7月1日

ついに日本で封切られた「スター・ウォーズ」それは黄金の6年間が幕を開けた年

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 1978年のコラム 
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物語は、常に最悪のタイミングで始まる。

後に世界的大ヒットを飛ばす映画『スター・ウォーズ』のシリーズ第一作目も、当初はジョージ・ルーカスが映画会社に企画を持ち込むも、ユニバーサルとユナイテッド・アーチスツの2社から門前払い。やっと20世紀フォックスに拾ってもらえる惨状だった。しかも、その時の担当者の台詞が痛烈である。「この企画はさっぱり分からないが、君という人間に投資する」――。

時に1973年、映画界は「アメリカン・ニューシネマ」全盛期。ベトナム反戦運動や公民権運動を背景に、反体制的な人物を主人公とした、暴力やドラッグ、セックスを厭わないアンチ・ハッピーエンドの映画が蔓延していた。『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』、『真夜中のカーボーイ』、『フレンチ・コネクション』、『バニシング・ポイント』、『ダーティハリー』―― etc

そんな時代に、ルーカスが持ち込んだ企画は、古き良きアメリカの「スペースオペラ」を彷彿とさせる SF 娯楽映画。そりゃ、苦戦するのも仕方ない。

ちなみに、スペースオペラとは、1930~40年代に全米で一世を風靡したパルプ・マガジン(粗悪な紙で出来た、派手なイラストが表紙の大衆雑誌)に連載された荒唐無稽な SF 小説の総称である。いわゆる「囚われの姫君」「暗黒面の敵」「冒険活劇」「友情もの」といったベタな要素(これ、週刊少年ジャンプの「友情・努力・勝利」にも通じますナ)が物語に盛り込まれているのが特徴だ。

ここで、ルーカスに追い風が吹き始める。1975年4月にサイゴンが陥落、ベトナム戦争が終結したのである。若きアメリカ兵たちは故郷に戻り、心の傷を癒すために、太陽の下でテニスやサーフィン、マウンテンバイク、フリスビーなどのスポーツに打ち込むようになり、西海岸を中心にアウトドア文化が花開く。ちなみに、日本人でその空気の変化にいち早く気付いたのが平凡出版(現・マガジンハウス)の木滑良久サンで、彼は翌76年6月、『POPEYE』を創刊する。

ベトナム戦争後の時代の空気の変化は、アメリカ人の映画の嗜好にも影響をもたらした。いわゆる「アメリカン・ニューシネマ疲れ」だ。代わって台頭したのが、古き良きアメリカン・ドリームを真正面から描いた1976年の映画『ロッキー』だった。同映画は、アカデミー作品賞に輝き、監督と主演を務めたシルベスター・スタローンは一躍スターになる。

そう、ハリウッドは、かつての娯楽映画全盛期に立ち返ろうとしていた。エンタテインメントの基本は、温故知新である。旧作を学び、リスペクトして、現代風にアップデートする――。

まさに、その方法論を体現しようとしたのが『スター・ウォーズ』だった。ルーカスは尊敬する黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』や『椿三十郎』をオマージュしつつ、それらの要素を取り入れ、新しい時代の SF 冒険活劇へとアップデートを図った。時代劇の殺陣をヒントに、ライトセーバーを生み出した。オビ=ワンは当初、三船敏郎にオファーを出すが、断られたので、「顔の出ない役ならどうか」と今度はダース・ベイダーの役をオファーする。しかし、これも断られた。

ルーカスは音楽にもこだわった。彼が温めていたアイデアは、『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』、『ジョーズ』などのパニック映画で知られる巨匠、ジョン・ウィリアムズだった。この時の頼み方が面白い。
「この映画は、映像は全て目新しいもので構成されています。だから音楽は逆に、観客に馴染みがあるものにしたい――」

かくしてウィリアムズは、電子楽器は使わず、フル・オーケストラによる「スター・ウォーズのテーマ」を作曲する。そして、ロンドン交響楽団に演奏させたところ、一聴したルーカスは大感激。かの有名な彼自身の言葉「映画の半分は音楽で出来ている」は、この時に生まれたものと言われる。

