生まれも育ちも東京の私は中学、高校共に修学旅行は京都だった。
当時の京都と言えば、村八分を筆頭に独特の音楽シーンがあった。僅か2時間の自由時間に皆が新京極でお土産買いにいそしむ中、私は単独行動で古着屋やライブハウスを観に行った。
そして、古着屋の店員さんから驚愕の事実を聞いた。
「デヴィッド・ボウイって、知ってる? 京都に住んではるんよ。」
更に話しを聞くとクラブやライブハウスに出没中と… 時間切れで宿に戻り興奮覚めやらず、こっそりクラブ・モダーンに行きボウイ探しをしたかったが、私服がパジャマしか無いので流石に断念。
その京都時代のボウイが何度も観たお気に入りのバンドが「ザ・ノーコメンツ」というのを聞き、程なくして野音の10円コンサートに登場した彼らに初見でハマった。
そう、彼らは全てが斬新だった――
男女のツインボーカル。特に紅一点ボーカルのリツコ嬢は金髪のウィッグにサックス吹いて踊り歌うスタイル。他のメンバー陣もカラフルな DC ブランドに身を包み演奏しながら動き回る。
アマチュア時代からスタイリストがメンバーとして在籍。パンク、ニューウェーブからファンク、ラテン味溢れるスカビート。何もかも新しくて懐かしかった。
印象深いのは81年6月27日の久保講堂のライブ。ノーコメンツ以外、全て福岡のバンド。所謂、めんたいロックのライブにトップバッターで登場。最前列で観ていた私に聞こえて来たのは容赦無い罵声。
「早く終われ!」「つまんねー」
野次の中、やりにくそうな彼らは5~6曲演奏した。その野次が一瞬収まった曲が、当時シングルカットされた「東京ガール」。京都の彼らが当時の東京の情景をよくも見事に表現し、スカビートで唄い上げた名曲だった。
「原宿あたりのカフェ クリームソーダのストロー」って歌詞があり、メンバーはしっかりクリームソーダのシャツを着て出て来た… 京都流、あえてリーゼントじゃなく着るクリームソーダのシャツが憎い位カッコ良かった。
その後の彼らはプロデューサーやアートディレクターになっていて、まさにアートやファッションや音、全てを融合した唯一の元祖スカバンドだった。
当時の聴き手は、スカでどう踊って、どうリアクションして良いかが、まだまだ分かって無かったのも事実―― 散々の野次の中、ボーカルのリツコ嬢は最後に「ほんま、今日はおおきに」とお辞儀して去って行った。
野次の中での「おおきに」の返しに、やはり京女には一生敵わないと悟った私だった。
歌詞引用:
東京ガール / ザ・ノーコメンツ
2018.07.19
YouTube / djgunkan1
YouTube / Ken Shimo
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