9月1日

オフコースのベストアルバム「セレクション1978-81」その歴史的意義は?

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オフコースのベストアルバム「SELECTION 1978-81」がリリースされた日
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photo:UNIVERSAL MUSIC  

オフコースのベストアルバム第2弾「SELECTION 1978-81」


オフコースを世に出した中期のプロデューサーで今年7月に亡くなった武藤敏史は、1978年にオフコース初のベストアルバム『SELECTION 1973-78』がリリースされた時、こう語っていた。

「また5年経ったら今度は『79年~83年』という形で、次のベストアルバムを是非作ってみたい」

しかし次のベスト盤が出たのはそれから僅か3年後、『78年~81年』という形だった。そして武藤が想定していた1983年には5人のオフコースはもう活動を止めていた。

It was 40 years ago today
1981年9月1日、オフコースの2枚めのベストアルバム『SELECTION 1978-81』がリリースされた。

1980年11月21日にリリースされたオリジナルアルバム『We are』から9か月余り。そしてこの3か月後には早くも次のオリジナルアルバム『over』が世に問われている。1年強で3枚のアルバムという、当時としてもかなりのハイペースだった。しかしこのベストはオリコンで4週連続1位を記録し、年間でも15位に達するビッグヒットとなっている。

『SELECTION 1978-81』のリリースは何故急がれたのだろうか。

鈴木康博脱退の意志がこのアルバムを生んだ?


オフコースは1979年12月1日にリリースされた小田和正(キーボード)作の「さよなら」で遂に大ブレイクを果たした。シングルを1枚挟み1980年6月21日にリリースされた小田作の「Yes-No」も大ヒットとなり、年末には『We are』でバンド初のアルバム1位も獲得。正に絶頂期を迎えていた。このタイミングでベストアルバムを世に問いたい気持ちも分からなくはない。

しかし『We are』からこのベストまでの間にリリースされたのは、実質的に1981年6月21日のシングル「I LOVE YOU」(小田作)1枚だけであった。前のベストアルバム『SELECTION 1973-78』が足掛け6年に及ぶのに対し、このアルバムは4年。やはり性急と言われても仕方無いかもしれない。

ここからは想像の域を出ないのだが、やはり1980年末、鈴木康博(ギター)が脱退の意志を告げたことの影響もあったのではないか。事情は分からないが、契約上リリースしなければならなかったのではないだろうか。

しかし、そんな事情もものともしない圧倒的な説得力を『SELECTION 1978-81』は有していたのである。

曲順、初収録ナンバー、リミックス… 強い統一感を獲得したベスト盤


アルバムは1979年2枚めのシングル曲、小田作の「風に吹かれて」から始まる。武藤敏史は1979年にオフコースのシングルを “ホップ、ステップ、ジャンプ” と立て続けにリリースし、ミリオンセラーを生む計画を立てた。その “ステップ” がこの曲である。

2曲めは1978年のアルバム『FAIRWAY』に収められた小田作の「夏の終り」。このベスト最古の曲で唯一1978年の曲であり、二人時代のオフコースに一番近い曲である。

そして3曲めが “ホップ” の曲、1979年の第一弾シングル、小田作の「愛を止めないで」である。今考えてみても見事な “ホップ” だったことに異論のある方はいないだろう。

4曲めは松尾一彦(ギター)作、詞では大間ジロー(ドラムス)も名を連ねている、『We are』からの「せつなくて」。フェイドアウトが早くなっている。続く5曲めは1979年のアルバム『Three and Two』の曲で後にシングルカットされた小田作の「生まれ来る子供たちのために」。そして “ジャンプ” の「さよなら」でLPのA面が終わる。この曲はこれがアルバム初収録であった。

そう、このベストの特徴のひとつが、曲が年代順に並んでいないこと。そしてもうひとつの大きな特徴が、『We are』で初めて起用された、ボズ・スキャッグスやTOTOの仕事で名を馳せた大物ミキサー、ビル・シュネーが『We are』より前の曲を全てリミックスしていること。A面だと「せつなくて」以外全曲。このリミックスにより、このベストはより強い統一感を獲得したのだった。

ビル・シュネーのリミックスが果たした歴史的意義


B面は「Yes-No」から始まる。この曲も『We are』でのリミックスに、シングルの冒頭にあったフリューゲルホーンのイントロが加えられた。このアルバムでしか聴けないヴァージョンであり、この曲のベストヴァージョンだと断言したい。

2曲めは「Yes-No」のカップリング曲、鈴木康博作の「愛の終わる時」。やはりリミックスされていて間奏が少し短く編集されている。

3曲めと4曲めは『We are』からいずれも鈴木作の「一億の夜を越えて」と「いくつもの星の下で」前者はイントロ冒頭の叫び声及びカウントがカットされている。

そして最新シングルの「I LOVE YOU」でアルバムは終わる。

ベストアルバムには曲順が年代順のものとそうでないものがある。当然ながら後者はセンスが大いに問われる。オフコースはそのハードルを軽々と越えてみせた。特に「生まれ来る子供たちのために」と「さよなら」はシングルのリリース順は逆だったが制作順に戻り、この2曲の流れと「さよなら」がA面を締める様には息を呑む。これがあるからB面オープニングの「Yes-No」の音の小さいフリューゲルホーンのイントロが尚生きる。鈴木康博の骨太な曲が3曲まとまっているところも良いうねりを生んでいる。

ビル・シュネーのリミックスのお陰もあって、オリジナルアルバム張りの流れと統一感をこのベスト盤は誇っている。全体像のつかみ易い適切な長さと言い、名盤と言ってよかろう。そして「愛を止めないで」も「生まれ来る子供たちのために」も「さよなら」もこのシュネー・リミックスがその後定着した。このベスト盤の歴史的意義も、実はかなり大きいのである。

ベストアルバムに収められなかったあの名曲、この名曲


個人的な話になるが、実はこの『SELECTION 1978-81』が僕にとって初めて聴いたオフコースのアルバムであった。ロックな「一億の夜を越えて」なら、ビートルズにハマっていた高校生の僕にも響くものがあるのでは… と友人がカセットテープにダビングしてくれた。

残念ながらLPを買うまでには至らなかったが、アルバムとしての統一感、レベルの高さに少し心が揺らいだのは間違い無かった。その種は数年後芽を出すことになる。しかしその時、もうオフコースは4人になっていた。

『SELECTION』シリーズの第3弾は1987年に出た『IT'S ALL RIGHT SELECTION Ⅲ 1984-1987』。そう、5人のオフコースの1981年末から1982年の曲はオフコースの現役時代、遂にベストアルバムに収められることは無かったのである。「言葉にできない」も「YES-YES-YES」も。


2021.09.01
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カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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