時代を感じさせない大江千里のピアノ
2021年8月28日21時(JST)。曇り空のブルックリンのビルの屋上ガーデンテラスからの大江千里さんの配信ライブ『納涼JAZZ千里天国 fromブルックリン』を、モヒート代わりの缶チューハイをお供にわたしはリアルタイム視聴した。
“夏をギュギュっと凝縮してのライブ” ということで、この日、大江千里さんは2021年7月に発表した新作『Letter to N.Y.』からのジャズナンバー3曲や日本の夏の唱歌等に加えて、POP時代の曲をメドレー含めて多数披露した。「POP時代の曲は難しい!」と言いながらも、楽しそうに、時々は歌いながらピアノを奏でる。ポップ時代のアレンジを生かしながら2021年の千里さんのジャズフレイバーを加えた、千里さんの10本の指で奏でられるピアノの音は時代を感じさせない美しさがある。
大江千里のライブ演奏、横浜がニューヨークになった?
ジャズピアニストとしての大江千里さんを、わたしは一度生で観たことがある。
2013年9月12日、モーションブルーヨコハマにて。ジャズピアニストとしての2枚目のアルバム『Spooky Hotel』を発売した頃。おおげさでなく、横浜がニューヨークになっていた。千里さんの演奏は、ニューヨークのライブハウスにいるような錯覚に見事に陥れ、モーションブルーから馬車道駅へ向かう帰り道、わたしの周囲の景色はニューヨークだった。
「退路を断ってジャズピアニストとしての路を進むワッフル千里がこんなにかっけーとは」… と当時のメモにわたしは記していた。あれからもう随分時間が経ち、千里さんはジャズピアニストとしてコンポーザーとして走り続けている。
大江千里さんは著書『マンハッタンに陽はまた昇る』(KADOKAWA)で次のように記している。
「僕はジャズやフュージョンやポップやソウルやいろんな音楽に興味があり、どれもどこか中途半端だった。それをポップのシンガーソングライターというフィルターに助けられたのだ」
ボサノバでポプコンに出場、きっかけはアントニオ・カルロス・ジョビン
3歳からクラシックピアノを習い中学時代から作曲を始めた千里さん。1977年、高校生の時に出場した第14回ヤマハポピュラーソングコンテストの関西決勝大会で、譜面応募した「エメラルドの風の中」というボサノバナンバーを作詞作曲してオーケストラをバックに歌った。
この曲は数年後に千里さんが大学時代に結成していたバンド、トニオ・クレイガーでテンポアップした軽快な16ビートのアレンジ(竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」的な雰囲気が近い)で神戸のライブハウス、チキン・ジョージで演奏している様子をYouTubeで見ることができる。
ボサノバの曲を書いた理由はアントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム『ストーン・フラワー』がきっかけだそう。1977年といえばボサノバが日本のお茶の間にも広く降りていた頃。丸山圭子さん「どうぞこのまま」も太田裕美さん「恋愛遊戯」もボッサだ。
いま、ジャズピアニストとして活躍している千里さんを思うと、最初のポプコンではボッサだったと言われても何とも思わないどころか、なるほど! と思うところだが、もし1980年代後半のPOPな頃にこのエピソードを知っていたら、わたしは大変驚いていただろう。
ジャズナンバーのにおいがする「YOU」
ご自身でもライブで「POP時代の曲は難しい」と語る大江千里さんの当時の作品は、シンプルながらどこか揺らぎのある美しいメロディが目立つ。千里さんが学生時代大好きで憧れ、大きな影響を受けた松任谷由実さんと同様に、非和声音の使い方が印象に残る。ポップスの中に、今につながるジャズナンバーのにおいがする。今回取り上げる「YOU」にしても、歌をよく知っていないとカラオケで音階が取りにくい歌い出しだ。
POP時代のライブで人気があり、前述の『納涼JAZZ千里天国』でも当初3拍子のジャズアレンジで、後半は4拍子のポップ時代に近い形で演奏された「YOU」。オリジナルは1987年7月リリースのアルバム『OLYMPIC』の先行シングルとして、5月21日に発売された。イントロから “チャチャチャチャチャーチャチャーチャチャー” と鳴る景気のいいピアノの響きが一気に気分を上げる。
優しさ 厳しさ 試されない
感じる心なくしたくない
きみを抱きしめてたい
コンコースをぬけだすのさ
息もできないくらい
離さない 離さない
きみを抱きしめてたい
肩幅も 情熱も
時代の速さの中で
きみだけを きみだけを
離さない 離さない
詞と曲が一緒に湧き上がってくることが多いという千里さんのヴォーカルが、勢いづいたメロディに乗って、直球ではじけ飛んでくる。多数の千里さんのナンバーでも、スピード感とストレート感ではトップクラスのインパクトを持つ、爽快でハッピーなラブソングだ。2015年にはアイドルネッサンスにもカヴァーされている。
内外のアーティストに影響を受けてきた大江千里
アルバム『OLIMPIC』が発売された時期の『PATi-PATi』1987年8月号には、『OLIMPIC』のためのライナーノーツとして「YOU」についてこんな記述がある。
「千里くんの心の中に湧きおこった、どうしようもなく止めることができないこの感情(注:自分の夢や憧れのこと)は、そのまま曲のスピード感に結びついている」
また、同『PATi-PATi』1987年9月号で、1960年生まれの千里さんはこう語っている。
「“ビートルズ” とか “ストーンズ” とか、自分の音楽ルーツの中に確固たるアイドルがいなかった。そんな時代に育った僕は、たくさんの情報にまどわされながらも、その中であくせくあくせくしながら、自分自身を取り戻そうとしていた世代だ」
15歳の頃から大阪のアメリカ村のレコード店でアントニオ・カルロス・ジョビン、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンス等のレコードをジャケ買いして貪り聴いてきた千里さん。それからも数々の内外のアーティストに影響を受けてきた。
そういえば千里さんのポップスのシンガーソングライター時代のベストアルバムのタイトルは『Sloppy Joe』。“Sloppy Joe(スラッピー・ジョー、スロッピー・ジョーとも)” というのは日本でいう “ネコ飯” のような米国の郷土料理で、そこらじゅうのよさげな材料をぶっこんで煮詰めて時間をかけて旨味を引き出すという料理。
千里さんの新作である宅録ジャズはこの夏の終わり、コロナ禍でささくれたわたしの心にスーっとおいしい水のように染み込んで癒してくれた。千里さんはこれからも、美味しく煮詰めたどこかポップなメロディの “Sloppy Joe” を、「さあ、どうぞ!」とピアノにのせて振る舞ってくれそうだ。
2021.09.06