4月21日

宣伝マンの心意気、音楽のヒットで映画をあてようぜ!— フットルース篇

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photo:SonyMusic  

当時、CBSソニーで洋楽のディレクターやっていた私の1984年は『フットルース』のプロジェクトからスタートしました。

サントラ盤としてのアルバムは4月21日発売でしたが、これに先んじて年明けすぐ、映画関係者が全員集合した大キックオフ・コンヴェンションが日比谷の帝国ホテルで開催されたのです。

大手映画配給会社のUIPが音頭をとり、サントラ盤発売元の我々、大手広告代理店、映画関係メディア、そして全国の主要な映画館主さん達が集まっています。映画会社にとっては、映画をかける、つまり興行をうつための映画館オーナーさんが、まずは一番重要な人々。これは昔も今も変わりませんね。

ま、こういうことです。「夏公開予定のこの映画は、間違いなく大ヒットするので、映画館のスケジュールを確実におさえてね」というのが一番の狙い。「それに向けて、映画会社及び関係会社は、このような宣伝戦略で挑みますよ」というプレゼンテーションを行ったわけです。

映画会社が実施するTVスポットの規模感や企業とのタイアップ情報などをプレゼンして、映画館主さん達を巻き込んでいくわけですが、いわゆる全国一斉350スクリーンでの上映とか、派手なスタートダッシュをかけるためのものです。

なにしろこの映画、本国のパラマウント映画から日本のUIPに、早くから大きな期待とプレッシャーが寄せられていました。年明けにこのキックオフが開催されたこと自体、既に根回しがその前年から始まっていたということですが、こと音楽情報に関しては、この時点でCBSからほとんど入っておらず、映画会社から色々と教えてもらう始末でした。

大体の映画音楽はハリウッド主導で制作が行われるため、レコード会社への情報は遅くなりがち。ただ、ケニー・ロギンスが主題曲を歌うということだけは分かっていたので、ケニー担当の私がそのまま会議に参加するということになり、部長・課長と私と宣伝の4名が、UIPに依頼されプレゼンに臨んだわけです。

でね、音楽の発売元として、宣伝戦略をプレゼンしたのですよ。これが実に面白い結果を生むのです。そのプランの内容ですが、主題曲も聴いたことがなく、他にどういうメンツがいるのかも分からないのに、前夜にテキトーに作ったわけでございますよ。これを部長が仰々しく発表しました。

大仰な、もったいぶった言い方をイメージして読んでください。

「まず、CBSソニーとしては、アルバムに先駆けて3月に主題曲のシングルを切ります。まずはラジオ先行で全国AM・FMのヘヴィエアプレイをとりに行きます。そして日本中にこの主題歌を流します。4月中には全ラジオチャートの一位を獲得し全国制覇します。

—— この話題を音楽誌、映画誌、そして映画のターゲットである若者たちに人気のポパイや週刊プレイボーイなどの一般週刊誌、そしてなにより朝日・読売・毎日の全国紙。そして通信社を使って全国のブロック紙に至るまで確実にパブリシティを露出します。

—— つまり、映画に先駆けて4月から『FOOTLOOSE』という単語を若者たちの中に馴染ませ、到着するミュージックビデオはベストヒットUSAや11PMなどの人気番組、そして朝ワイド番組など、情報番組を軸に広く露出をします etc.」


笑っちゃいますが、これ全く日常的にやってるプロモーションです。特別なことは一つもありません。音楽関係者にとっては全く普通のことを、大仰にもったいぶって、自信たっぷりに語りあげたわけです。うちの上司ですが、大学時代はそういう、トークのサークルだったらしいです。プレゼンテーションとか講演とか司会とか、人前で喋るのが得意な方でした。

トイレタイムの時、横に並んで用を足してる人が仲間に言ってました。「すごいね、CBSソニーはもうプランできてるね。随分先行してるね。さすがやね」って。横で思わずニヤつく私。映画関係者の方には、もうすでにCBSソニーは準備しているし、そこまで戦略を練り上げているんだって100点満点のアピールができました。

