山下久美子/3rd アルバム『雨の日は家にいて』が発売になって間もなく、1981年10月のある日、「JMS」という聞き慣れない会社の長岡さんという人から連絡をいただき、会うことになりました。
JMSは広告代理店で、電通・博報堂に混じってカネボウ化粧品を担当していました。なんと、山下久美子がカネボウ化粧品の来年夏のキャンペーンソングをやらないか、という話でした。
1977年あたりから本格化した資生堂VSカネボウのイメージソング戦争はそのころ益々ヒートアップ、カネボウだけでも「セクシャルバイオレットNo.1」(桑名正博、1979年秋)、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子、1980年春)、「春咲小紅」(矢野顕子、1981年春)など次々にヒット曲が生まれていました。
それ以降、CMやドラマとの「タイアップ」はレコードを売るための基本的な手段のひとつになり、レコード会社の宣伝部隊はその獲得を目指して売り込みに日参し、決まったら決まったで「宣伝費」ということで、場合によっては数百万円ものお金を支払う、なんて状況になってしまっています。
だけどこのときは、向こうからこちらに頼みに来る、お金を払えなんてことは言わない(後日、作家への許諾料まで払っていただきました…… ほんとはそれが正しい道なんですが)、こちらへの要求は、著作権使用料の免除と候補作品のデモを3曲以上提出すること、それにキャンペーン・コピーをそのまま曲タイトルとすること…… くらい。まだいい時代だったのでしょうが、至極まっとうなビジネスでした。
長岡さんもとても穏やかな、感じの良いかたでした。もちろんお受けしない理由がありません。そしてそのまますんなりと決まってしまいました。日本最大級と言っていいタイアップ話が、こんなに簡単に決まるなんて、まるでシンデレラストーリーですね。でも本当です。
ああ、もうひとつ要求がありました。
「赤道小町ドキッ」というキャンペーン・コピーを知らされた会議で、「このコピーは極秘ですので、作家さんに発注する際にも、決して漏らさないでください」と言われたのです。敵(資生堂)に知られでもしたら、たいへんだというわけです。しかし、それでは作家も作りようがありません。
「代わりにこのダミー・コピーで進めてください。」
見せられたのは「太陽小町ドキッ」というコピーでした。ふーむ、なるほど、まあイメージは近いかもね。
これ、つまり、当時は毎回もやっていたのでしょうが、私はもちろんこの時しか知りません。たとえば「セクシャルバイオレットNo.1」ではどういうダミー・コピーがあったのか、たいへん興味があるところです。
さて、ところがこの「太陽小町」が、私に小さな悲劇をもたらすことになります。
(楽曲制作発注篇につづく)
2017.06.29