12月6日
フットルースとトップガン、サントラから公開までの時間差マーケティング
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photo:SonyMusic  

1986年12月6日。

アメリカ本国での劇場公開から遅れる事、半年―― 映画『トップガン』は、お正月映画の目玉として全国最大規模のロードショーで劇場公開されました。1986年度の洋画興行成績1位を獲得。トム・クルーズの人気を決定づけた作品です。

当時の日本には、沢山のスクリーンを持つシネマコンプレックスはまだ存在していません。つまりスクリーン数が少ない為、ハリウッド映画の日本での公開が本国より数か月遅れる、といった事はごく普通の出来事だったのです。

サウンドトラック盤に関しては、アメリカでは当然映画公開と同時に発売されていますし、日本でも CBSソニーより7月21日にはすでに発売されていました。つまり日本でのアルバムの発売は、同じく映画が公開された12月より5か月も先行していたという事です。

従来型の映画音楽と呼ばれるサントラならば、日本での公開のタイミングに合わせて発売するのが極めて普通の考え方でした。しかし、70年代後半から登場し始めた新しいタイプのサントラに関しては、その状況は一変していたのです。

そうです。複数のヒットアーティストを起用し、シングル曲のオムニバス的な性格を兼ね備えたサントラです。

80年代に入ると MTV 時代が到来、新曲の PV がアメリカとほぼ同じタイミングで日本でも流れ始め、外資系レコードショップを中心に輸入盤も大量に即日入荷されるようになっていました。映画公開は遅くても、音楽の輸入スピードは上がっていました。

よって、国内盤を販売している大手レコード会社も、映画の公開時期がいつだろうが、まずは、とり急ぎ国内における発売体制を取らざるを得なくなりました。我々洋楽部門にとって輸入盤は敵だったのです。

この当時、CBSソニー洋楽部の組織は、制作宣伝の区別なく、カテゴリー別に分けられた2~3の小集団制となっていました。私はその一つの責任者でしたし、2年前に『フットルース』で成功し、ケニー・ロギンスの担当でもあったので、この『トップガン』も、私のチームで編成する事になりました。

『フットルース』と『トップガン』―― 映画公開に数か月先駆けてのアルバム発売、メインテーマは共にケニー・ロギンス。マーケティング戦略的に、大きな違いはありません。しかし、私は映画関係者からこんなふうに言われた事があるのです。

「我々が映画をヒットさせているから、君らのサウンドトラック盤は売れるんだろ」

確かに事実ですが、いつか映画業界のそうした偏見に対して、音楽の力を見せたいとずっと思っていたのです。

さて、ここで『フットルース』のおさらいですが、日本での映画公開が1984年7月、アルバムは4月発売です。その時間差は3か月。つまり、この3か月の時間差をアドバンテージとして考える事が、“公開前にヒット曲を量産し、映画館に客を送り込む” という長年の私の想いを成就させる鍵でした。

映画公開前までは、ヒットコンピレーション アルバムをつくるのを一義として、公開前に40万枚近くのセールスを記録しました。公開後は徹底的にサントラとして、映画のヒットに便乗、累計アルバムセールスはミリオンを軽く超えています。

とどのつまり、ビフォー&アフター、映画公開日を境にしたステージ1(=映画に頼らず音楽で勝負)とステージ2(=映画の大ヒットに便乗)の二つのコンセプトを使い分けていたという事です。

こうして、ケニー・ロギンスやボニー・タイラー、マイク・レノ&アン・ウィルソンなど数発のシングルヒットが生まれ、アルバムも映画も大ヒットしたのはご存知の通り。

そして、その2年後に『トップガン』を担当することになりました。映画への自信… まず、これが前回と決定的に違うところでした。何しろ、主演がトム・クルーズで戦闘機のパイロット役、ストーリーもよく出来ていましたし、TV-CM 出身のトニー・スコット監督らしく映像と音楽のシンクロも見事でした。試写直後の我々の感想は『フットルース』を遥かに超える大きなものでした。

アルバム発売から映画公開までの時間差は5か月。映画公開までにヒット曲を量産して、ヒットコンピレーションアルバムを仕上げておくというのは『フットルース』の時と同じ段取りですが、今回は2か月余計に時間があります。『トップガン』では、前回の成功を踏まえて、全三段階のステージを踏むことになりました。


◆ステージ1=『フットルース』同様に音楽を先行させ複数のヒット曲をつくる。

結果論も含めてのことですが、具体的には、7~8月と夏の間にケニー・ロギンス「デンジャー・ゾーン」(全米2位)が元気よく飛び出し、9月にベルリンのバラード曲「愛は吐息のように(Take My Breath Away)」が全米1位を獲得しました。予定通り、「ステージ1」の期間に日本でも2発のヒット曲を生み出しました。


◆ステージ2=既に出来上がっているヒット曲を映画のチカラで増強し、音楽と映画の話題で盛り上げる。

『トップガン』は、劇場公開2か月前の10月から各メディアで話題の年末映画として特集され、注目を集めていました。この機会を漏らさず、「デンジャー・ゾーン」「愛は吐息のように」の映像や音楽を紹介し強力にプッシュ、公開に向けて TVスポットも入り始め、この二つのヒット曲はさらに大きなものになっていきます。

もちろん、この2曲以外にチープ・トリック「マイティ・ウィング」、ラヴァーボーイ「ヘヴン・イン・ユア・アイズ」、マイアミ・サウンド・マシーン「ホット・サマー・ナイト」など、ポテンシャルの高いシングル曲が数多くありましたが、残念ながらケニーとベルリンのヒットがダントツでした。


◆ステージ3=映画公開を迎えて従来型のサウンドトラック盤として映画の大ヒットに便乗して拡売体制にはいる。

アルバムと映画の人気を引っ張った2曲は、劇場公開前の5か月に及ぶプロモーション期間を経て、完全にユーザーに刷り込まれていました。特に「愛は吐息のように」は映画の中で何度も効果的に使われて、あのロマンティックなイントロが流れると映画のシーンが脳裏に浮かび上がるほどです。アルバム自体は劇場公開前までに50万枚近くを売上げました。

映画会社との打ち合わせでは、レコード会社の宣伝マンとしてチーム全員がお揃いのトップガン・キャップ、US ネイビーシャツ、ID パスをを着用。彼等の全国会議などをアテンドしました。そして、その格好のまま、あえて全員で電車に乗り、映画をアピールしながらラジオ局回りもしました。きっと怪しい集団だと思われていたことでしょう。

またスーパーマーケットでは、「トップ」と名の付く日用品を買い集め、その商品名の横に「ガン」とプリントされたステッカー貼って、何でも、『トップガン』の販促物に仕立ててしまうなど、週替わりで様々なメディアキャンペーンを打っていました。これも今ではいい思い出です。

そして、目論見通りに音楽も映画も爆発的な大ヒット。その結果、このアルバムは当時の CBSソニー洋楽部の社内記録だった『フットルース』の120万枚をものの見事に更新しました。マライア・キャリーの登場までは、アルバムセールスNo.1の座を守っていたはずです。

2018.12.06
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