大卒で日本コロムビアに入社、1910フルーツガムカンパニー「トレイン」、ルー・クリスティ「魔法」(She Sold Me Magic)などを1969年にヒットさせます。68年にCBS・ソニーができたため、既に日本コロムビアと米CBSのライセンス契約は終了しており、高久さんは海外の小さなレーベルから、日本のマーケットで売れそうなものを探しては発売していました。この2曲はいずれも、米国の “ブッダ・レコード” という、のちには大きくなりますが、当時はまだできたばかりの新興レーベル。「魔法」はさらに本国ではB面だったそうです。洋楽というと “ビルボード1位!” とか、海外での実績が唯一の売り文句、というイメージがありますが、この頃は、それよりも音楽そのものを重視していたんですね。
そして、タイトルは作品の “顔” でもありますから、よりキャッチーなものにしたい。「あなたのとりこ」もなかなか印象的ないいタイトルですが、この “邦題” を考えるのが洋楽ディレクターのだいじな仕事のひとつでした。先程の「魔法」は、原題の「She Sold Me Magic」の「Magic」を活かしつつ、当時家電でも 「銀河」(洗濯機)とか「嵯峨」(テレビ)など、漢字2文字の商品名が流行っていたことも踏まえて、高久さんが「魔法」と決めたそうです。
その後、彼はCBS・ソニーに誘われ、転社します。以前から好きだったミッシェル・ポルナレフを担当して、1971年9月にリリースしたのが「シェリーに口づけ」。この邦題も高久さん考案で、原題は「Tout, tout pour ma chérie」。意味は「すべてを僕の愛しい人に」ですが、実はこの曲、既に69年9月に、CBS・ソニーから一度発売されていました。だけどその時は「可愛いシェリーのために」というタイトルで、全くヒットせず。その邦題がよくないんじゃないかと感じた高久さんは、締切ギリギリまで考えて、“トゥートゥー” というのがキスの音みたいだからと、「シェリーに口づけ」を思いつきました。
ジャケットも替えて、再発売すると、見事に大ヒット。このシングルだけではなく、次作の、やはり邦題を更新しての再発売だった「愛の願い」(Love Me Please Love Me / 1971年)、その後も「愛の休日」(Holidays / 1972年)「愛のコレクション」 (Qui A Tue Grand' Maman / 1972年)などを、次々にヒットさせて、たちまちポルナレフの存在を日本中に知らしめました。