ここだけの話、僕が人生で最初に買ったレコードは、伊藤つかさの1stシングル「少女人形」である。
今日は、そんな彼女がデビューして、ちょうど36年目になる。時に1981年9月1日。当時、伊藤つかさサンは14歳の中学3年生。僕より学年は1つ上だが、彼女は早生まれなので、生まれ年は同じだった。まるで憧れのクラスメートがデビューしたような感覚だった。もしかしたら、僕の初恋だったのかもしれない。
そう、あのころ、クラスの男子の9割は伊藤つかさに恋をしていた。いや、正確に言えば、“赤上近子” に恋をしていた。彼女が『3年B組金八先生』第2シリーズ(TBS系)で演じた女生徒だ。机は教室の一番前の真ん中、いわゆる優等生席。まるでお人形さんのような、可憐な美少女だった。
『金八先生』は全8シリーズが作られたが、最高傑作と言えば、やはり第2シリーズ(1980年10月~81年3月)をおいて他にないだろう。シリーズもので続編のほうが1作目より評価が高い例は、映画『ゴッドファーザーPARTⅡ』や『スターウォーズ 帝国の逆襲』、『ターミネーター2』、『トイ・ストーリー2』などが挙げられるが、同ドラマもその1つである。
もちろん、第1シリーズも傑作だった。でも、どちらかと言えば、たのきんトリオの3人に、三原順子(現・じゅん子)に杉田かおる、つちやかおりといった生徒たちのリアル人気が先行した前シリーズに対し、第2シリーズは直江喜一演ずる加藤優ら “腐ったミカン” のリアルな物語性で見せた。最終回の1つ前、中島みゆきの「世情」が流れる中、加藤や沖田浩之演ずる松浦らが逮捕・連行されるシーンは同ドラマ屈指の名場面として語り継がれる。名人・生野慈朗の神演出だった。
そんな第2シリーズで、いわゆるクラスのマドンナを務めたのが伊藤つかさである。当時、彼女はリアルで中学2年生。クラスの女子で最年少だった。中学生と言いつつ、どこか大人びた生徒が多い中(実際、沖田浩之や加藤役の直江喜一は高校3年の世代だった)、伊藤つかさの存在は、リアリティを求める同ドラマにハマっていた。
彼女が主役を演じる回がある。第9話の「受験と恋と勘違い」だ。物語は、伊藤つかさ演じる赤上近子に片思いする幼馴染の次郎の悩める姿を軸に進む。2人はかつて野球部の部員とマネージャーの関係で親しくしていたこともあり、次郎は自分たちが付き合っていると勘違いするが、近子にとって彼は、ただの幼馴染の一人に過ぎない。よくある話である。
3年生になり、お互い部活も引退して、受験勉強に取り組んでいたある日、近子は次郎に「同じ高校には行けない」と告げる。次郎はフラれたと思い込み(そもそも付き合ってもいないが)、悩み苦しむ。
教室で近子がクラスメートの秀才君から勉強を教わっていたら、彼を呼び出して「近子のことを頼む」と元カレ面したり、クラス一のデブ君がたまたま近子と立ち話をしてる場面を目撃したら、彼をトイレの個室に押し込み「どうしてお前なんだ!」と問い詰めたり――(ここは同回の屈指の笑いどころである)。まぁ、痛すぎるが、男子なら誰しも思い当たる行動である。
物語の終盤、お茶の間の大方の予想通り、次郎に「同じ高校に行けない」と告げた近子の志望校が女子高だと判明する。それを金八先生から聞かされ、安堵する次郎。最初から近子が彼に「私、女子高に行くの」と言っておけば、ここまでの騒動にはならなかったが、それではドラマが開始5分で終わってしまう。
とにかく―― この第9話は伊藤つかさの罪作りな可愛さが際立った回だった。クラスの男子にナチュラルに話しかけ、相手を勘違いさせるタイプの美少女だ。少なくとも、同回を見た僕を含む全国の男子中学生たちは皆、伊藤つかさ演じる赤上近子に恋をした(実際、リアル3Bの男子生徒たちの中でも、伊藤つかさは一番人気だったと聞く)。
そんなこんなで翌1981年3月、加藤らの反乱で大盛り上がりを見せた第2シリーズも終わり、僕らは強烈な「つかさロス」に見舞われた。
それから半年―― 思わぬ朗報が飛び込んでくる。伊藤つかさの歌手デビューである。普通、新人歌手のデビューといえば春先と相場が決まっているが、なんと秋口である。僕は一念発起して、隣町のレコード屋まで自転車を飛ばし、彼女のデビュー曲の「少女人形」を買いに走った。人生で初めて買うレコードだった。
夢を見る人形と
みんな私を呼ぶの
風に揺られ 白い風船
飛んでるみたいと
そのジャケットは、白いセーラー服姿の伊藤つかさである。まさに、リアル少女人形。その歌声はお世辞にも上手いとは言い難いが、メルヘン調の詩・曲とも彼女の世界観にピタリと合っていた。作曲は南こうせつサンである。
「少女人形」はオリコンチャートを順調に駆け上がり、ベスト10入りする。そうなると―― 当然、あの番組の出演が待っている。そう、『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。
リリースからちょうど一ヶ月後の1981年10月1日、その日はやってきた。「少女人形」が第10位にランクインされたのだ。あのミラーゲートから生の伊藤つかさが登場する! と思うと、テレビの前の僕はドキドキした。しかし――
「申し訳ございません」と頭を下げる久米宏サン。なんと「労働基準法」の関係で、15歳未満は夜20時以降の生放送のテレビ出演はできないという。そう、伊藤つかさは当時14歳。年齢制限でベストテンの生出演は叶わないのだ。結局、彼女は同曲で7週間ランクインするが、全てVTRの出演だった。
同年12月1日、彼女の2ndシングルがリリースされる。タイトルは「夕暮れ物語」。加藤和彦作曲・安井かずみ作詞のマイナー調の珠玉のバラードで、オリコン最高位9位とスマッシュヒットする。
そして3rdシングル「夢見るSeason」は、翌82年2月21日のリリース。作詞作曲は原由子。それまでのメルヘン路線から脱皮し、等身大の歌詞のポップなナンバーだった。しかも、リリース日は彼女の15歳の誕生日である。そう、晴れて労働基準法から解放されたのだ。
だが―― 時に神様は非情である。同曲はオリコン最高位11位。遂に『ザ・ベストテン』のランクインは叶わなかったのである。
生放送で伊藤つかさを見たい―― そんな全国の男子の願いは、他局の番組に飛び火する。同年10月4日、フジテレビで『笑っていいとも』がスタート。同番組の名物コーナーと言えば、お友達の紹介でゲストを繋いでいく「テレフォン・ショッキング」だが、なんと同コーナーは、司会のタモリさんが伊藤つかさに会いたいがために作られたという。テレビ界の大物司会者まで虜にする彼女は、まさに罪作りな女性である。
1985年7月8日、遂にその日がやってくる。同コーナーに伊藤つかさが生出演。時に彼女は18歳の女子大生になっていた。『ザ・ベストテン』にVTR出演してから、早4年近くが経過していた。
もっとも、僕はその回の放送を見ていない。そもそも昼間は高校だったし、季節は移ろう。そう―― 既に僕の興味はリアルな同級生の女子に移っていた。『トイ・ストーリー2』じゃないが、お人形遊びの季節は、とうに終わっていたのである。
2017.09.01
YouTube / tomoko31103
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