さて、本当のマーケティング戦略に入ります。アメリカ映画公開は2月、日本公開は7月。この時間差をどう過ごすか、どう理解するかが、マーケティングの鍵でした。

映画が当たってサントラ盤が売れる。または映画告知の為にTVスポットが入り、これに主題曲が使用される。みんな耳にする。ヒット曲になる。これらは当たり前の図式で、いくら売れてもレコード会社の誰が偉い訳でもありません。映画をつくった人や宣伝費を使ってくれた映画会社が偉いのです。我々からは、まさにおんぶにだっこ状態ですね。

使う宣伝費にしても果てしなく規模が違いますし、映画会社から見れば、レコード会社はコバンザメのようなものかもしれません。ぶっちゃけ映画のヒットに貢献するのではなく、おこぼれで儲かっている状態です。

私、これが我慢ならなかったのですよ。映画あたってサントラ売れるのは普通のこと。そうじゃないだろ! って。このプロジェクトの心意気は “音楽で先にヒットをつくって、映画をあてようぜ” でした。そう、音楽の力で客を映画館に向かわせよう、ということです。

つまり、この時間差はこれを実現させるのに、絶好の機会であり期間であったというわけです。サントラ盤は映画が公開されて初めて、その命を持ちますが、公開前ではサントラ盤でもなんでもありません。しかも数か月も前です。映画は利用しますが、これを軸には考えません。要するにヒットソングが沢山入っているコンピレーションアルバムをつくろうとしたわけです。

“公開前までに30万枚以上売るぞ”、を合言葉に営業宣伝など全社をあげて売り出しに入りました。アメリカではアルバムと映画公開は2月。同じタイミングです。実際、日本でのシングル発売日(3月21日)周辺には主題曲の全米チャートNo.1やら映画動員記録更新など、大成功の情報が続々入っていました。こうなると勢いがとまりません。

以降、毎月のシングルカットをはじめ、12インチなども発売していきます。ケニーの主題曲に次ぐ2枚目のデニース・ウィリアムスの「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」も全米No.1に輝き、我々にパワーをくれました。3枚目はボニー・タイラーの「ヒーロー(Holding Out For A Hero)」、これは後の日本人歌手のカバー攻勢につながります。4枚目はシャラマーの「ダンシン・イン・ザ・シーツ」、5枚目はマイク・レノ&アン・ウィルソンの「パラダイス~愛のテーマ(Almost Paradise)」、6枚目がケニーの「アイム・フリー」です。プラス日本独自のムーヴング・ピクチャーズ「ネバー」もリカット。

このように、3月に始まり映画が公開された後まで、毎月なにかしら『フットルース』の音楽がメディアを騒がせていました。もちろんCBSソニーとしてもTVスポットをうちますし、結構な宣伝費を投入しています。追加プレスの度にアルバムの帯も何度も変えました。“話題沸騰ルース” って書いた記憶あります。

結果、映画公開までに7枚のシングルをカットし、ヒット曲連発の勢いで公開前に30万枚以上の目標を軽くクリア。40万枚近くで映画にバトンタッチしています。映画も大当たりして、お陰様で100万枚を軽く超す大ヒットになってます。それまでの社内記録はビリー・ジョエルの『ストレンジャー』と『ニューヨーク52番街』、共に100万枚を越えていましたが、このサントラ盤がそれらを上回り社内記録更新しました。

期末に社内のヒット賞の表彰があります。私、これで一番身分の高い “大賀賞” をもらいました。大賀さんは当時、SONYの社長でCBSソニーの会長でしたが、アクリルの重いオブジェをもらっただけです。これ、査定には一切関係ないのです(笑)。

時代はMTV時代。アメリカから送られてきた各曲のミュージッククリップには映画のシーンがちりばめられてましたし、若者の話題ネタとして音楽以外のTV情報番組でも結構流れました。みなさん、このクリップの効果で映画公開前にすっかり音楽と映像がシンクロしていたはずですが、実際映画の中で、その音楽が使われたシーンは、今まで見てきた場面(映像)とは違っていて、妙に違和感を持たれた方も多いはずです。

映画『フットルース』とそのサウンドトラック。まさに洋楽黄金の80年代を代表するものでした。何といっても、MTV時代の到来を告げるフォローウィンドが、このプロジェクトの大ヒットをつくってくれた、というわけです。

2018.04.20
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  YouTube / KennyLogginsVEVO


  YouTube / Retrospective Soundtrack
 

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