4月1日

和風テイストのケイト・ブッシュ? 遊佐未森との出会い

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遊佐未森と出会ったのはデビューの1年ほど前だったかな。

自ら作ったデモテープをあちこちに渡していたようで、EPICソニーの女性スタッフ、薬師寺真紀さん経由、私にも届きました。和風テイストのケイト・ブッシュ、といった音楽性で、ちょっとあざとさも感じましたが、嫌いじゃなかったし、声はよかった。

高橋くんという、EPICソニーでアルバイトをしていた青年に、「この新人、なかなかいいよ」と話したら、「それ、こないだ僕が福岡さんにテープを渡した人じゃないですか!」と叱られました。全然記憶になかった。ひどいもんです。薬師寺さんがくれなかったら、遊佐に会ってなかったかもしれません。運命ってこうやって、気まぐれに進んでいくんですね。

本人には高橋くんから紹介されたんだっけかなぁ。なんかのライブ会場でちらっと挨拶しました。清楚なたたずまいと、ピュアで真面目そうだけど温かい光をたたえた瞳が印象的でした。

既にヴァーゴミュージックでマネージメントする話が進んでいたので、社長の坂野雄平さんに会いに行きました。ヴァーゴは作家マネージメントもしていたので、スタッフさんたちには知り合いもいましたが、坂野さんに会うのは初めてでした。

エッジの効いた低音がよく響く声が素敵な、2歳上の坂野さんと、私は初対面からなんだか馬が合い、さっそく飲みに行きました。なぜか当時、ズブロッカが瞬間的なブームで、二人でへべれけになって盛り上がり、夜更けにはもうすっかり、「いっしょにやっていこう!」てなノリになっていました。

実は、遊佐のこと、ミディレコードで少し話が進んでいたのでした。ミディは、YMO や矢野顕子さんをマネージメントしていたヨロシタ・ミュージックの大蔵博さんと、大貫妙子さんや EPO を輩出していた RVCレコード・ディアハートレーベルの宮田茂樹さんが作ったレコード会社で、坂野さんと宮田さんは EPO でガッツリ組んでいた仕事仲間だったのです。

ある程度、契約条件も具体的に交渉していたみたいで、ソニーは基本的に条件の厳しい会社ですから、ミディのほうが待遇はかなりよかったようです。しかも、気心の知れた宮田さんは副社長ですから、いろいろやりやすいでしょう。

片やこちらは、“ケイト・ブッシュ的な” というだけで、“マニアック” というレッテルを貼られる会社でしたから(だからやるな、ということではありませんが、勝手にやれって感じ…)、条件の上乗せも認めてもらえず、明らかに私のほうが不利でした。

ところが、坂野さんは、EPIC を選んでくれたのです。よかった…。その時は「よかった」くらいの感覚だったんですが、考えてみると、人間関係のある宮田さんに、断る気苦労はあったでしょうし、何回か飲みに行って、いっしょに酔っ払っただけの私を、よくぞ信頼してくれたなぁ、と改めて感慨にふけってしまいます。でも、これが人と人との出会い。人生の醍醐味ですね。ありがとう。坂野さん。

ということで、デビューに向けて、どういうものを作って、どう動いていこうか、というミーティングが始まりました。登場人物は、坂野さんと、(RVC からヴァーゴ、後に “Chara” を育てる)マネージャーの山中聡さん、坂野さんの要望で座組に入った、フジパシフィック音楽出版の柿崎譲二さん(“くじら” も担当でした)、そして遊佐本人と、彼女に以前から音楽的なアドバイスをしてきた外間(そとま)隆史くんです。

外間くんには既に “コンセプト” として考えていることがいろいろあって、それをズンズン提案してきます。遊佐本人はまだ遠慮もあったのか、おとなしいのですが、外間くんを信頼しきっており、外間くんの考えに異議なし、と無言で主張しているようでした。結論から言うと、デビューからしばらくのファンタジー路線は、すべて外間くんのコンセプトで、私もそれをよしとするのですが、当初は、一度 “白紙” から考えたかったので、おもしろくありません。だんだん外間くんと私が、何かにつけて対立するような格好になっていきました。

最初にもめたのは名前です。本名は「遊佐〇〇〇」で、下は極めて平凡な名前なのですが、「遊佐」は、東北にはけっこういらっしゃるものの、珍しい名字なので、私は本名でいい、と言ったのです。しかし、外間 / 遊佐組は「未森」というアーティストネームを考えていて、それを主張します。この件だけでも何度もミーティングを重ねましたが、平行状態が続きました。

ついにしびれを切らした山中さんが、「もうこの辺で僕がジャッジメントしていい? 本名で行こう!」と言い出したのですが、当然、外間 / 遊佐組は猛反発、私も強権的に決めたくはなかったので、すぐにその山中提案は却下となりましたが、「Judgement」というその言葉はなかなかインパクト強くて、しばらく我々の間で、そこはかとなく流行したのでした。

2019.01.08
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カタリベ
1954年生まれ
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