実力派バンド安全地帯、井上陽水と出会いメジャーデビュー
80年代を語るにあたり、安全地帯は避けて通れないグループだろう。1973年結成。アマチュア時代の安全地帯は、ヤマハポピュラーソングコンテストをはじめ数々のコンテストで入賞を勝ち取り、北海道を代表する実力派アマチュアバンドへと登りつめた。その後、紆余曲折はあったけれど、井上陽水を紹介してもらうという大チャンスを彼らはガッチリとものにする。
安全地帯の実力を買った陽水は、彼らを東京へ呼び寄せる。そして1981年8月から1982年のメジャーデビューを挟み1983年1月までおよそ1年半もの間、安全地帯は井上陽水のバックバンド、及びサポートミュージシャンとして全国ツアーに参加。同1983年1月、4枚目のシングル曲「ワインレッドの心」リリースにより、彼らの人気は瞬く間に全国を席巻してゆく。それは、“天才肌のミュージシャン” と語られる玉置浩二の魅力が世間に認知された瞬間でもある。
彼はいつも顔をくしゃくしゃにして歌うけれど、その内なる想いは吐息を伴った甘い歌声に凝縮され、奇跡ともいえる美しい音の調べに変換される。その魅力的な歌声と、美しいメロディーラインをバンドサウンドに溶け込ませ昇華することによって、安全地帯は唯一無二のグループとして完成されたのだ。
6人目のメンバー、作詞家 松井五郎との出会い
メジャーデビュー当時、詞が安定せずヒットに恵まれなかった彼らだが、井上陽水が詞を書いた「ワインレッドの心」から、メキメキと頭角を現していった。後に作詞家の松井五郎と出会うことで安全地帯の人気は不動のものになるのだが、これもまた潮目が変わる奇跡の瞬間だったに違いない。
松井五郎は、チャゲ&飛鳥、長渕剛、氷室京介など多くのシンガーに作品提供した売れっ子の作詞家だが、彼が書く詞の世界観は特に玉置浩二が奏でるメロディーとの親和性が高かった。それはもう “6人目の安全地帯メンバー” と言われるほどで、華々しく残された功績がその事実を雄弁に語っている。
さて今回の歌詞深読みは、その松井五郎が作詞した安全地帯9枚目のシングル曲「悲しみにさよなら」に焦点を合わせてみた。彼の描いた世界観に向けて、僕の妄想する思いを馳せてみたくなったのだ。美しいバラードに隠された真実とはいかに…。
「悲しみにさよなら」の歌詞を深読み、主人公のそばにいるのは誰?
泣かないでひとりで
ほほえんでみつめて
あなたのそばにいるから
曲のなかで一番盛り上がるパートはサビだ。それを最初に持ってくるという構成は、より強調してそのパートを聴いて欲しいというこだわりである。つまり、ドラマチックに仕立てたこの一節のなかに「悲しみにさよなら」で伝えたい一番大切なことが記されているはずだ。
サビには、“泣いているあなた” と、“やさしい眼差しでそばにいるもうひとり” の存在が描かれている。そこに僕は着目した。この、もうひとりの存在とは、いったい誰のことなのだろう…。歌詞の雰囲気から察するに、失恋で心がこわれそうな男性と、それを慰める女性という読み方がすんなりくると思う。失恋をしたのが女性ならば、慰める言葉は “あなた” ではなく “きみのそばにいるから” とするのが筋だからだ。
やさしく包み込んでくれる女性… それって菩薩?
