4月1日

歴史が遣わせたアイドル、松田聖子が最もエキサイティングだった黄金の6年間

83
3
 
 この日何の日? 
松田聖子のデビューシングル「裸足の季節」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1980年のコラム 
デビュー曲のどアタマの音符に込められた佐野元春の大発明

サイボーグ009と共に。いま爆音で響かせたいアニソン「誰がために」

共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.5

アメフトのラインメンがボズ・スキャッグスをこよなく愛す理由(わけ)

ウルトラマン 対 ジャッキー・チェン、ゴダイゴ印の主題歌たち

トランプ歌謡の最高峰 ♤♢♧♡ 石野真子「ハートで勝負」

もっとみる≫






photo:SonyMusic  

司馬遼太郎原作の大河ドラマに、幕末の長州藩の天才軍略家・大村益次郎を主人公にした『花神』という作品がある。その冒頭では毎回、オープニングの前に次のようなナレーションが流れる。

 一人の男がいる。
 歴史が彼を必要とした時、
 忽然として現われ、
 その使命が終わると、
 大急ぎで去った。

―― 事実、大村は長州存亡の危機と言われた第二次長州征伐に颯爽と現われ、農民、町人を含めた市民軍を創設して幕府軍に大勝すると、時代は一気に討幕へと傾く。そして戊辰戦争では政府軍を率いて東北・函館を制圧、ここに維新が成る。だが、大村自身はその年の暮れに刺客の刃に倒れたのである。

よく、人が歴史を作るのではなく、歴史が人を作ると言われる。
戦国時代の三傑―― 信長・秀吉・家康もまた、戦国の争乱を収めるために、歴史がこの世に彼ら3人を遣わせたとも。

アイドルの世界も同様かもしれない。時に1970年代末、キャンディーズが解散し、ピンク・レディーがアメリカ進出を機に失速し、山口百恵が三浦友和との婚約で引退を発表するに至り、アイドルの時代は終焉を迎えたかに見えた。

だが、そこへ歴史の神が手を差し伸べる。百恵の婚約・引退発表会見からわずか25日後、一人の女性アイドルがデビューする。彼女の登場を機に、日本中の若い女性がその髪型を真似し、歌声に憧れ、空前の80年代アイドルブームが幕開ける。

彼女こそ誰あろう、松田聖子その人である。

奇しくも今日、3月10日は聖子サンの誕生日。そこで、今回はアイドル史における松田聖子と、彼女を取り巻く作家陣の歴史的立ち位置を改めて検証したいと思う。

もう、お気づきの方もいるかもしれないが、この話もまた、例の「黄金の6年間」が深く関わってくる。そう、1978年から83年にかけて、東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代である。


この物語は、1978年に始まる。

その年の4月4日、キャンディーズが後楽園球場で華々しく有終の美を飾った、わずか3日後―― 九州は福岡の福岡市民会館にて、集英社と CBSソニーが主宰する女性アイドルの登竜門『ミスセブンティーン九州予選大会』の優勝者が決まる。久留米の信愛女学院2年に在籍する彼女の名は蒲池法子―― のちの松田聖子である。

だが、彼女は厳格な教育方針の父親の反対に遭い、全国大会への出場を断念する。しかし―― 時代の神は彼女を手放さない。現れた救世主は、後に聖子サンをデビュー時からプロデュースする CBSソニー(当時)の若松宗雄サンである。彼は先の予選大会の録音テープを一聴し、聖子サンの力強くも憂いのある歌声に一瞬で胸を掴まれる――「この声なら売れる!」

かくして、若松Pはスカウトのために久留米を訪れるが、ここでも父親の強い反対に遭う。ちなみに、のちに松本隆サンが聖子サンの作詞に志願するのも、デビュー曲の「裸足の季節」の力強い歌声に惹かれたからである。いかに、声質というものがアイドルにとって重要か――。

その後も、若松Pは何度も久留米を訪れ、聖子自身も粘り強く父親を説き続けた結果、ようやく翌79年2月、「1年で芽が出なかったら、帰ってくる」との条件付きで、歌手になる許しが出る。

同年6月、所属事務所がサンミュージックに決定する。但し、既に他にデビュー予定の新人がいたので、「来年春、高校を卒業してから上京するように」と告げられる。だが―― ここで聖子サンが取った行動が、彼女のアイドル人生を大きく変える。

彼女は高校を中退したのだ。そして上京してサンミュージック社長(当時)の相澤秀禎サン宅を訪れ、今すぐ歌手になりたいと直訴する。僕も一度だけ、岡田有希子サンの線香をあげに、成城にある相澤社長のご自宅に伺ったことがあるが、思ったより庶民的なお屋敷だったと記憶している。

ここで運命の扉が開く。相澤社長は聖子サンの行動力に心を動かされ、彼女を寮に入れ、堀越学園に転入させたのだ。つまり―― デビューのタイミングが1年早まったのだ。その結果、早生まれの聖子サンは高校卒業直後に18歳でデビューして、翌年3月まで18歳と、デビュー1年目を高校生(卒業してるが)のイメージで売ることが可能になった。フレッシュさが命の新人アイドルにとって、このアドバンテージは大きい。3枚目のシングルの両A面曲に「Eighteen」が選ばれたのも、そういうことである。

実際、売れるアイドルには早生まれが多い。当時の表記で申し訳ないが、キャンディーズのランとミキ、ピンク・レディーのミー、山口百恵、小泉今日子、伊藤つかさ、中山美穂、渡辺麻友、宮脇咲良―― みんな早生まれである。