事実、僕らが映画館で『スター・ウォーズ』シリーズを見る時、冒頭でお馴染みの「A long time ago in a galaxy far, far away...(遠い昔 はるかかなたの銀河系で…)」の文字が無音で数秒間流れたあと、突然、フル・オーケストラの音楽と共に、スクリーンいっぱいに「STAR WARS」のタイトルが現れた瞬間、僕らのアドレナリンは一気に高まる。「映画の半分は音楽で出来ている」は、あながち大袈裟な話じゃない。

1977年5月。映画の公開に先だって、ルーカスは親しい映画仲間を自宅に招いて、完成前のラッシュフィルムの上映会を催した。しかし、2時間後、部屋にいる誰からも拍手はなく、皆、沈黙した。しばらくすると、口々に忌憚のない罵倒大会が始まった。ルーカスは意気消沈する。

しかし、その中で一人、絶賛する者がいた。「いや、素晴らしい! この作品はきっと1億ドル以上を稼ぎ出すよ」―― スティーブン・スピルバーグだった。

なんと、この時点で、スピルバーグはルーカス以上に『スター・ウォーズ』を評価していた。そこで2人は奇妙な取り決めを交わす。それは、同時期に公開される互いの映画―― 『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』の印税の2.5%を交換するというもの。おかげで、今日までスピルバーグは巨額の印税収入を受け取っているという。

1977年5月25日、全米で『スター・ウォーズ』が公開される―― と言いたいところだが、この時点で封切られた上映館はわずか32館。配給元の20世紀フォックスの期待値の低さを表していた。当のルーカスはと言うと、不入りを恐れる余り、ハワイに避難。電話にも一切出なかったという。

ところが―― 公開初日、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターは、観客が幾重にも取り囲む非常事態に。皆、『スター・ウォーズ』を見に来た人々だった。映画は初日から大ヒット。その知らせをハワイにいるルーカスに一番に知らせたのは、友人のスピルバーグだった。結局、スピルバーグが予言した1億ドルの稼ぎも3ヶ月で達成し、同映画は最終的に全米で4億6000万ドル、全世界で8億ドルという空前絶後の記録を打ち立てる。

さて―― そんな『スター・ウォーズ』の噂は早速日本にも伝わるが、日本公開はずっと焦らされ、映画雑誌などで断片的な情報を得るしか、当時の僕らに術はなかった。むしろ日本では、既に『ジョーズ』で名が知られていたスピルバーグ監督の『未知との遭遇』の方が前評判は高く、テレビでしばしば特集が組まれた。

そして時代は1978年を迎える。まず2月に『未知との遭遇』が封切られるが、一部に熱狂的なファンを生むも、意外に難解なストーリーに、僕ら小学生の間では今ひとつの評判に留まる。一方、『スター・ウォーズ』は飢餓感も手伝い、日に日に期待値が高まった。僕らは公開日を今か今かと待ち受けた。

その日がやってきた。本国から遅れること実に1年1ヶ月―― 今から41年前の今日である。1978年7月1日、満を持して、映画『スター・ウォーズ』が日本で封切られたのである。

今思えば、それは「黄金の6年間」の幕開けの年でもあった。時代の転換期の波に乗れたことが功を奏したのか、同映画は日本でも大ヒットする。結果的に、本国との1年1ヶ月のタイムラグは、むしろプラスに働いたのかもしれない。

実際、『スター・ウォーズ』はその後、続編の『帝国の逆襲』が1980年、3作目の『ジェダイの復讐(現・ジェダイの帰還)』が83年公開と、見事に初期3部作が「黄金の6年間」と同調する軌跡を見せる。スペースオペラをベースとしたストーリーは10代の僕らにも分かりやすく、もちろん、全て劇場で見た。

そして気が付けば、僕らは『スター・ウォーズ』を通して、ハリウッド映画のファンになっていた。角川映画を除けば、当時の邦画はどこか暗く、真面目で、デート・ムービーと言えば、ハリウッド映画の独擅場だった。ハラハラして、キュンとして、最後にスカッとハッピーエンド。その後の彼女との会話も弾んだ。これが、アメリカン・ニューシネマだったら、どうなっていたことやら。

ありがとう、ルーカス!

2019.07.01
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カタリベ
1967年生まれ
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