中学校に入学すると、音楽好きな友達の多くがそうだったように、僕は洋楽のヒットチャートを気にするようになった。お気に入りの番組が『ザ・ベストテン』から『ベストヒットUSA』に変わり、海外アーティストの名前をこぞって口にするようになるのは、少なくとも僕らにとっては自然なことのように思えた。小学校を卒業して中学生になるタイミングで洋楽を聴き始める。そんな流れが存在していた。
振り返ってみると、当時は今よりも洋楽が身近だった気がする。特に僕が住んでいた神奈川県は、ローカル局であるTVKがアメリカやイギリスのヒット曲を積極的に放送していたこともあり、当時MTVで流れていた最新のミュージックビデオをいち早く観ることができた。時はまさにミュージックビデオの時代だった。
新人からベテランまで新曲のリリースに合わせてビデオを制作していた。中にはすごく凝ったものもあったし、よくできたものもあったが、たいていは少し滑稽で意味不明なものが多かった気がする。だから、僕はライヴ映像をそのまま使ったような、アーティストの飾らない姿が見れるビデオが好きだった。
仲間内でも音楽の好みはそれぞれ違ったけれど、「マイケル・ジャクソンのダンスは凄い」というのは共通認識としてあった。「ビリー・ジーン」、「ビート・イット」、「スリラー」。アルバム『スリラー』から次々とシングルカットされるナンバーは、中学生だった僕にも強い印象を与えた。そして、それはミュージックビデオの存在なしには語れないものだった。音楽と映像がこれまでにないほどに密接に結びついた時代に、マイケルの独創的でキレのあるダンスが持つインパクトは絶大だった。
そのことを決定付けたのは、モータウン25周年記念コンサートでのパフォーマンスだった。マイケルが、あの有名なムーンウォークを初めて披露したときのことだ。その模様は1983年5月16日に全米で放映された。僕がこのシーンを観たのも、おそらく同じ頃だろう。目を疑ったと言うべきか。言葉を失ったと言うべきか。今見たばかりのことが信じられなかった。
マイクを片手にステージで歌い踊るマイケル・ジャクソンは、ビデオの中の彼とはまったく別物だった。巨大な才能を爆発させた本物のアーティストだった。そして、あのとき彼は何かを変えてしまったのだ。間奏とエンディングで見せたわずか数秒のダンス=ムーンウォークが、あらゆる壁を飛び越えて、あらゆる場所のあらゆる人達の胸に届いた。それは新しい時代の扉が開いた瞬間だった。
僕が今でも想い出すのは、学校の廊下で起きたある日の出来事だ。僕らはいつものように仲間で集まり、観たばかりのムーンウォークのことを興奮気味に話し、マイケルになったつもりでムーンウォークとは到底呼べない「不格好な後ろ歩き」を披露し合った。ふと周囲に目をやったとき、僕は驚いた。1組から6組まである教室の廊下のあちこちで、隣りの校舎へとつづく渡り廊下の奥まで、そこにいる誰もが「不格好な後ろ歩き」をしていたのだ。
それは実に壮観で、感動的な光景だった。マイケル・ジャクソンが見せたわずか数秒のダンス=ムーンウォークは、横浜市のはずれで暮らす中学生だった僕らにも、新しい時代の始まりを届けてくれたのだ。
2017.02.18
YouTube / heroheron66
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