1980年4月1日、聖子サンは念願のレコードデビューを果たす。1stシングルは、資生堂エクボ洗顔フォームの CMタイアップ曲の「裸足の季節」だった。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎。三浦サンは77年に作詞家デビューし、78年に八神純子の「みずいろの雨」がスマッシュヒット。一方、小田サンも79年にサーカスに提供した「アメリカン・フィーリング」が出世作になるなど、2人ともまだ駆け出しの職業作家だった。

7月1日、2ndシングル「青い珊瑚礁」リリース。作詞・作曲は前作と同じで、ここから、大村雅朗サンが編曲で参加する。彼もまた、78年に福岡から上京して、アレンジャー活動を始めたばかりのルーキー。山口百恵の「謝肉祭」の編曲で注目され、CBSソニーの若松プロデューサーから声がかかった。

そう、三浦・小田・大村ら初期・松田聖子サウンドを作り上げた面々は、比較的キャリアの浅い、新進気鋭のチームだった。それゆえ、フレッシュさと力強さを備えた楽曲が数多く生み出された。当時は楽曲のコンセプト作りからビジュアルやコピーワークまで全てを若松Pが手掛けており、彼の仕事のやりやすさもあったのだろう。

だが、2年目から若松Pは作家性を前面に打ち出す戦略に舵を切る。手始めに起用したのが財津和夫サンだった。財津サンはその期待に応え、「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」と3曲連続でシングルを作曲。一方、作詞では「白いパラソル」以降、自薦もあって松本隆サンが起用される。そして松本サンが半ばプロデューサー的立場となり、その交流関係から、大瀧詠一サン、ユーミン、細野晴臣サンら一流のニューミュージック勢を巻き込み、中期・松田聖子サウンドが確立されていく。


面白いデータがある。

財津サンを始め、中期・松田聖子に参加した重鎮の彼らもまた、1978年に何らかの転機を迎え、そして聖子サンに楽曲提供した80年代前期に、自身としても第二のブレイク期を経験しているのである。

財津サンは1978年にソロデビューをする。そして80年代に入り、チューリップのオリジナルメンバーの脱退が相次いだこともあり、次第にソロの比重を増やしていく。

松本サンは77年秋から78年にかけて手掛けた原田真二の一連の作品で、作詞家としてのポジションを確立する。そして80年代に入り、本格的にブレイク。

大瀧詠一サンは、78年にコロムビアとの契約を解消し、80年に CBSソニーに移籍すると、以後、「さらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供したり、『A LONG VACATION』がチャート2位に入るなど、80年代前半、精力的に活動する。

ユーミンは78年から83年にかけて、年2枚のオリジナルアルバムを発表するなど旺盛な創作意欲を見せる。そして第二次ユーミンブームを迎える。

細野晴臣サンは78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。それを機に、他の歌手への楽曲提供も精力的にこなすようになる。


―― さて、そこで、当の松田聖子サンである。

リアルタイムで彼女を眺めてきた僕が思うに、80年4月のデビューから、85年6月の神田正輝サンとの結婚までをアイドル期と呼ぶなら、その5年間で彼女は都合3回、人気のピークを迎えている。

1度目は80年7月の「青い珊瑚礁」から81年4月の「夏の扉」まで。いわゆる聖子ちゃんカットのスタンダードな彼女が堪能できて、声もかすれる前。男性人気が最も高かった時代である。

2度目は、82年1月の「赤いスイートピー」を起点とした時代。髪を切り、ユーミンのアドバイスで声を張らない歌い方に変え、女性ファンが一気に増えた時期である。

そして3度目が、83年4月の「天国のキッス」から、翌84年春先の「Rock'n Rouge」まで。俗に「1983年の松田聖子」と言われるほど、ストレートの髪型が支持されたり、キャンディボイスが完成の域に達した円熟の時代である。楽曲にも恵まれ、特にサントリー CANビールの CMソングに起用された「SWEET MEMORIES」はアダルトな世界観が支持され、大ヒット。同曲の作曲を手掛けた大村雅朗サンの代表曲にもなった。この時代があるから、今日まで聖子人気が続いているとも言われる。


―― だが、聖子サンの3度目のピークもそこまで。不思議なことに、84年5月、17枚目のシングル「時間の国のアリス」がリリースされると、彼女の人気はじりじりと下がり始める。楽曲はユーミンの提供だし、特にクオリティが低いワケではない。不思議だった。

気が付けば、黄金の6年間は終わっていた。もしかしたら、時代の神様が彼女にこうささやいたのかもしれない。

「もう、みんなのために歌わなくてもいいんだよ。誰かのために歌えばいいんです」――。

彼女が最初の結婚式を挙げるのは、その1年後である。

2019.03.10
83
  Apple Music


  Apple Music
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
42
1
9
8
3
1983年夏、夏期講習の帰りに聴いた松田聖子の天国のキッスなどなど
カタリベ / 太田 秀樹
81
1
9
8
3
スージー鈴木の極私的大村雅朗ヒストリー(その2)
カタリベ / スージー鈴木
97
1
9
8
1
夏の扉とルビーの指環、聖子の運命を決定づける神曲と立ちはだかる最強の敵
カタリベ / 指南役
74
1
9
7
8
黄金の6年間:いよいよユーミン再始動!松任谷由実の新しい世界が始まった
カタリベ / 指南役
62
1
9
8
2
松田聖子の歌詞をもっと楽しむ196通りの方法 ー 松本隆 篇
カタリベ / スージー鈴木
35
1
9
8
3
松田聖子プロジェクトの最高傑作、細野晴臣も参加した「天国のキッス」
カタリベ / 鈴木 啓之
Re:minder - リマインダー