会(以前のコラム
『ジョーン・ジェット、ランナウェイズの悩殺爆弾からアイ・ラヴ・ロックンロール!』を参照)。誘われるがままにホテルへ行った。
お姉さん達は部屋を予約していて、着替えたり化粧直しをしたり大忙し。素顔でおかっぱの私には眩しい存在。すると突然「帰って来たよ!」と1人のお姉さんが言い、ライブ後のメンバーが奥の部屋に戻って来た。
皆の最後に付いて行くと、向かい合わせの部屋の片方にエディ。他の3人は反対の部屋にいて、フロア中に響く大きな声で盛り上がっている。お姉さん達は英語ペラペラ。すっかり意気投合して写真を撮ったりメンバーと飲み始めた。
あっという間に片方の部屋の冷蔵庫が空になりお姉さんが私に言う。
「エディを呼んで来て! ついでにビールあるだけ持って来て!」
ドアの前にいた私は緊張感いっぱいに向かいのエディの部屋に入る。すると、聴き覚えのあるメロディーが…。
エドワード・ヴァン・ヘイレンを夢中にさせた、ハトヤのCMソング
エディはギターを抱え、テレビをつけながら曲を弾いていた。
ハローと小声で言った私に、
「ハイ。君この曲知ってる?」
「い、イエス」
「歌って!」
伊東にゆくならハトヤ 電話はヨイフロ
4・1・2・6!
4・1・2・6!
はっきりきめた ハトヤにきめた
「ワンモア!」
私が生まれて初めてホテルの部屋で2人きりになった異性はエドワード・ヴァン・ヘイレン。しかも出会い頭にハトヤのCMソングを歌い、彼はギターを弾いている。
呼びに来たお姉さんが誘っても彼はギターを離さず、どうやらテレビから流れたこの曲が気に入り、ずっと待っているがCMが流れないからうろ覚えで弾いていたとのこと。
英語は自信がないがハトヤなら任せて! とばかりに私は歌い、彼は5~6回目にはギターを弾きながら日本語で歌えるようになっていた。
当時も今も、私はギターはおろか楽器のことは分からないし演奏も出来ないが、初めて行った国のテレビで1回視たCMですぐに音を採り、数回で知らない言語を聴いて歌いアレンジするとは! ライトハンド云々… はさておき、耳が相当良いことと凄まじい集中力。今にして思えば絶対音感的な体質なのだろう。
綺麗なグルーピー達には目もくれず、酒盛りにも参加せず、ハトヤのCMソングを覚えるまで約1時間。私はエディの指先とギターばかり見ていた。
―― 魔法使いか天才か。耳で聴いて音に変換するさまは手品のように鮮やかだった。
CMソングを作った黄金コンビ、野坂昭如×いずみたく
マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」は、プロデューサーのクインシー・ジョーンズに呼ばれたエディがアレンジとリード含めノーギャラで30分で仕上げたらしい。
エディのギターに気づいた人が世界中に沢山いても、「まさか!」と言われた時代だった。
エディ曰く、
「メンバーに内緒だったし、多分まさか俺のギターだなんて誰も気付かないはず」
―― と答える謙遜ぶりが彼らしい。
残念ながらハトヤを演奏するエディの音源は無いが、大学ノートに貰ったサインには「ハトヤガール」って書いてある。
ちなみに、エディが良い曲だと言ったハトヤの曲は、作詞:野坂昭如、作曲:いずみたく の黄金コンビ。
※2019年7月7日、2019年11月30日、2021年10月6日に掲載された記事をアップデート
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2022.10.06