山下久美子「赤道小町ドキッ」のレコーディング風景
当時のスケジュール帳を見ると、山下久美子の「赤道小町ドキッ」のレコーディングは、1982年1月25日月曜日に、港区麻布台のサウンド・シティ第2スタジオで行なっています。
これまでポップ・ロック調路線でやってきた久美子と、その時期の細野さんの世界=テクノポップのつなぎ役として、大村憲司さんに、アレンジャーという立場に立ってもらったのですが、ともかくベーシック部分は自分でやるからと細野さんがスタジオにやってきました。
既にスタンバイしていたプログラマーの松武秀樹さんと、静かに作業が始まります。チッチキチッチキというハイハット音とか、ベンベンベンベンというベース音を、細野さんがボソボソと松武さんに指示しながら作っていきます。
嫁入り道具ほどもあるシンセサイザー群のどれからその音が出てくるのか、私には判りませんが(松武さんが「タンス」と呼ぶ “モーグ・モジュラー・システム” もありましたし)。
そこに現れたのが高橋幸宏さん。シンセベースに合わせてドラムをダビング(重ね録音)するために来てくれました。ドラムのセッティング作業を見ていると、ハイハットを大きなタオルでグルグル巻きにしています。
ハイハットはさっき作った打込みのを使うんですね。だから生ドラムのハイハットは要らないのだけれど、ハイハットを叩きながらじゃないと演奏しにくいから、叩いても音が出ないようにしているわけです。
そんなことするのを初めて見たのでビックリしましたが、手慣れた作業のようで、YMOのレコーディングでもきっとこうしていたんでしょうね。幸宏さんらしい、かっこいいドラムが録れました。
細野晴臣が自らアナログシンセを操作
ドラムのあとは、コード系やフレーズ系の音を、作っては重ねていきます。主に “プロフェット5” というアナログシンセを使っていたと思います。どの音もとてもよい音。アナログシンセは、いろんな音の要素をボリュームつまみで微妙に調整しながら音色を作るので、作る人のセンスしだいなんですね。もちろん松武さんはその道のプロでしたが、このときは細野さんが自分でいじっていたと思います。
私が関わったレコーディングの中で、シンセサイザーの音はこれがいちばん好き。曲全体で聴くとひとつひとつの音は埋もれていますが、実はちゃんと音楽を支え、サウンドを生き生きしたものにしてくれていると思います。
YMOの音楽があれほど広まったのも、今もって魅力を失わないのも、彼らのこういうひとつひとつの音への卓越したセンスによるところが大きいんじゃないでしょうか。
えーっと、ベーシック部分だけって言ってなかったっけ?…… 大村さんはまだ眺めているだけです。細野さんは黙々と作業を進めます。
そして数時間、サウンドとしてはほぼ出来上がったと言ってもよいくらいになってから、おもむろに細野さん、「じゃあ憲司、あとは任せたから。」とボソッと言い、帰っていきました……。
アルバム「抱きしめてオンリィ・ユー」に収録されなかったワケは?
そのあと大村さんがやったのは、そこにギターを重ねることだけでした。でもイントロのフレーズはとても印象的で、この曲の魅力のひとつになったし、ロックっぽいギターが入ることでテクノ色は少しは薄れました。
しかし私は、やはりこれまでの久美子の方向性とギャップがあり過ぎると思い、同じ日、1982年4月1日に発売した4thアルバム『抱きしめてオンリィ・ユー』に、あえてこの曲を入れませんでした。
まあ、普通は入れますよね。ヒットの可能性が高いシングルなんだから、それでアルバムの売上を引っ張ることを目論むのが当然です。これも私の青い意地だったのです。今思うと、よくコロムビアが許しましたね。
カネボウCMの大量スポットもあり、「赤道小町ドキッ」は順調に売れていきました。オリコン1位はとれなかったけど(最高2位)、TBSの『ザ・ベストテン』に何度か出演して、久美子が象に乗って歌ったのを覚えていらっしゃる方もいると思います。
アルバムもある程度は売れましたが、この曲が入っていたら、たぶんもっと売れたんでしょうね……。
※2017年7月11日に掲載された記事をアップデート
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2022.04.01