夢にまで涙があふれるくらい
恋はこわれやすくて
抱きしめる腕のつよさでさえなぜか
ゆれる心をとめられない
涙の痕… きっと失恋した彼は、背を向けて枕に顔をうずめたまま眠ってしまったのだろう。同じベッドのなかで、その彼をうしろからギュッと抱きしめて、でも彼の心は悲しみを伴ったまま夢の中をさまよっているよう… と、ここまで読んで「おや?」と思わなかっただろうか。恋が終わり、ひとりきりの世界に閉じこもった彼を同じベッドで抱きしめるという構図が不自然過ぎるのだ。
この女性は本命の彼女ではなく、失恋したときだけ甘えに行ける都合の良い女性なのだろうか? そんな自分の都合ばかり優先する彼に対して「♪ でも、泣かないで…」なんてやさしく包み込んでくれる女性って、菩薩か何かなのだろうか? 謎を含んだまま次の一節を読み込んでみる。
主人公はマザコン? ここまで愛情を注いでくれるのは母親?
唇をかさねてたしかめるのに
夢の続き捜すの
うつむいてひとつの夜にいることも
きっとあなたは忘れている
唇をかさねるということは、愛情表現に違いない。ただ、「たしかめるのに」という否定の接続詞に続けて「夢の続きを捜すの」と問いかけが続く。それは、ひとりきりで悲しみを背負う彼への慰めが届いていない、まだ足りてないという達観だ。「きっとあなたは忘れている」という部分が、その一抹の寂しさを表している。それでもこの女性は「♪ もう泣かないで…」と、やさしい言葉を投げかけ続けるのだ。
この女性、どれだけお人好しなのだろう… あるいは無償の愛に長けているのだろうか? いくら無償の愛に長けているとはいえ、そこは愛したら愛されたいと思うのが人間の真理である。ましてや見返りを求めないとか、奉仕の心だけで生きてゆくなんて無理!王様に仕える召使いではあるまいし… と僕は感じてしまった。そう、ここまでの歌詞から導くとすれば、この状況は対等な男女の関係性でないということ。
こんな彼に対してここまで愛情を注げるのはお母さん? とか、そういう母性しか思いつかないけれど、それじゃあこの彼は完全なマザコンになっちゃうわけで、さすがにそれはないと思うんだよね… だって楽曲はドラマチックで美しいバラードなのだから。
いやいや、この女性の正体はいったい…?
さて、勘の良い読者ならばこの女性が何者かにそろそろ気づく頃だろう。深読みマスターとして僕が辿り着いた妄想をここで盛大に発表したいと思う。
この女性、もしかするとあなたのすぐそばにいるかもしれない。ひょっとすると、あなたがいま手に持っているスマホの Twitter や Facebook、Instagram の画面をスクロールしたら出会えるかもしれない。そう、この女性の正体とは “犬” だからだ。
犬を飼っている人ならよくわかる話だけれど、犬は人の感情がわかる生き物である。飼い犬はご主人が悲しいとき、言葉は通じないけれど、かならず傍に寄り添って優しい眼差しで見つめてくれる。抱きついてきたり、顔を寄せてキスしてきたり、ご主人に微笑んでもらいたくて一生懸命に世話を焼いてくれる。まさにそれは無償の愛であり、見返りを求めない奉仕する心そのものではないだろうか。
強い意志と無垢な姿、それは純粋な愛の証
泣かないでひとりで
ほほえんでみつめて
あなたのそばにいるから
何度も何度も語りかけるようにリフレインする歌詞は、飼い犬が傷心のご主人様に元気になってもらおうとする究極の愛を語らせたもの。さらにエンディングに向けて一度ならず二度の転調を繰り返すのは、彼がこの悲しみから立ち直るまで絶対に諦めないという強い意志を感じさせ、同時にあなただけを見つめ千切れんばかりに尾を振る無垢な姿を想起させる。それは純粋な愛の証に他ならない。
人は何もかも棄てて献身することの難しさを知っている。だからこそ、この曲を聴いた人は、その愛おしく切なさに満ちた思いに気づき、焦がれ、そして共感するのだ。
危険から距離をとり守られた安全な場所… 名は体を表すと言うけれど、安全地帯というグループ名が、「悲しみにさよなら」によってそれを証明したのだと、僕にはそう思えてならない。安全地帯は、いつだってあなたの心に寄り添う準備をして待ってくれているのだから。
2020.06.25