作家陣は康珍化、亀井登志夫、大沢誉志幸、岡本一生、そして松本隆、細野晴臣
山下久美子にカネボウ化粧品の1982年夏キャンペーン、CMタイアップの話が舞い込みました。ヒットにつながるビッグチャンスです。
私が自然に考えたのは、彼女のデビュー以来一所懸命作ってきてくれた作詞の康珍化さん、作曲の亀井登志夫さん、大沢誉志幸さん、岡本一生さんたちと、さらにいいものを作りヒットすれば、まだ新人同様だった彼らのためにもなるだろうということ。
デモ曲を3曲以上出してほしいという代理店の要求でしたので、ひとつの詞に作曲の3人が、それぞれ曲をつけることにしました。
ところが、コロムビアレコードのA&R三野さんは、「チャンスなんだから当然ヒットメーカーに」ということで、松本隆さんに依頼、松本さんが細野晴臣さんを指名しての “はっぴいえんどコンビ” を配してきました。
もちろん彼らは、私も尊敬してやまない音楽人ですが、これまで久美子と何も関わっていないわけで、大きなチャンスだからといって、いや、だからこそ、彼らを突然起用することに私には強い抵抗がありました。
なので、松本-細野ラインは三野さんにお任せし、曲ができるまで一切関わりませんでした。
赤道と太陽、ハッキリわかった語幹の違い
前回お話ししたように、キャンペーンのコピーは「赤道小町」ですが、それをライバル社等から隠すため、ダミーの「太陽小町」で仕事を進めてくれと厳命されていました。私は素直にそれに従い、康さんにも「太陽小町」で詞を発注しました。できてきた詞を3人の作曲家に渡し、曲をつけてもらいました。すると、……
曲ができてハタと気づいたことは、「赤道」と「太陽」の語感の違いでした。「セキドウ」は子音がはっきりしているのに比べ、「タイヨウ」では「タ」以外母音ないし「Y」という角がない子音。
それにより、できてきた曲は「太陽」のところがいずれもスラー(音を途切れさせずに滑らかに演奏する)っぽいのです。明らかにメロディが「太陽」の語感にそっているのです。
ところが、松本-細野ラインでできてきた曲を聞いたら、「太陽」すなわち「赤道」のところは、(ご存知のように)カクカクと8分音符で刻んでいて、「赤道」の語感にピッタリではありませんか。
これはきっと松本さんに、「太陽小町」でなく「赤道小町」で発注しているのでは? と思い、三野さんに尋ねたら、悪びれもせず「もちろんだよ」との答え。さらに「そんなスポンサーの言い分なんか聞いてどうするんだよ。言葉が変わったら曲は変わっちゃうんだから」……。
その時点でやっと気づきました。私はまだまだどうしようもない甘ちゃんだと。
山下久美子もお気に入り! 採用された松本隆×細野晴臣「赤道小町ドキッ」
いずれにせよ、その松本-細野作品は詞も曲もよかったので、久美子本人もいちばん気に入ったし、スポンサーサイドも迷いなくそれを選びました。私のつまらない意地はあっさりと水泡に帰しました。
さて、こうなったら頭を切り替えて、レコーディングです。
ただ、やはり、この時期すっかりテクノの人となっている細野さんのサウンドそのまんまだと、今までの久美子の路線からはかけ離れ過ぎてしまうのが心配でした。
ちょうど4thアルバム『抱きしめてオンリィ・ユー』のレコーディングを、(今は亡き)ギターの大村憲司さんアレンジで進めていて、根っこはブルース・フィーリングながらYMOのワールドツアーにも参加している彼に入ってもらえれば、「つながる」と考えました。
細野さんも「かまわない」とのことなので、アレンジは大村さんということで、レコーディング当日を迎えたのですが……。
(『40周年秘話 ③ 山下久美子「赤道小町ドキッ」細野晴臣レコーディング編』につづく) ※2017年6月30日に掲載された記事をアップデート
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2022.04.01